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第二十五章《 霧 の 中 の ア ン ナ 》

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 ミゼア山は、ゴラ、セルグ、リンセンテートスとの三国の国境を有し、さらに北へと伸びる尾根はナイアデス皇国へと連なる一つの国に匹敵する規模をもつ連峰をさす総称だった。
 太古の神々がいた時代、ひとつの稜線を描く巨大な神の山であったと信じられている。
 神々が終焉を迎えたとき、大爆発とともに上部半分は吹き飛び、世界へ散った。
 残された大小様々な険しい山と広大な樹海、幾筋もの川や滝が存在するこの広大な一帯を人々は、今も畏敬の念を込めてミゼア山と呼ぶ。
 ミゼア山を大きく迂回し、ゴラ、セルグ、リンセンテートス三国を結ぶサルディーナ円環街道が安全な交易路として存在したが、危険を承知で近道となるミゼア山を越える者や隊商も多かった。
 そうした人間を狙う無法者たちがやがて山に住み着き、やがて派生的に多くの盗賊団が誕生していった。なかでも最も巨大な勢力を有する組織化した盗賊集団が《ルーフの砦》だった。
 
 ナイアデス皇国から、皇帝フェリエスの命を受けて、ジーンをナイアデス皇国に連れていくためにイズナはミゼア山に入り込んだ。
 そして失月夜に、ようやく再会を果たした時、盗賊団とともにいたジーンは、イズナに麓で待つように告げたのだ。
 強引に拘束して連れて行くにも、盗賊たちに取り囲まれているといった悪条件下にあり、いわれるがままゴラの国境に近い、麓の村にあるという旅宿に待機するほか選択の余地はなかった。
 そのイズナのもとに、《ルーフの砦》のギルックと名乗る少年が訪ねてきた。
 部下からそのことを伝えられるとイズナは嫌な予感にかられた。
――来ていないということか。
 銀色の髪と翠色の大きな瞳と泣き顔だけがやけに印象に残るジーンと、口のきけないというランレイの洞察するような大人びた茶色い瞳が思い出される。
 窓の外を眺めながらしばらく思案していたイズナは、やがて足早にギルックが待っているという宿の外に出た。
 そこには十四、五歳くらいの少年がいた。まだ顔にそばかすが残っているもののふてぶてしい面構えをしているが、イズナから見れば小僧の部類でしかない。
「あんたがイズナ?」
 宿の壁にもたれかかり、腕を組んだまま一人立っていた少年は、部下と一緒に現れたイズナを見ると、片方の眉を上げる。
「そうだ。ジーンは一緒か」
 イズナは、ギルックの不遜な態度も気に留めない様子で見下ろす。
「『悪いけど、約束は守れなくなった。一緒には行けないと伝えてくれ』とさ。じゃあな」
 ギルックは、役目が終ったとばかりにそう言うと、イズナの返事も待たずに背中を向け、走り出そうとした。
「待て」
 鋭い声にギルックは立ち止まった。背中に冷たいものが流れるのを感じる。
「なんだよ」
 イズナの呼びかけに、背を向けたまま返事をする。
 命の恩人のジーンの頼みとはいえ、貴族相手に山賊だと名乗り出たのだから、一歩間違えれば殺されかねない。
 言うだけ言ってさっさと退散する予定だったのだ。
 最悪、殺されれば、隠れてなりゆきを見守っている仲間がルージンに伝えるだろう。
 だが、イズナの口から出た次の言葉は予想外のもので、ギルックは耳を疑った。
「山越えの使いご苦労だったな。メシでも食っていけ。上手い酒もある。そこらへんに隠れている仲間の分も用意させるぞ」
 呆然としたまま振り返り、改めて相手を見た時、その指先から何かが弾けて宙に高々と飛び、放物線を描いてギルックの手の中に収まった。
「ここらでメシを食えるのはこの宿だけだ。別にお前ら下っ端を捕まえても俺には何の得もないからな。心配せずに食っていけ」
 握った手を開くと一枚の金貨が輝いていた。 
 ギルックはゴクリと唾を呑み込んだ。
 盗賊暮らしは長いが、盗んだ分け前として与えられる報酬は良くてやっと銀貨一枚。ほとんどは銅貨だった。
 金貨は見ることはあっても、自分のものになることはなかった。
 回り道をすれば倍はかかる距離を、断崖絶壁の険しい道のりを経て、やっとたどり着いたのだ。
 腹も減っていた。酒も最近は口を湿らす程度にしか味わっていない。
 ゴクリ、と咽がなった。
(砦の秘密を口にしなけりゃ大丈夫かな。いや、騙されちゃだめだ)
 心の中で自制と欲望が振り子のように大きく揺れる。
(でも、ルージンもカイトーゼも俺を連れて行ってくれなかったし……)
「ついでに女も用意しようか?」
 誘惑には勝てなかった。

 隠れていた仲間達も呼び、イズナたちと食事をし、酒を酌み交わすうちに、ギルックは自分が考えていた貴族と違い話がわかる相手に機嫌がよくなっていた。
 最初は毒でも盛られるのかと警戒していたが、それもなく。
 《ルーフの砦》に関して聞かれても答えるまいと用心していたが、イズナの関心はジーンにしかないようだと知って、少し安心する。しかも、死にかけていたジーンを屋敷に連れ帰って介抱したのだという話を聞くと、自分の方が、本当のジーンを知っているという優越感がわいてきた。
 そんな時に、お前たちはジーンを知らないのだろうから命がけで自分を訪ねてくる義理もないだろうにと水を向けられ、ついつい二人の出会いを自慢げに話しだしていた。
 イズナが興味深そうに聞きながら、呑んだこともないうまい酒をすすめるので、ギルックはほぼ酩酊状態になった。
 それでも《ルーフの砦》の話はしないと誓っていたので、なぜか、ゴラ国に出没している盗賊団や覆面集団メイハーナの話題になった時は気が楽になって食いついた。
 イズナはメイハーナについて知りたがっていた。
 もう随分前から、ゴラの首都から遠くはなれた地方にある村や集落では、女子供がさらわれ、病人や老人を殺しては去っていく集団が出没しては、人々を恐怖に陥れているというのだ。
 奇妙なことには、金銭にはまったく見向きもしない。しかも、犯罪者を取り締まる役人達は積極的に犯人逮捕に動かない。
 徐々に人々は、貴族の子弟らの仕業だと気がつき始めた。
 けれど、まったく異なるとしか思えない話もある、と。
 城下や地方都市に出没しては、町で人々を苦しめる犯罪者や組織に対して私的制裁を加えて、英雄視されているというのだ。
 同じ名称を持ちながら、一方は民を苦しめ、一方は貴族に制裁をし喝采を浴びる。
 地方では無法者の犯罪組織集団、城下や地方都市では義賊。
 《ルーフの砦》も同様なのかと、問われて、ギルックは険しい表情を見せた。
「《ルーフの砦》の頭や参謀は村のために山を選んだ。お前ら貴族にはわからないだろうけどな、貧しい村は自衛をする余裕さえないんだ。収穫した蔵を襲われ、重税に血を吐く思いでのたうち回っている。なのに外からは、賊にいいように荒らされ、女子供は慰み者にされる。でも役人は知らん顔だ。いいか、これだけは覚えておけ、砦は村は襲わない。村を襲う奴ら、金のある奴ら、賄賂で美味い飯を食っている奴らから金をとり返しているだけだ。施しを与えるなんて上品な真似はしねえけどな。少なくても死にそうな顔をしている年寄りや病人を殴って金を奪う真似ことはしねぇんだよ」
 ミゼア山の麓にある国境沿いの貧しい村には、《ルーフの砦》の山賊たちの故郷も数多くあり、彼らは故郷の村の様子を見に行くことも多かった。
 特に今回は同時期にいくつもの村が襲われ、女たちがさらわれたという知らせが飛び込んできたため、名前のあがった村出身の男達が急遽、山をおりて村へ行くために砦を出たというのだ。
 ジーンだって、《ルーフの砦》での目的を果たしたてリンセンテートスに引き返す予定だったのを、飛び込んできたゴラの村の話を耳にして、一緒に行ったくれたのだと勢いで喋ってしまっていた。
「本当は俺だって行きたかったんだ」
 愚癡を言うギルックにイズナは、不敵な笑みを浮かべた。
「よし、酒を酌み交わした仲だ。俺が一緒に行ってやる。ゴラへの入国は何とでも出来るからな。目的地さえわかれば、公道を使って馬を手に入れれば早くたどり着ける。お前も、仲間やジーンにいいところを見せてやれるだろう」
 翌朝、ひどい二日酔いから醒めたときは、手遅れだった。
 ギルックとその仲間三人は、イズナたちとともにゴラ国へ向って宿を出るための身支度を手伝わされるはめになった。
「女なんていなかったじゃねえか」
 ぶつぶついうギルックにイズナはからからと笑って見せた。
「いただろう。五十年前は村一番の美女だと。メシを運んでくれた婆さんが自慢してたよ」
「詐欺師」
「俺は若い女だとは言わなかった。生まれたての赤ん坊も、死にかけた婆さんも、女は女だ」
「ちぇー」
「ならず者から詐欺師と呼ばれるとは心外だ。だが、ジーンに引き合わせる役割を果たしたなら、あと一枚ずつ全員に金貨を渡してやる。言っておくが、俺たちから金を盗んで逃げようとか考えるなよ。少しでも怪しいそぶりを見せたら、お前らの首だけじゃなく、その時はナイアデス皇国が総力をあげて盗賊団《ルーフの砦》をミゼア山から根絶やしにしてやる」
 イズナの前髪で隠れていない黒い瞳が、冷酷に光り、ギルックの軽口を一蹴した。


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