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第二十五章《 霧 の 中 の ア ン ナ 》

 アンナの一族は、ゴラ国に入国した。
 だが、首都ドクホのグルジアナ宮殿で一行を迎えたのは、オルト王ではなく、甥のウルムートだった。
 サーザキアは、王権が移ったことを事前に掌握していたが、ウルムートと謁見をした時に、想像以上の大きな災いの予兆と異変を直感した。
 それは、入国直前念入りに行なったゴラ国の異変に関しての〈先読み〉では、サーザキアをはじめ家長たち、誰一人に対しても降りてこなかった城内にたちこめる異様な空気だった。
「即位の儀とともに、〈祝福〉の儀を命じる」
 三十歳になったばかりの若いウルムートは、アンナの一行を見下すようにそう告げた。
 鞘に収まった長剣の先を床につけ、柄の上に両手を重ね、さらにその上にあごを乗せ、大きく足を開いたお世辞にも行儀のいい姿勢とはいえない格好で玉座から見下ろしている。
「先王はいかがなされたのでしょうか? 我等はオルト王からの要請を受け参りました。国内事情はわかりませんがお話だけでもお聞かせ願えるでしょうか」
 サーザキアの問いかけに、ウルムートはあきれたように鼻で笑った。
「アンナの一族は何でも見通す目を持っているのではないのか? それとも、私の思い込みだったのかな? まさか、私が即位したなったことに不服があるとでも申すか?」
「アンナは占術を行ないます。ですが、すべてを見通すわけではございません。星の運行、自然の理、そして天のご意思。それらが〈先読み〉を行なわせます。どなたが即位をされても、王位に関してご意見をする資格は持ってはおりませぬ」
「そのくらいは知っている」
 ウルムートは、憮然とした顔をつくった。
「叔父のオルトは粛清した。長い間ナイアデスのご機嫌取り尽くしてきたおかげで、わが国の財政底をついた。国庫は常に蓄えのないありさまだ。そこにあのミゼア砂嵐。リンセンテートスの愚かなラシル王が、わが国を出し抜こうとハリアの姫をナイアデスに横流しした揚げ句、ビアン神の怒りを買って二年間もの砂嵐を引き起こした。おかげでリンセンテートスは全土にわたって混乱し、ミゼア砂漠を流通の要としているこのゴラも甚大な被害不利益をこうむった」
 ウルムートは苦虫を噛み潰したような顔をつくる。
「田畑は荒れ、作物は砂まみれで実がならない。民は病死や飢え死にして人手は激減した。その上、山賊や盗賊、馬鹿な貴族の覆面賊が正義面して王家や諸国の領主を冒涜する暴挙に出る。おまけにどこからかから女子供を誘拐し、奴隷として人身売買が横行し、それがゴラでは取り締まられることもなく公然の商売として表通りで行なわれることも珍しくはなくなった。ワイロは当然、役人が勝手に決めた重税を課す。まっとうな商売は出来ないと他国に逃げ出す商人まで出る始末だ。国益を損ね、すべてを失ってしまう手前まで来ても叔父はナイアデスやリンセンテートスに文句を言うわけでも、国のために手を打つわけでもない。やったのはただ玉座にしがみついていただけだ」
 サーザキアはゴラの荒れ果てた惨状を実際に目にした直後だっただけに、ウルムートの言葉には説得力があった。
「しかも、……。ハッ」
 ウルムートは、一声肩で笑うと、唾を床にはき捨てた。
「なにを思ったか、子の生まれぬフェリエスに側妃として我が親族の女を五、六人まとめて差し出したいなど気の狂ったことを言い出した。ナイアデスの属国同然に落ちぶれても玉座にしがみつく叔父をみて、意を決めたまでだ」
 サーザキアは意気揚々と語るウルムートをじっと見ていた。
 後に知ることとなるのだが、ウルムートは、この時すでに王であったオルト王だけではなく、その兄弟と子供を殺していた。つまり、自分の実の父親も含め、従兄弟、甥。自分と家族以外の直系男子を殺害、または追放しているのだ。
「こうなったのも叔父や歴代の王たちの生ぬるいやり方がすべての原因であり責任だ。私はゴラ国をどのような国にすべきかを心得ている。どの国よりも強く出来る。ナイアデスの干渉にも、ハリアからの圧力にも屈せず、逆に、このゴラの重要さを思い知らせてやるのだ」
 ウルムートは、語りながら顔を紅潮させていった。
「わがゴラ国は、火の神・サラバンティ神の民だ。火は小さい炎であろうとも、やがてすべてを焼き尽くす巨大な炎となる。わが国は、その火の民として、すべてを制す」
「〈クルクスの指輪〉が私に呼びかけたのだ。お前が王となりゴラの力を蘇らせるのだ、とな」
 血走った灰色の瞳が、酔ったようにサーザキアを見つめる。
「そなたの望みどおり、説明はしてやった。あとはアンナの一族による即位の儀を行なう。そして、私に守護妖獣を与える〈祝福〉の儀を執り行う準備をしろ。そなたたらの逗留にはこのグルジアナ宮殿内にある館を用意する。そこを使え」
「恐れながらウルムート陛下」
 サーザキアは静かに告げる。
「儀式は幾日もかかるわけではございません。数日のうちにて行なわれます故、我等一族、ふさわしい日を選び、準備を進めます。それまでは城外にて過ごさせていただきたく存じます。また、それが慣わしでございます」
 ウルムートは、短く舌打ちした。
「ノストールは特別だというのか? 聞くところによると、あの小国にはそなたらの為に用意された館があるというではないか」
 やや怒気を含んだ声が唸るように問いかける。
 サーザキアは、ノストールのことには触れず、穏やかだがある重みのある言葉で、ウルムートの申し出をやんわりと拒んだ。
「アンナの掟は、代々受け継がれしもの。例え国王、皇帝、何人であれ縛りをなさない契約。それが故に、王家の指輪の状態を読み、知らせ。また、〈祝福〉を行なう力を天より受けております。お心はお受けいたしますので、我等が城外にて留まることをお認め下さい」
 だが、ウルムートは音を立てて玉座から立ち上がると、謁見の間に響きわたるほどの怒号で叫んだ。
「ならん。そなたたちはしばらくの間このグルジアナに留まるのだ。私の許可なく宮殿外に出ることも許さん」
「王よ」
 サーザキアはひざまずいていた体をゆっくりと起こし、立ち上がる。
 後ろに従っていた三人の家長と、十名のアンナたちも立ち上がる。
「アンナはどの国にも属さず、どの国の王族にも求められれば〈祝福〉を行ないます。しかし、我等を拘束されることは天が許しませぬ」
 その時、若い将校がウルムートに近づき、深々と一礼をし、サーザキアに向き直った。
 ハルラート侯爵である、と廷臣が告げる。
「陛下のお言葉を、誤解をしないで頂きたい」
 感情の起伏を感じさせない、抑揚の無い言葉がその場の空気を一変させる。
「アンナの一族を統べられる大長老ともあろうお方が、わが国の言い伝えをお忘れでありましょうか。王の最初の賓客は最上の礼を持ってもてなし、決して追い払うようなことはあってはならないことを」
 声は、決して大きくはないのに謁見の間の隅々にまで響き渡った。
 ウルムートは、そのハルラート侯爵が現れると、先ほどまでの興奮が消え去ったようにおおらかな笑みを浮べていた。
「その通りだ。そなたたちは私が王位についての初めての客だ。わが国には、最初の客には火を灯し、サラバンティ神の慈悲を心行くまで味わい、送り出すことがならわし。それが一家や国の繁栄を与える。逆に、例え悪人であろうと、物乞いであろうと、敵国の王であろうとも、最初の客に灯さえも与えず、サラバンティ神の存在を自分だけのものとし、隠し、冷たく追い払えば、国は滅びる」
 どうだ、と目で語りかけるウルムートに、サーザキアはゆっくりと頭を垂れた。
「存じております。サラバンティ神はすべての民のために存在することを願っておいでの慈悲深き神」
「では、このウルムートの最初の客であるそなた。アンナ一族の大長老であり、ラーサイル大陸すべてのアンナが仰ぐ大神官とそなたのアンナの一族を、心よりもてなさせてほしいという申し出を、まさか断るなどとは言うまいな」
「…………」
 サーザキアは、ゆっくりと顔を上げた。
「サラバンティ神の定めしお言葉をゴラ国代々の王に伝えしは、わがアンナの一族でございます。アンナの一族の掟は守られなくてはなりませんが、神が守護すべき国の繁栄のために下されたお言葉に逆らうわけには参りませぬ」
「では、承諾してくれるな」
「御意に」
 そして、サーザキアはウルムートの最初の賓客として城内に留まることになった。
 だがそれからしばらくして、長サーザキア一行の姿を、見たものはいなかった。


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