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第二十六章《 銀の冠 》

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 早朝の山林の中の泉。
 ルナはその水面に自分の顔を映し出していた。
 額には、銀色の額冠が輝いている。
 冠の上部は水平だが、下側は、眉間に向って下に大きい山がのび、両眉の中心部分に向って同じように小さな山がのび、それが弧を描いてつながっている。複雑な装飾が施された銀色に輝く額冠。
 ルナは、両手で自分の頭や額を包み込むようにして触れながら、何度も「それ」を確認していた。
 できれば頭から外して、手にとって見てみたいのだが、不思議なことにその額冠は外すことが出来なかった。かといってしっかりはめ込まれたという感じでもない。
 触ると確かに感触はあるが、重さは感じられず、温かくも冷たくもない。
 まるで体の一部のように違和感がない。こうして確認してみなければその存在さえ感じられないほどだった。
 ディアードに会うため向った洞窟で起こったあの日の不思議な出来事。
 そして、父カルザキア王との幻のような一瞬の再会。
(夢だったような気がする……)
 本当にそうとしか思えないほどの不思議な時間だった。

 夢などではなくあれは事実だったのだとルナを信じさせたのは、洞窟から出た時に自分の頭に残されていたこの額冠の存在だった。
 あの時、一緒に洞窟に入ったルージンらは、外に出てきた時にルナの額に白銀の冠が輝いているのを見て驚いたように、しばらく言葉を発することが出来ないでいた。
「ジーンのおかげで父が解放されたんだ。きっとこれは父からの礼の印だろう。父は奇妙な力を持っていた」
 盲目のラウセリアスだけが闇の中で、ルナの頭に触れた時、額冠の存在に最初に気づいた。
「お前の父が、私の父の敬愛する人物であること。お前が長い旅をしてこの砦に辿りついたのは私の父のためだったのだと、父は教えてくれた」
 洞窟の外で、ルナを抱き寄せ涙するラウセリアスの姿を見たルージンたちは、そこではじめて生きる屍と化していたディアードが長い苦しみから解き放たれたことを知った。
 ルージンたちはルナの頭の銀冠を交互に触りながら、外してみようと試みた。
 しかし、誰も銀冠を取り外すことが出来ないという不思議な事実がわかっただけだった。
 結局、不思議な銀の額冠は「ラウセリアスが言うとおり、解放してくれたことに対するディアードからの褒美だろう」と彼らはそう結論づけるしかなかった。
 その日は、日が暮れるまでルナは《ルーフの砦》にある泉で、水面に映る自分の顔と銀冠を飽きることなく見続けていた。
 〈銀のアルディナの指輪〉が変化したものとしか考えられないほど、額冠の装飾は酷似していた。
 ノストールの王位継承者に与えられる〈アルディナの指輪〉の半身。
 ルナは額冠に触れながら目を閉じて、カルザキア王の顔を思い浮かべる。
 浮かび上がるのは、あまり笑うことのない、厳しい顔。
 亡くなる前の「二度と、私のそばから消えるな」とルナの手をつかんで見つめてくれた優しい瞳。
 そして、一人になるルナにディアードを探せと、目的を与えてくれた声。
 ルナは、暗闇の中でディアードの人生の一部をたどった。
 壮絶な人生だった。地獄に身を投げ出し、死してなおわが子を守ろうとした凄み。
 そしてディアードの生きた記憶が、ルナの中にまるで自分の記憶のように焼き付き、残った。
 ノストールに帰れなくても、自分といつも一緒にいてくれるランレイがいる。
 そして、ハーフノーム島からずっとルナを助けて力づけてくれたネイがいる。
 苦しい時も、背中を力いっぱい叩いて「行くよ!」と明るく笑うネイに早く会いたかった。
(次の目標はネイを迎えに行くこと。そして次の目標は、それからまた考えよう)
 ディアードは息子を守ることを己に課していた。
 父カルザキア王は、ノストールの民を守ることを信念としていたに違いない。
(目標をいくつも作って、叶えていこう。そして、いつかわからないけどノストールに行こう。母上に、兄上たちに会える人になって、あのアウシュダールに会おう。どうしてみんなを殺すようなことをしたのか聞く権利はあるはずだ。そして、アウシュダールが転身人でも、アル神の御子でも僕は絶対に許さない。そう、あいつに伝えるために)
 ルナの心が決意に満たされたとき、まるでそれに呼応するように水面に揺れる銀冠が眩く輝いた。
「え?」
 目の前が一瞬真っ白になる。
 霧が満ちていた。
 ゆっくりと霧が晴れ、現れたのは山の麓に存在する小さな古城。
 銀の額冠をした人物が、冠を外していた。
 両手で包まれた銀の冠が光に包まれ、冠の形をかたどる無数の粒子となる。
 やがて、古城に舞い込んだ一陣の風にさらわれて、光の粒が舞い上がり、散っていく。
 キラキラと七色に輝く粒子は大気に吸い込まれるように散り散りとなった。
 
 光の粒を奪おうといくつもの腕が伸びていく。
 闇に光が満ちる。
 光が闇に飲み込まれる。
 混乱する星々。
 震える夜の空。
――すべては闇に帰する。すべては我が世界に染まる。
 笑い声が耳朶に囁いた。

「!」
 目の前には、水面に自分の顔が映っていた。
 顔をあげると変わらぬ風景が広がっている。
 だが、あきらかに夢とは違う感覚が体に残っていた。
(白昼夢? 幻?)
 ルナは瞼を閉じて、今見た一瞬の光景を繰り返しゆっくりとたどり、記憶に刻み込む。
 断片的な場面のその意味はわからない。
 ただ、父から受け取った額冠には意味があると思いたかった。
「あの古城はどこかにあるんだろうか…」
 ルナは知らず知らずのうちにつぶやいていた。


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