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 ゴラ国から来ている王族諸侯の一行と晩餐を終えたテセウスは、アウシュダールの妙に落ち着かない姿に、別客との食後のお茶の約束を前に声をかけた。
「晩餐会の時も、その前の接見の時も、なにか気がそぞろになっている様子だけれど、気になることがあるのですか?」
「いえ」
 アウシュダールは、少し驚いた表情を浮かべたがすぐにいつもの冷静な表情に笑顔を浮かべて答えた。
「いいえ。それより陛下、明日から少し遠出をしようと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「どこに?」
「ノル・シュナイダー城へ。最近の国境警備の様子なども気にかかりますし」
「ああ、ではちょうど良かった」
 テセウスは、疲れたような笑みを浮かべる。
「アルクメーネとクロトには城に来るように数日前に伝令を出してある。近々こちらに来るだろう。久々に兄弟四人で話をと思って呼んでおいた」
「そうだったのですか」
 アウシュダールは、この守護妖獣を擁する兄たちの心を読み透かすことの出来ない自分に苛立ちを覚えてもいた。
 他の人間の場合は、アンナのメイベルに対してでさえも何を考えているのかはその気になれば、手にとるように読み取ることが可能だった。
 だが、テセウスをはじめ、守護妖獣を得ている王族に関しても同様だった。表情の動きや言葉から多くの情報は読み取れても、心の動きまでは読み取れないのだ。
 特に、ナイアデス皇国のフェリエスと出会った時は、一抹の歯がゆさを感じたのは事実だった。
 だからこそ、神の転身人の目覚めを予感させる人物に対しては、覚醒が行なわれる前に徹底的に屈服させたいと望んだのだ。
「四人でゆっくりと食事をすることもひさしいからな。楽しみだろう」
「はい、陛下。では兄上達のご到着を楽しみにしております」
 アウシュダールは、優雅に一礼すると通路へと姿を消していった。

 庭園の一角、人目のない場所で、アウシュダールは一本の大木に向き合うようにして呪文を唱えた。
 しばらくすると、暗闇の中に人影が現れ片膝をおってアウシュダールに頭を下げる。
「やっかいごとは片付いたのだな」
「はい。ご指示のとおりアウシュダール様の〈祝福〉以前に関わる、庶民の間に広がっていた王子に関わる噂や、それを知る人物はほぼ処分を致しました」
「ほぼ……というのは、どういうことだ? 根絶やしにしろと命じた」
「はっ。ですが、国外は難しく。探しておりますランレイなる人物の居場所がいまだ判明しておりません。また、他国を流浪しているアンナの一族は、アウシュダール様と面識がなく……」
「その件は承知している。まずは国内だ。王子が銀色の髪だったという厄介な風聞は、アル神の神話になぞられてなかなか消えない。私の髪を銀色の髪に染められればよいが、それは無理だ。他国からの客の出入りが多くなると、ほんのわずかな噂も邪魔になる。始末命しずらい相手ならば、私のもとに連れて来い。その記憶を抹消する」
 怜悧な刃物のような言葉が、闇の中で佇む男に告げる。
「ナイアデスのフェリエスにも、ハリアのエリルにも、ダーナンのロディにも、私がおとなしい飼い猫と思わせておく。もうじき私の待ち続けた時がやって来るまではな。その時こそこのシルク・トトゥの転身人としての力をラーサイル全土に知らしめる時となる。いいな、細心の注意を払い、準備を怠るな。そして、引き続き、私の存在を否定するような存在はすべて抹消しろ」
「はっ」
 男は、さらに低く頭を下げるとそのまま闇の中に消えていった。
「……嫌な予感がする」
 アウシュダールは、目を細めた。
「読めない……。フェリエスにまつわることか、それとも兄上たちに関係することなのか…」
 見えないものを見ようとするように、その瞼はゆっくりと閉ざされる。
(そういえば、先日ゴラ国とセルグ国の国境線にもなっているミゼア山を中心に、失月夜があったと聞く。月が蝕されていく夜か……)
 夜空に浮かぶ消え入りそうな細い三日月を頭上に感じながらアウシュダールは、自身の力の届く限りに思念を送り出す。
「…………」
 誰にも聞き取れないほどのつぶやきが唇からため息のようにこぼれ落ちた。
 まるでアウシュダールが水面に落としたひとつぶの水滴のように、やがてその輪は幾重にも広がり、輪を描いてどこまでも広がっていく。 
 留まるところなく広がっていく美しい輪。
 だが、いままでよどむことのなかったその完全なる輪のほんの一点が消失した。
 水面に浮かんだ輪なら誰も気がつかないほどのわずかな小さな空白。
 アウシュダールは、眉をひそめる。
 輪の一点は、なにかにぶつかってゆがんだわけでもなく、またさえぎられたものでもなかった。
 抵抗も、圧力もなく、ただ消えた。
(気にするほどでもない……が、油断はしない)
 アウシュダールは口元に笑みを浮かべた。
 今のノストール王国で彼の支配の及ばぬ場所はなかった。
(そう……それがたとえ、兄上たちの中にあろうとも)

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