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第二十二章《 遥 か な る 想 い 》

 翌日、早朝から姿を見せたアルクメーネとクロトを、テセウスは不思議そうな顔をして朝食の席で迎えた。
「二人が一緒なのも珍しいが、ダイキがアルクメーネに騎乗を許したというのは一体……」
「それは、私自身も驚きました。生まれてはじめての体験でした。カイチに乗ることなどありませんでしたので、守護妖獣がこれほどの速さで瞬く間に疾走するのには、驚くという言葉では足りないほど。まるで風になったような心地です。クロトをはじめて羨ましいと思いましたよ」
 急いで用意されたパンを、アルクメーネは優雅に口元に運びながら、隣りの席のクロトに視線を送る。
「ここしばらく、所用があって私が兄上の足を引きとめてしまいましたのでそのお詫びです。アルクメーネ兄上だけでしたら、着くのが十日後になってしまいますし」
 そう少し鼻を高くしてみせつつ、クロトは兄の居城を出る間際の会話を思い起こす。
「ダイキが乗せてくれれば、日帰りですむ旅なのですがね」とアルクメーネが冗談気味に言ったのだ。
「珍しいことを言いますね」
 クロトが戸惑って返事をした直後、黒馬ダイキが突然二人の前に出現した。
 そして、どうぞと言わんばかりにアルクメーネの前に頭を垂れるという、クロトが唖然とする行為をしてみせたのだ。
 しかも、まるでダイキがそうした行動にでることを見越していたような、アルクメーネの澄ましたまま微笑む表情にクロトはわけがわからなくなった。
「アルクメーネ兄上?」
「ほら、ダイキの許しが出ましたよ」
 クロトは頭をかながら、大きくため息を吐き出した。
 なんとも複雑な心境だったのだ。
 
「では、今度は私もお願いしたいですね」
 クロトの正面に座るアウシュダールが、にこやかな笑顔で会話に加わる。
「しかし、どのような所用だったのですか? アルクメーネ兄上が時間を要するほどの出来事ですか?」
「そうだな。どんなことだ?」
 テセウスも興味を惹かれたようにアルクメーネとクロトを見る。
「外門の麓の森で火災が発生したのです。自然発生のものかもしれませんが、侵入者がいないとも限らないので、その調査をしていました。その時のことですが……」
 アルクメーネは、国産の紅茶の入ったティーカップを口元に運びながら学者のような面持ちでそう答えた後、ふと口をつぐんだ。
「?」
 テセウスとアウシュダールが怪訝そうな表情で、アルクメーネの次の言葉を待つ。
「いえ……、後にしましょう。守護妖獣に関することですし、話が長くなりますと午前中のご公務に支障がきたされますので、本題は昼食の時に。私たちも午前中は母上にご挨拶に伺いたいと考えています」
「ああ、そうだな」
 テセウスは、ややはぐらかされたようなやりとりに、だが実際に弟たちとの昼食のためには午前中に公務を詰め込まなくてはならないこともあり、食事を終えるとアウシュダールを伴って退席していった。
 二人を見送ったあと、アルクメーネとクロトは皇太后の身となった母ラマイネ妃の部屋を訪ねた。
 母ラマイネは、相変わらず沈んだ表情で窓のそばの椅子に腰掛けたまま、外を見続けていた。
 守護妖獣のネフタンが姿を消してからは、進んで自らの意志を伝えようとすることをしなくなっていた。
 せめて筆談をとペンを渡したことがあったのだが、スプーンやフォークを使えるその指が、ペンを手にした時にだけ手に力が入らないかのように、落としてしまうのだ。
 ラマイネ皇太后は何度か試みた後はあきらめたようにペンをとろうとはしなくなった。
 夫であるカルザキア王を失った心の病がそうさせているのだと、アウシュダールは悲しげに兄たちに告げた。
 それは、心の力のなせる病であるため、アウシュダールがの力をつくしても解決できないことなのだと。
「母上、お健やかでいらっしゃいますか?」
 二人が声をかけたときだけ、悲しげに頷き、微笑む。
 それがなお周囲の者の悲しみをさそう。
「人払いを願います」
 アルクメーネは、母の傍で使える者達を部屋の外へ一人も残さず出してしまうと、窓際に近づき、母が見ているものを探すように外を見下ろす。
「母上はいつもこうして何を見ていらっしゃるのですか?」
 クロトもそれに習って窓の外を見る。
「その……母上は、セレという侍女をご存知ですか?」
 ひとりごとをいうようなアルクメーネのつぶやきに、ラマイネ妃は苦しそうにゆっくりと右手で胸もとを抑えた。
「大丈夫ですか?」
 ラマイネ妃は耐えるように、静かに深呼吸を繰り返し、青く美しい瞳で真っ直ぐにアルクメーネを見つめた。
 母が長い眠りについて以来、そして父カルザキア王の死別とともに目覚めて以来、アルクメーネはいま初めて母と視線を合わせたのだと気がつく。
 長い間だった。
 母の眠りの理由も、目覚めの理由もすべては謎のままであり、その真実を知る者はだれもいなかった。
「母上は……セレという名をご存知なのですね?」
 再び問いかけてみるが、ラマイネ妃は頷くことも、否定することもすることもせずにアルクメーネの瞳をただまっすぐに見つめていた。
「答えないことが……答えと、カイチが言ったことがあります。母上もなにかご存知なのに、答えていただくことが出来ないのですか?」
 その言葉に、瞳の奥に一瞬だけあたたかな光がふわりと現れ、すぐに悲しみの色に染まるのをアルクメーネは見逃さなかった。
「母上……」
 アルクメーネは深く息を呑み込んだ。心の中に熱いものが広がっていくのを感じる。
(母上はご存知なのだ……。セレという侍女頭を……) 
 やがて、ラマイネ妃のその視線はアルクメーネから離れ、ゆっくりとクロトに移った。

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