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食品偽造 2013年11月10日

なんだかがっくりしてしまうニュースが最近多い。
一流レストランや有名百貨店での食品偽造問題。
ニュースや記事を見るたびに思い出すのが昔、バイトで働いていた生鮮食料品センターでの出来事。

豚肉のロース肉をスライサーで切っていて原料自体が足りなくなった時、チーフがワンランク上の黒豚のロース肉を持ってきて使って補った。
チーフ 「逆よりはいいからね」
自 分 「じゃあ、知らずにこの肉が当たった人はラッキーですね」
チーフ 「うん、見た目じゃわからないけどね」

本来はこうあるべきだと思う。
(ちなみに働いていた大手スーパーは今回の偽造の企業名としてあがっていないので、そのモライルは生きているんだなとひと安心)


車上盗にご用心 2007年6月20日

最近のことだけど、会社にくる外注さんが車上盗にあった。
しかも、なんとうちの会社に来た時のわずか5分程度の時間だった。
助手席にセカンドバッグを置いてあったものの、上から上着を置いて目隠ししていたらしい...のに!!
当時の午後、セカンドバッグは市内のまったく別の場所で道路の溝から発見されて金銭だけが抜き取られていた模様。
連日、消防署からの防災メールには車上盗や空き巣、変質者情報が耐絶えることがない。


そういえば以前にも、会社の更衣室に泥棒が入ったことがあった。
よく取引先の人も出入りする会社なのだけど、階下の更衣室の方から物音がしたので、覗いてみると見知らぬ後姿が。
あわてて後を追うと、別の方向から社員の人が偶然登場。
「今の人、取引先の人ですか?」と聞くと「知らない。今日は来る予定はないし」の返事。
「今の人、更衣室の方から出てきたんです」
「え?」
慌てて二人で後を追うも、姿はなし。
とにかく盗まれたものがあるかもしれないと社員全員に確認をしてもらったところ、2名が被害に会っていました。

自分がいつ被害に会うかわからない昨今。
用心は本当に大事です。

簡単なことをするな 2007年1月19日

「いじめ」に関しての特別番組が最近数多く見うけられます

ヤンキー先生が、「いじめられるほうも悪いと思う」とアンケートに答えた子に対して、ガンガン怒っていました

基本的には同意
ただ、もっと立て分け方をやさしく説いて欲しいとは思ったかな

赤ちゃんが泣いている
うるさいから殴っていいのか?
殺していいのか?

自分には力がある
気に食わない奴は殺していいのか?

答えは「NO」

そんな簡単なことを力がある人間はするべきじゃない、というのが自論

気に食わないから
嫌だから
不潔だから
トロいから
貧乏だから
ブスだから
キモイから
etc.

そんな自分本位の理由で
力があるものにはできる簡単な方法で
殺していい理由には100%ならない

力があるなら「耐えろ」と
力があるなら「守れ」と

簡単なことをするな
「排除」に使うなと

殺していいわけがない
そんな簡単なことがどうしてわからないのだろう

気がつかない安易さで
相手の心を殺す

そんな簡単な
ちっぽけな
なさけないことに使うために
その力はあるんじゃないんだ

思い出した夢 2006年12月2日

タイトルだけだとややカッコイイなぁ、と自分でも思うけど
全然違います。

小説なんぞ書いていると、たまに「夢の中で最終回を読めたらいいのに」と、都合のいいことを考えたりするんですよね。

ずいぶん前に、ナントそのまさかのまさかな夢を見ました。
シンジラレナーイ

書店に置いてある本の中に「ユナセプラ」があるではないですか。
ちゃんと、著者も三千広瀬になっている。
しかしなぜか他の本と違って横長の薄い絵本サイズ。
場所は、規格違っているからなのか書棚の一番上の端っこに。

「まぁ、いいや」と、手に取り読み進めました。

でもね。
自分がその当時、現時点で書いている部分で「続く」になっていました...。

しょせん読みたければ「書け」と言うことだな...と思い知らされたものです。
あ〜あ、教訓めいた夢って物悲しい。

誤解がないように付け加えると、一応ラストは決まっていますヨ。

映画館マナー 2006年8月16日

今年、3回映画館に足を運んでいますが、結構気になるのが「マナー」。
上映中に携帯電話を見ている人がいるよね。
あれって、結構暗がりの中で遠くの席でも光が突き刺さるように飛び込んできて、かなり迷惑。
でも、もーーっと迷惑なのは、ビニール袋をガサガサやる人。
特に、中高年のおばさんが多い。
上映前までは我慢していても、始まっても「ガサガサ」やっているので、「すみません。静かにしてもらえますか?」と言ったら、謝りもせずに席を立っていった。
自分の家で見てるんじゃなく、みんなお金を払って見に来ているという、当たり前の常識を守って欲しい。
ご婦人の中高年パワーなんて、映画館には無用です。
あ、そういう人をガーンと叱ってくれる常識パワーなら大歓迎ですけどね。

梅雨と、汗腺とナノバブル水 2006年6月15日

梅雨に入ってから、梅雨らしい日が始まったようです。
それにしても、これからの時期は、会社のクーラーかせ悩みのタネです。

以前、ラジオで聞いたことがあるのですが、夏生まれの人は汗腺が多いので暑さに強く、逆に冬生まれの人は感染が少ないので寒さに強い。
まぁ、暑がりっていうことですよね。
クーラーなんてあまりいらないタイプの人間と、夏はクーラーが欠かせない人間が一緒にいちゃダメですよね。
立場が強いものの勝ちなワケですから。
温暖化防止には、夏生まれの人間が多いほうがいいのでは...。
と、妙なことを考えてしまう自分。

そうそう、昨日、テレビで「ナノバブル水」なるもののの特集をしていました。
淡水魚と海水魚が、この水の中では一緒に過ごせるという「魔法の水」。
「どうしてそれが可能なのか」という理論自体は解明されていないらしいのですが、「理由はわからないけど、実際可能なんだよね」という、やっぱり「魔法の水」
これが一般的に利用できるようになれば、とてつもなく今まで困難だったことがやすやすとできるようになるかもしれない「夢の水」でもあるらしいです。

「ナノバブル水」のように、寒がりの人間と、暑がりの人間が共に快適に過ごせる「ナノバブル空気」とか「ナノバブル・クーラー」なんて出来たらいいなぁ。(文字並びはともかく、感覚で理解してね)

いやいや、ひゅょっとするとそんな日も来るかもしれない。
まだまだ、楽しいことは沢山ある。(かも)と、期待したいなぁ。

面白いので、国の名前で「成分分析」 2006年5月11日

ユナセプラの解析結果
ユナセプラの71%は華麗さで出来ています
ユナセプラの16%は心の壁で出来ています
ユナセプラの8%は理論で出来ています
ユナセプラの3%は成功の鍵で出来ています
ユナセプラの2%はマイナスイオンで出来ています

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ノストールの56%は花崗岩で出来ています
ノストールの25%は魂の炎で出来ています
ノストールの8%はマイナスイオンで出来ています
ノストールの8%はお菓子で出来ています
ノストールの3%は理論で出来ています

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ナイアデスの70%は大人の都合で出来ています
ナイアデスの10%は時間で出来ています
ナイアデスの9%は心の壁で出来ています
ナイアデスの6%は理論で出来ています
ナイアデスの5%はお菓子で出来ています

------------------------------------------------

ダーナンの61%はビタミンで出来ています
ダーナンの16%はマイナスイオンで出来ています
ダーナンの9%はミスリルで出来ています
ダーナンの8%は気の迷いで出来ています
ダーナンの6%は陰謀で出来ています

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ハリアの52%は電力で出来ています
ハリアの38%はカテキンで出来ています
ハリアの7%は気の迷いで出来ています
ハリアの2%は濃硫酸で出来ています
ハリアの1%は成功の鍵で出来ています

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笑った!

10秒の出会い 2004年9月27日
 
 忘れられない出会いがある。
 
 タウン紙記者時代にあるイベントで、いろいろな芸能関係の方が出演される場所を、記者数人で手分けをして各会場の写真を撮ることになった。
 約1時間弱の間に4会場が自分の持ち場。
 撮影を終えたら、その足で事務所に帰って現像しなければならなかった。
 今のようにデジカメなど当然なく、世はカラー写真でも、紙面はモノクロだったので、白黒フィルムで撮影して、自分たちで現像、紙焼きをした時代。
 しかも、スタートは夜7時。締め切りの当日だった。
 市役所主催のイベントだったので、市側広報とは事前の約束は出来ていたが、基本的には出演者サイドには当日その場で事情を話して、写真撮影を許可してもらうというアポなし取材というか、撮影に近かった。
 
 基本的には、事情を話すと許可してくれたが、すべての会場が順調に写真撮影の許可がおりたわけではない。
 確認、許可が下りるのに10分以上待たされた相手もいた。

 けれど、快く許可をしてくれて、送り出してくれた会場があった。
 今は亡き内海好江師匠の語りが行われていた会場だ。

 事情を話して、快くどうぞと言って下さったかなりご高齢の和服の男性がいた。
 内海好江師匠といえば、知らない人はいない有名人。
 会場の雰囲気も和やかで笑いに包まれていた。
 許されることなら、めったにない機会に、ゆっくり耳を傾け話を聞けたらどんなにいいかと思ったものの、時間はなかった。
 写真数枚を撮り、そっと会場から出て、撮影を許可してくださった事務所の方らしき高齢の方にお礼を言うと、その方は若年の自分に大して、実に丁寧に腰を折って頭を下げ、「お茶でもいかがですか?」と声をかけてくれたのだ。
 ほかの会場ではやや胡散臭く見られただけに嬉しかったが、残念なことに本当に時間がなくて頭をしっかり下げて礼を言いつつ辞退をした。

 けれど、その方の言葉と表情が心の中にずっと残っている。
 うわべでも、業界としての馴れた言葉でも、営業スマイルでもなかった。
 言葉では表現しがたいし、自分に出来るかというと心がけても難しい。
 どうしたら見ず知らずの若輩者に、来てすぐ帰ってしまう相手に、真摯に真心をこめた礼を尽くせるのだろうと、そのあとずっと考えた。

 きっと、内海好江師匠を第一に考えての万事だとは思う。
 
 でも、それだけでは内面からにじみ出るあの言葉と表情は出せるものではないと思う。
 その方の人生が染み込んでの所作だったのだろうとも思う。
 さらに感じたのは「やっぱり、内海好江師匠のそばにいる方は、すべてが違うんだ」ということ。

 10秒足らずの出会いが、その直後から心に焼きつき、決して自分にとって忘れ難いものになった。
 あんな出会いが、本当にあるのだという衝撃。
 
 人に接する心。
 人に接する態度。
 相手を見下さない心。
 「そうあることが大切です」と、その姿に教えられた気がした。

 わずか、10秒足らずの出会いだった。
 けれど、かけがえのない10秒だった。

 名前も知らない方だったれど、亡き内海好江師匠のこと、そして内海佳子師匠の活躍をテレビや雑誌で見るたびに、あの時の情景がいまも蘇る。


オリンピックな夏 2004年8月17日

 アテネオリンピック華盛り
 
 人は、人が頑張っている姿を見るのが好きだ
 そうつくづく思う

 自分が頑張れていないときも
 頑張りたいと願っているときも
 頑張っている人の姿に 人は励まされるのだろう

 自分だって、もっとやれば出来る力があるのかもしれない
 苦難を乗り越えてメダルを勝ちとる姿に
 まだ見ぬ自分の中の力を見出したいと願うのだろうか

 よく「人の不幸は蜜の味」という言葉があるが
 世界と戦う選手たちの姿を見守るとき、「人の勝利が蜜の味」になる
 勝利の咆哮を上げる同胞の姿に 興奮し 酔いしれ 幸せな気持ちになる

 メダルをとった体操の選手が
「よかったです。よくわからないけど……。嬉しいです」
 そうコメントをしていた。

 実際、応援している自分も嬉しい。
 理由なんかいらない
 寝不足でも テレビをつけたまま朝を迎えても
 ひたすら 初めてテレビで見る選手たちを応援する

 人は 戦い続ける
 ライバルに 日々に 時間に 環境に
 そして 弱い自分 負けそうな自分に
 
 限界を超えた闘い
 一度は諦めた戦い
 注目さえ浴びない孤独な闘い

 人間は、戦う姿を体現する彼らの勝利が大好きなのだと
 そう思う

 がんばれニッポン!


一枚の写真 2004年6月4日

 タウン紙の記者をしていた時代に、たくさんの人との出会いがあった。
 職業も立場も、年齢もみんな違う。
 有名人や政治家、経営者から無名のお年寄りや、小学生まで、十数年の日々の出会いは数え切れない。
 
 その中のひとつに人物紹介の取材があった。
 取材は、基本的に一人で行う。 
 アポ取り、取材、写真撮影、原稿書き、校正。
 写真は、現像・紙焼もやった時代があった。

 そんな中で今も覚えているひとつのエピソードがある。
 あやつり人形をつくっている高齢の男性への取材。
 取材自体はいつもと変わりなく終了した。
 記事が掲載された翌日、その方の奥さんから嬉しそうな声で電話がかかってきた。
 「主人は写真嫌いで、今まで撮る機会があっても嫌がってなかなか撮らなかった人なんです。でも、今日の自分の載った写真をとても気に入ったみたいで、ぜひ、焼き増しをしていただけないでしょうか?」
 記事を見直してみると、そこには、優しそうに、楽しそうに微笑んでいる顔があった。
 撮影の時は、写真嫌いの素振りなどまったく見せずに、終始こちらの注文どおりに顔の角度を変えてくれた。
 「やさしくて、お孫さんから人気のおじいちゃんなのだろうなぁ」と、そう思っていた。

 だから、人は、一時の出会いでその人のことを知ることは出来ないのだと、反省させられた。
 けれどなにより、「写真を撮ることが好きな人にかわってくれて」と、焼き増しした写真が届いたからと、数日後、改めて奥さんからお礼の電話を頂いたときの弾んだ言葉が忘れられない。

 紙面に載った、たった一枚の写真が、その方と、ご家族にとって楽しい出来事のきっかけとなってくれたのだと。
 嫌いなことが、好きになってくれたのだと。
 
 写真を撮るのが好きなのは、その言葉が励みにもなっている。
 風景写真も好きだけれど、人の自然な笑顔をファインダー越しにのぞきこみ、シャッターを切るときの一瞬が好きだ。
 そして、出来上がった写真に留まったその笑顔は宝物になる。

 その方の写真は手元にはないけれど、いまもずっと心に焼き付いている。
 「こちらこそ、ありがとう」
 思い出すたびに、感謝をしている自分がいる。 


小泉首相の「蜘蛛の糸」 2004年5月23日

 拉致被害者の家族5人の帰国が実現した。
 けれど「家族会」は「最悪の結果」となじる。

 小泉さんの「蜘蛛の糸」は、今はまだ5人を救い出すのが精一杯なのかもしれない。
 北朝鮮へ拉致された5人を救い出した。
 イラクで人質にされていた5人を救出した。
 北挑戦に残されていた拉致被害者の家族5人を帰国させた。

 不思議に、「5」という数字が符合する。
 そして、「15人」を助け出して、責められる。

 石原さんの長男に言ったといわれる「サンドバック」状態なのは、首相自身のように見えてきた。

 「家族会」の人々は、他の人には計り知れない苦悩に満ちた地獄の苦しみの日々だったのかもしれない。
 けれど、今回の「最低の結果」「激怒」の言葉に、会見の様子には嫌悪さえ感じてチャンネルを変えてしまう。

 「首相をやめていただきたい」
 そう発言した人は、きっとこの首相が本当に辞任して、次の首相も、またその次の首相も、この拉致問題を進展させられなかったときどう発言するのだろう。
 「かの首相は10人も帰国させたのに、現首相はなにをしているんだ! 辞めていただきたい」
 そうまた激怒するのだろうか。

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説を思い出す。
 地獄に垂らされた一本の細く長い糸。
 人ひとりだけしか助け出すことの出来ないような細い一本の糸。
 その糸に、我も我もと待ちきれない人々が殺到したとき、登っていた罪人はあとからきた人々を蹴散らしてしまう。
 すると、地獄から救い出してくれるはずの糸は切れてしまった。

 物事は思う様には進まない。
 それでも、その重い扉を開いてくれた「恩人」になる人に感謝の言葉もなく、将来「恩人」になるかもしれない人を攻め立てて、糸がプツリと切れてしまったら、とは考えないのだろうか。

 「感情的になっているときは、2、3日耐えて、それから冷静に対策を考えることが肝心だ。感情的になっているときに発する言葉は不用意過ぎて危険だ」とは、ある企業の経営者。
 
 「認識せずして評価をするな」と先哲。

 小泉さんは好きではない。
 個人的に、ガンコだった亡き祖母に似ている顔立ちだから。

 でも、あの魑魅魍魎とした国家から「10人」を連れ戻した。
 そのことをきちんと評価して、認めて、感謝をする心が大切だと思う。

 そして
 それから、さらなる救出劇に押し立てるのも良し。
 足りない部分を指摘し、次への指針を示し、問題化するも良し。

 テレビを見ながらそう感じた。

 小泉さんの「蜘蛛の糸」は、そう誰もが持っているものではないような気もする。
 切れないように、磨耗させないように、疲弊させないように
 上手に 上手に 次への救出劇へと押し出すべきだと思う。

 怒りは次の怒りを生む。
 そこからは、なんの得策も生まれない。

 あまりに可哀想なので、ついつい書いてしまった。


母は偉大……かも!? 2004年5月20日

 我が家の母親は、還暦を過ぎた60代前半。
 高血圧持ちで、足がやや悪く、たまに人の話を聞かずに喋っている人。
 
 けれど考えるとかなり凄いものがあると最近気がついた。
 一日のワイドショーチェックはもちろん、ニュース、時事問題はかなり関心を持って見守っている。
 サッカー、バレーボールなどのテレビ観戦が好きで、代表メンバーの名前はもちろん、ケガや、海外での選手状況もよく知っている。
 ワールドカップ予選、オリンピック予選のチェックも欠かさない。

 「渡る世間〜」「昼ドラ」はもちろん、ドラマはビデオに録画してひととおりはチェックして、好きな番組をセレクト。
 たまに気に入ると、低視聴率のドラマさえ見続けている。

 最近のアイドル事情にも詳しい。
 「加護ちゃんは最近きれいになったよね」
 「辻ちゃんも顔が少し変わったかな」
 「あの子は、方言話す面白い子だよね」(名前が思い出せない)
 と、モーニング娘の話しから。
 
 「スマスマ」「学校へ行こう」「うたばん」「堂本兄弟」も結構見ている。
 「NEWSの子と、中居君の話(byうたばん)は面白いよね。小山君は話しが達者な子だね」と、ジャニーズ関係は(多分、NEWS以外は)名前と顔がほぼ一致している。

 韓国ドラマは「秋の童謡」「冬のソナタ」「フレンズ」「美しき日々」はすでに全話見終わり、ウォン・ビンを「木村かずや」に似ていると感想。(誰だっけ?)

 「エンタの神様」を見つつ、
 「パペマペと長井秀和は好きだけど、青木さやかと、着流しの人のはちょっとね」(自分は好きだ……)と、若手お笑いへの評価も手厳しい。
 
 買い物は、スクーター。
 新聞、読書は、メガネなしで読んでいる。
 携帯電話は二つ目を所持。
 化粧は毎日かかしたことなく
 年金に関しては自分で勉強して、亡くなった祖母(義母)が受け取れるように手続き管理を完璧にしていた。
 
 18歳で母親を亡くし、21歳で父親を亡くし、ガンを克服し、9年前に夫を亡くし、子供を3人育て上げ、現在、孫が二人いるおばあちゃんなわけで。

 つくづく、凄いなぁーと、思う今日この頃なのでした。


韓国ドラマ 2004年5月18日

 最近、韓国ドラマ&映画が流行っている。
 かくいう自分も結構見ている。

 友人は、ウォン・ビンが好きで、「韓国ドラマの先駆けは彼なのに、どうしてもっと世間は評価しないの!」と怒りモード。

 その友人から1、2年前に借りて見たのが「秋の童話」。
 かなり泣けて、自分でも困ってしまった。
 まとめて見たのがいけなかったと思うけど、見出すと止まらない。
 なんとなく覚えているむかーしの山口百恵ドラマの赤いシリーズを彷彿とさせるベタベタ路線なんだけど、ハマルわけです。

 特に韓国ドラマは、「子供のとり違い」「ヒロインの不治の病」「悲劇」「四角関係」と、結構ベタなものが多い。
 きっと、今の日本で同じ路線をやっても「なんだかな〜」となりそうだけど、俳優の顔と名前が一致しない白紙状態で見る韓国ドラマは、演じている俳優がドラマの人物そのものと同一化するだけに、入り込みやすいような気がする。
 問題は、2作、3作目を見ながら、どれだけ実力と魅力的であり続けるかどうかにかかっているかも。

 日本も韓国も人気の出る俳優顔というのは、不思議に共通しているように感じられる。
 特に、脇役の俳優陣を見ていると特に思うわけです。
 「冬のソナタ」のヒロインのチェ・ジウは、連ドラ女王と名を馳せていた一時の常盤貴子のようだと思い。
 「美しき日々」「オールイン」のイ・ビョンホンは、新庄剛志にしか見えないし。
 「夏の香り」のチョンジェ役は、若き日の宅麻真に見えてくる。
 「JSK」の原田知世似のイ・ヨンエ。
 などなど。
 見ているうちに結構日本の女優・俳優と似た人たちが多いのに気がつく。
 なじみやすいのは、そんなところもあるのだろう。

 なにはともあれ、楽しいことが増えるのは大歓迎。
 もっと地上波で放送してほしいものです。


年金っていつ学ぶ? 2004年5月18日

 ここしばらく、ニュースでは年金の未払いやら未加入で、政治家からニュースキャスターから、辞任、一時お休みと波紋がどんどんひろがっている。
 
 振り返って 「じゃあ、自分はどうなんだろう?」と考える。
 学生時代は? 仕事を辞めて失業していた1年間は?
 確認してみなくては……と、思う。

 でもね、ひとつ文句を言わせて欲しい。
 一体私たちは年金に関する授業を受けたことがあっただろうか?
 運転免許のように、講習を受けたことはあっただろうか?
「ここは、テストに出るぞ」と、念を押してくれた先生はいただろうか?

 人のせいにするなと言われそうだけどさ。 
『年金って大事なんだよね。国民の義務なんだよね。でも、国にはそれを国民に教える義務はないんだよね。払わなかったら、年とってからお金は受け取れないよ。払っていても、時期がきても、お知らせする義務は国にはないから、自分で手続きしなけりゃ、受け取れないよ』
 国民に義務付けしながら、行政は怠慢だらけ。
 楽でいいよね。

 以前に、ある市の職員が言っていた。
「箱物(建物)は、何にいくらかけて建てているかなんて市民は考えちゃいないですよ。あそこに出来たんだなって、そう思うだけですよ」
 市民を小バカにした口調だった。
 建てたもの勝ち 
 そういわんばかりの口調だった。

 知らなかった。
 気がつかなかった。
 きっと、多くは意識の外にあった年金システム。
 いい機会だから、システムをしっかり見直して欲しい。
 それで、国民も議員だけでなく、もっと行政を監視しなくてはと思う。

 湯水の如く湧く金 と税金を勘違いして我が世の春と使いまくっている行政職員がいるらしい。
 コスト削減、リストラなんて別世界。
 「一生懸命働く奴は嫌われる」
 そんな世界の人間が税金を使いまくる。

 それで、足りなくなったら「税金アップ」
 議員は、国民の代表なんだから、いいように操られまくるんじゃんなく、しっかり監視、指導をしてほしい。

 あー、ひさびさちょっと怒りモードだぁ〜


2004年1月24日

風の声に耳を傾けていた
そんな時の自分をふと思い出す

いつも空を見ていた
青空 曇り空 夕焼け空 そして 夜空

朝のいつもの時間 いつもの道
思い切り顎を反らせ 上空を見る
いつもそこに 
人工の翼をもった 大鳥の姿を見た
太古の人類の気持ちに 少し思いを馳せながら
不思議な感覚に浸れた

深夜の仕事を終えて見上げる冬空
北斗七星が傾いている
車のフロントガラスは凍ったまま
車の中も凍るよう
だから 温まるまで 窓の霜が消えるまで
ただ白い息を吐きつつ 宇宙を見上げていた

時々忘れかけ
時々思い出す

ちっぽけな自分と でも ちゃんと存在する自分

時々 忘れるなと
風が声をかけつつ
去っていく

誰かが言った好きな言葉 (うろ覚え その2) 2003年4月4日

「どうせ同じことをするのだから 楽しくやりなさい」

これは母親に言われた言葉。(忘れてないゾ)
子供の頃家の手伝いを嫌々、うだうだ、恨めしい顔でやっているとき言われた。
大人の都合のいい言葉だと理解しつつも
「そりゃそうだ!」と納得してしまった。 
以来、楽天家の一歩を踏み出した。



誰かが言った好きな言葉 (うろ覚え その1) 2003年4月4日

「君が考えたものは すべて存在するんだよ
だって、宇宙は広いのだから」

そうだよね〜!!と共感。
とても嬉しかったなぁ。
本で読んだのか テレビで見たのか覚えていないけど
いい言葉だよねぇ☆



言葉 2003年4月4日

ネットの世界を少し泳いでみると
改めて言葉は怖いと感じてしまう

書き込み違い
読み取り違い
語尾ひとつ感じ方の違い
100人100様
書き込んだ本人の意図はあっと言う間に離れていき
どんどん遠くなっていく
やがて書き込んだ本人のいないところで話題は進み
いつしかまったく別のものへと変貌をとげる

それはメールも似ている
メールは便利で、すぐに「送信」出来る
手紙を出せないときは
80円切手がないから ポストがないから
なかなか時間がなくて書けないと思っていた

メール
とても便利なツールが出来たものだと思った
はじめはとてもそう思えた

けれど 遠くで何故だかシーソーの音が響きだす
ガタン コトンのあのリズム

電話の会話が少なくなった
声が遠くなった
温かさが遠くなった
距離が近づいたと思ったけど なんだか遠い

メールは便利。
それは決して嘘ではない
時間の短縮。必要なことだけを伝えられる
思った気持ちをすぐ届けられる
長い文章を書かなくても大丈夫

ただメールが普及する以前なら
それは電話だったり、手紙だった
会いに行く行為だった
面倒だったけれど 大変だったけれど 手間がかかったけれど
思わぬ話をしたり 聞けたり
思わぬ表情を見たり ケンカしたり 笑顔を見たり
意外性という宝物が隠されていた 
その時間を振り返れば しっかりと刻んだ足跡は今も心に残っている

メールは便利
ないと困るツールになっている
メールのない生活はマイナスにさえなりかねない
電話代はかからない 
一斉送信で連絡はスムーズ
短い言葉で楽しみ方もいろいろある
絵文字で癒されたりもする

読みたいときにチェックするとこが出来る
相手に迷惑がかからない時間に送ることが出来る

そうそう 声から嘘もばれない

ガタン コトン
そしてゆっくりと逆作用

メールの返事が来ないのは何故だろうの疑心暗鬼。
(手紙なら、3か月くらい平気で待てるのに……)

メールの返事を書くのが大変
(チャットのごときのメール。高校生は1日100件から300件とか)

メールのない日の不安
(迷惑メールも来ないゾ!)

絵文字が使えない 使わない人の感情が見えない
(文字の乱れは...なんて、筆跡ないから読み取れない)

ガタン コトンのリズムが響く
すべてはシーソーに似ている

楽になれば失われるものもまた大きい。

ガタン ゴトン 
地面を跳ね上がるときの高揚感
あの 板ごとお尻を打ち付けるときの全身に響く奇妙な感覚
楽しかったような 違ったような 奇妙な感覚

ガタン コトン
幼い頃の懐かしいリズムが響く

キーコ キーコのリズムにはなかなかならない
遠い日々の公園のシーソー
一度 高く上がった瞬間 反対側にいた兄が飛び降りて
一瞬にして地面にたたきつけられるように前のめりに落ちたことがあった
掴まっていた鉄棒に喉元がくい込み 死ぬ恐怖を味わった

ガタン コトン
きっと、高く跳ね上がった分だけ
地面に落ちるときは痛みが伴う

メールひとつ考えてこの不安はなんだろう
言葉が一人歩きする怖さが日々募るのはなぜだろう

楽なことに身を任せてしまえば
いつの日か 気がついたときには
手遅れになっていそうな不安がある。

「上手に付き合えばいいじゃない。
使われるか、使うか。考え方次第でしょ」

明るく笑う温かい声が響く 
ほっとするひと時

でも メールだったらどう伝わるのだろう
どう受け取って どう感じるのだろう
ニュアンスは受け手次第でどうにでも変化していく
こうして「活字」にしてみると改めて そう感じる


2003年4月4日

「雨の日が好き」という詩を書いたことがある。

今でもその思いは変わらないけど
なぜだか
そう感じる時間を失いかけている自分がいる。

大空に思い切り顔を向けて
翼のように両手を広げて
ただ
時の中に身をまかせていた時間が
確かに いつもここにいたのに

風が全身を包み込んでくれる感覚を
いつも感じていたのに

いつしか
忘れかけている自分がいる。

そんな心に
今日は 雨音がゆっくりと響きわたる

透明な光の輝きのリズム
潤いのリズム
心地よいリズム

そう
雨は 雨のリズムを奏でている
時折激しく 時折細やかに

私の心に 降る雨のよう
細やかに 時折強く
雨は 雨のリズムを奏でている
戦争と花 2003年4月4日

戦争が嫌なことは みんなわかっている
戦争が悲惨なことは みんな知っている

アレクサンダーの時代と違うのは
ナポレオンの時代と違うのは
戦争を起こすと決断した人間がそこにいないことだ

自分の身を戦場にさらし
苦楽を共にし
それでも前へ進もうとする その「何か」に
人々はついていったのではないだろうか

今は彼らはどこにいるのだろう
若者達の背にただ激を飛ばす人々は
安全な場所で 命じるだけの声の主は

兵士たちは一体誰の背中を見ているのだろう
指揮者の姿は戦場にはないというのに

戦場となる場所にいる庶民は花のようだ
風に揺られ 大地に根付き 空を見つめる

「正義」の大義名分の名のもとに 
花は踏みにじられる
森は破壊される
草原はミサイルに蹂躙され
田畑は見るも無残な足跡を刻み付けられる

為政者は言う
「少数の犠牲ですんでくれることを願う」と
だが 失うのは唯一無二の肉親、恋人、かけがえのない友人たち

オンリーワンの詩が巷に流れる
「非戦」という言葉を「嫌だ」という若者がいる
「反戦歌」という言葉に拒否感を示す若者がいる

「平和を愛そう」という意味に気づかない心が悲しい
「戦争は嫌だ」と込められた言葉を感じない心が悲しい

怒りは怒りを生む
憎しみはさらなる憎しみを生む

人間はそんな絶望的な存在ではないはずだ

昔 戦場を進む戦車の前に
一輪の花を手に立つ少女の姿があった
小さな 小さな 一輪の花
やがて戦車部隊は その少女の前で止まった
中から出てきた青年兵士が花を受け取った
そんな一枚の写真を見た

すべてはその写真が語っていた
歴史の中のひとつの史実

花を愛する心がある
人を愛する心がある

花が美しく咲くことができる場所
世界中の人々の心がそこにあると思いたい


「好き」が恥ずかしい 2003年3月30日

文章を書くことが好き
でも 声に出して読まれると
恥ずかしくて止めてしまう自分がいる

物語を書くことが好き
でも 家族にそれを知られないように
隠し続けている自分がいる

詩を書くことが好き
でも 小説を読んでもらっている仲間にさえ
まず言ったことがない

好きな歌がある
好きなアイドルがいる
好きな映画
好きなテレビ
好きな国
好きな趣味
好きな食べ物
好きな人
好きな思い
好きな生き方

でも そのすべてを語れる人は稀だ
そこに秘めている想いを語れる人は稀だ

その一部でも 
共有できる友人がいることを再発見した瞬間は
奇跡のひと時
その人が友達だったことを 
心からありがたいと思う

「好きなこと」を知られることは
「素」の自分をさらけ出すようで
恥ずかしくないこととわかっていても
恥ずかしいと意識してしまう自分がいる

わかっている
自信をもっていいことなのだと

わかっている
恥ずかしがることは
自分が大事にしていることに対して
そう思うこと自体が失礼なのだろうということも

でも
理屈や 理性や 説得などではない部分で
思いがけず反応してしまう自分がいるのは
どうしようもないこと

そして ふと思う
それだけ好きなものを安易にさらしたくないと
そう感じている自分もいいものだと

そして 踏み込んで思う
いつか すこし傲慢なくらい
自分はこれが「大好き」だと恥ずかしがらずに
躊躇することもなく語れる時がきたら
もっと 幸せなのだろうと


一万光年の輝き 2003年3月29日

空が青い日は、人はどんな表情をしているんだろう。
空が白い日は、私はどんな顔をしているのだろう。

空を見上げ ただそこにいると
ちっぽけな自分をそこに見つける。

50年後は生きているだろうか。
100年後はもちろん存在しない。
200年後は多分生存の証さえ存在しない。

夜の空を見上げて想いを馳せる。
この天上の輝く星は 
もう存在しない恒星の、銀河の、星々の輝きかもしれない。

でも、こうして地球に届き 心に語りかけ 輝いている。

一万光年の光となる輝きを
人間はきっと 持っていると信じていたい自分がいる。