第二十三章《 時 を 待 つ 影 》
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アウシュダールは闇の中にいた。
闇は徐々に薄くなり光が差し込んでくる、やがて視界は空からアルティナ城を見下ろすものとなった。
意識を向けさえすれば、どこに誰がいるのか、なにをしているのか、手に取るようにわかる。
アウシュダールは意識を失って倒れた自分の体を探した。体は、メイベルの乗ってきた馬車の中、先導するクロトと側近たちの馬とともに城の正門へと駆けこんでいくところだった。
それを確認すると、次にアルティナ城にいるテセウスとアルクメーネを探す。テセウスは執務中であり、アルクメーネは図書室にいるはずだった。
(……いない?)
城内から外へと思念を広げていくが、奇妙なことに二人の兄たちの姿はどこにも見当たらなかった。
(?)
意外な状況に、アウシュダールはいぶかしみながら、水面に水滴を落とし波紋を作り出していくように思念を同心円状に外側へと広げていく。
波紋の消える奇妙な場所が数箇所あるが、そこは以前アンナの一族が外敵から国を守るために結界を施してある場所だったがそこに人の気配はない。さらに、ゆっくりと、見落とすことがないよう、撫でるようにその思念をさらに広げる。
途中、ドルワーフ湖に差し掛かるとアウシュダールの眉間がピクリと反応した。
「またか……」
ドルワーフ湖周辺の森から、刺すような無数の禍々しい感触が天空にあるアウシュダールの意識に向って伸びてきたのだ。どうして自分の存在がわかるものなのか、遠慮なく思念体に触れてこようとする気配をアウシュダールは取り合わないよう無視をする。
城の近くにあるこの森は、雑草の如く沸き続ける小妖獣で満ち溢れていた。
何度となく一掃を試みているのだが、滅しても、滅しても闇の存在に近い小妖獣たちはどこから沸いてくるのか、一向に減ることがなかった。
それどころか、アウシュダールが思念体となって意識を空に放つたびに、敏感に察知しては群れとなって集まってくる。小妖獣たちは隙あらばアウシュダールの意識に触れ、取り込もうとするように近づいて来るのだ。
一つ一つは雑魚にも値しない存在だった。
だが、追い払い、振りほどいても尚、執拗さを増す厄介な存在だった。例え大群を一瞬にして消滅しても、更にその下から次々と湧き上がって来る。
まるで、森の中に無尽蔵の穴があるように、アウシュダールの力に吸い寄せられ、その力を少しでも得ようとしているかのように。
そうした、得体の知れない小妖獣がこの森には無数に溢れかえっていた。
その為、アウシュダールはこの森付近一帯を立入禁止区とし、メイベルに人が立ち入れぬよう結界を施させた。
アルティナ城の近くであることを考えれば当然のことではあったが、一方で、転身人であるアウシュダールの力をもってしても排除できない存在があることを知れば民は「転身人」に失望を抱くことは目に見えていた。
たとえアウシュダールが、何千、何億という数の妖獣を退治している事実があったとしても、シルク・トトゥ神の転身人の傍らに妖獣が住み着いているというそれだけの「事実」が全てを打ち消すだろう。
頭の痛い厄介ごとのひとつだった。
(やつら…今日は比較的おとなしいな……)
アウシュダールがそう感じた次の瞬間、視界が突然真っ白になった。
次いで、漆黒の闇が全てを覆う。
ねじれの感覚が全身を襲い、闇の中に包まれた。
視界のすべては、闇は月のない夜よりも漆黒であり、暗闇以外はなにも感じられない。濃淡も他の存在さえもなにもない闇がすべてをとりまく。
この現象を何度も経験をしているアウシュダールは、いつしかこの闇を心地よく感じるようになっていた。
〈遠眼〉は常に、この闇の向こうにあるからだ。
視界は始まりと同じように唐突に終わりを告げた。
目の前に出現した光景は、アウシュダールの知るノストールとは、まったく別の風景を映し出していた。
眼下には、見たことのない地形。
ノストールにはない針葉樹の広大な森と草原、その大地を大河のゆるやかな流れが分断していた。
ラーサイル大陸の全体図が脳裏に浮かび、そしてある国が明るく浮かび上がる。
国境地帯――。
そんな言葉がはっきりと浮かぶ。
ハリア公国――
ナイアデス皇国――
アウシュダールは、今まさにその二つの国を見下ろす上空にいることを知った。
一見、自分の意思とは無関係に引き込まれたかにも思える、この〈遠眼〉に注意を払いつつも、興味を持ちながら見下ろす。
初めてではなかった。
思念を飛ばしている時に、引き寄せられるように訪れた場所は何度もあったからだ。
そこには常に興味深い出来事が待っていた。
だが、今回は起こるべき出来事はなかなか起きない。
――た…す……けて
「?」
奇妙なくぐもった声が、強風に吹き消されてもおかしくないほど遠くかすかにアウシュダールの耳に届いた。
聞き落としてもおかしくないほどの消え入る寸前の声。
(…………)
アウシュダールは、その声の発せられた場所を感じ取ると、自らの意思で闇の空間に戻った。そして、意識を針の先端のように集中させ声の発せられた場所を探しだす。
闇の通路には空間移動だけではなく、過去・現在・未来の時が混在していることをアウシュダールは感じ取っていた。
三つの時は「時の神」イル神が支配するといわれているが、その姿を見たものは誰もいない。
声は奇妙なことに、いくつもある闇の流れの込んでいる坩堝の中から聞こえたものであることをアウシュダールは感じ取った。
闇の中で完全に沈みきることも出来ずに溺れ、あえいでいる人の思念。決して自力では脱出できない場所に落ち、もがき、苦しんでいる者。
(…………)
アウシュダールは、この特異な闇の世界の一部に存在する人間の存在を冷静に分析していた。
(土の魔道士の中には、闇の通路へ届く入口を造ることができる者がいるらしい……。この闇に飛び込ませることはかろうじて出来たとしても、再び光の世界に人を送り込むのは、人知を超えた大いなる力が関与しなれば成し遂げられない。そう、神の力を除いては……)
人間から放たれる腐乱した土の臭いを感じて、アウシュダールは慎重にその思念に向けて触手を伸ばしてみる。
思念は、男の者だった。
何者かを探るために意識の中にもぐりこもうと試みたが、男の意識はひどく希薄で拡散し朦朧としていた。記憶も前後不覚の混濁状態にあるため、巻き込まれれば危険だと察知して一度離れる。
(気に入らないな)
アウシュダールは、不快さを覚えた。
この闇に紛れ込んだのは、男のしわざではないと、意識に触れた段階ですぐにわかった。土の魔道士が関わっている、と。
そしてしばし思索をする。
(この男を見過ごし、放っておくことは簡単だが……)
アウシュダールは、意識のない男に、自分の力の一部を注ぎ込んだ。
(闇の中で蠢いている者に光を当て、その正体をさらす必要がある……)
混濁してしいた意識が徐々に落ち着きを取り戻していく。
アウシュダールは男に呼びかけた。
――お前は何者だ?
男は突然問いかけられて、戸惑っているようだった。
――何故ここにいる。ここは神の支配する空間だ。名乗り、答えよ。
男の思念は揺らめくように大きくうなずいた。
――名は?
「ジュゼール……」
――どこから来た?
「どこ……?」
――お前の国だ。
「ダーナン帝国……」
――目的は何だ?
「目的……?」
アウシュダールの問いかけに、男はしばらく途方にくれたように言葉を失い、やがて悲しげに答えた。
「私は……裏切り者。逃亡者だ……。目的など……」
――身分は?
「将軍」
アウシュダールは、男の言葉を奇妙に受け止めた。国を追われた将軍が、土の魔道士の力をかりて、闇の世界に迷い込んだことになる。
――お前が直接仕えている人物は誰だ?
しばらくの間、男はためらうように、拒むように抵抗を試みているようだった。
――答えよ。お前は私の言葉を拒否することはできない。
アウシュダールの命令にジュゼールは、苦しげに口を開いた。
「陛下……。ロディ陛下……」
――ロディ・ザイネス直属の部下か?
アウシュダールが過去にリンセンテートス国境線で争い、追い払った相手の名が告げられた瞬間、アウシュダールの思念体は突然その場所から離脱した。
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