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第二十二章《 遥 か な る 想 い 》

 アルクメーネは、城の兵士等に森の異変を伝えすぐに隊を編成して後を追うように命じると、クロトと二人で馬に飛び乗り森へと向かった。
 クロトの守護妖獣ダイキであれば、瞬く間にその現場に到達できるのだが、ダイキは森の中へは絶対に一緒に来ないと聞いたばかりだったことから、アルクメーネは数頭いる自分の愛馬のうちの一頭の手綱を渡し、騎乗させた。
 守護妖獣ダイキが馬であるためか、クロトはあらゆる馬を自由に乗りこなし、従えることが可能だった。
 二人は、クロトがいつも訪れる麓の森林地帯を一望できる小高い丘の上へとたどり着いた。
「兄上、こちらからです」
 クロトに先導され、とアルクメーネは森の中へと入っていった。
 樹海と呼ばれる森の中は、しばらく進むと上空が幾重にも木々に覆われて日が差さずにひどく暗かった。
 空もあるはずの山も見えない。大小の木々と地面を多いつくす草むら。倒れている大木を乗り越え、小川を越え、背の高い草や木から垂れているつるを剣で打ち払いながら進んでいるとやがて方向感覚が失われていく。
 先を走るクロトがいなければ、アルクメーネは準備なくしてはこの樹海には入り込んではいけないと感じた。
 クロトの背中には迷いがない。
 アルクメーネとクロトを乗せた二頭の馬は、確実に煙の立ち上る方向へと向かっていた。
 やがて木々の間から、赤い炎が見え隠れしはじめた。
 期せずして二人の脳裏に、過去のシャンバリア村での大火災が蘇える。
 父カルザキア王の指揮のもと、総出での消火作業が行われた時のことを。
 シルク・トトゥ神の転身人がノストール王国に誕生しているとの他国の予言があり、五歳になる少年たちを他国の者の手から守るために城に集めている時期だったと、アルクメーネは思い出す。
(すべては、あの日を境に変化していったような気がする……)
 白と黒い煙が混ざり合い空に立ち上っていく光景に、背筋を悪寒が駆け抜けていくのを感じ、アルクメーネはカイチに思念を送った。
(カイチ……!?)
 だが、クロトの話同様、クロトの守護妖獣・黒馬ダイキと同じように気配はあるのにアルクメーネの守護妖獣カイチも姿を現さない。
―――時に……答えない、ということが、そのまま答えである場合もあるということです。
 前を走るクロトの馬上の背中を見ながら、アルクメーネは嫌な感覚が走り抜けるのを禁じえなかった。
(守護妖獣が近づかない場所……。それがこの森……。近づきたくない理由はどんなものなのだろう。守護妖獣たちが拒否をする理由はどのようなものなのだろう……?)
 アルクメーネはナイアデス皇国以来のカイチとのやりとりを思い出す。
 カイチは帰国後も、ナイアデスでのフェリエスやイズナたちとの話などの思索には協力的に力をかしてくれたり、参考点や疑問を投げかけてくれた。
 しかし、ことイズナの領地で出会ったジーンとランレイの二人のことに話が及ぶと、まったくといっていいほど反応を示さなくなっていたのだ。
 とくに、あの二日間の話題にふれようとするだけでも完全無視を決め込んで姿を消してしまい、まったく受け付けない気配を漂わせる。
(触れてはいけないことが……答えだというのですか? カイチ!)
 馬上で、手綱を握り締めながらアルクメーネは鼓動が激しくなっていくのを感じた。
 この森の中で、アルクメーネは様々な符号が、ひとつの方向を指し示しているような暗示めいたものを感じて、めまいを覚えそうになる。
(そして、守護妖獣が近づけない……近づかない場所に、答えがあるとしたら……)
 夢に出てきた父の姿が、森で迷ったアルクメーネに示したものは何だったか。
 そして、カカル村の森に、現実にそこにいたのは誰だったか。
 主の指示にさえ従わないことがある守護妖獣が、「答えない、ということが、そのまま答え」と言い残して、自分の代わりにそばについて見守ることを快諾した相手は誰だったか。
 なのに、ノストールに帰国してからはその話題に触れることを嫌う理由は一体どうしてなのか。
「ジーン……とランレイ……」
 アルクメーネは、その名をふと唇につぶやきながら、しかし口にした名前にひどく違和感を覚えずにはいられなかった。
「兄上、あそこです!!」
 クロトの叫び声に顔を上げ、指差す方向に視線を転じると、真っ赤な炎に包まれた一軒の小屋とおぼしきものが見えてきた。
 木々が途切れ、野原が広がった。
 その一角に小屋らしきものがあり、燃えているのだ。
 見たところ、燃えているのは小屋だけで、幸い風もなく、火の粉は森の木々に燃え移る様子はなさそうだった。
「延焼する気配はないようですね」
 アルクメーネがほっとしながら声をかけると、クロトはそれには構わずにその小屋に向かって駆け出した。
 馬が炎におびえて進むのを嫌がると、今度は馬から下りて走り出していた。
「ラクス――っ!!」
 クロトは大声で叫んだ。
「クロト、危険です。戻りなさい!」
 燃え盛る小屋の前で立ち尽くすクロトは、呆然とその光景を見つめていた。
 真っ赤な炎に包まれ、次々に小屋の柱や屋根を形成していた木々が焼け崩れていく。
 炎のはぜる音と木が崩れ落ちる轟音だけが周囲を包んでいた。
 炎の高熱がクロトに襲い掛かり、これ以上は近づけない。
 もし、小屋の中に人がいれば助かる可能性はないとわかっていてもクロトは何度も大声でラクスの名を呼んだ。
 出かけているなら、異変に気がついて森のどこにいても戻ってきているはずだった。
 せめて町に出かけていていればと思ったが、ラクスは先日町から戻ったばかりで、しばらくはこの森にいることをクロトは聞いて知っていた。
 自分の五体が照らされ、火傷するような熱さと痛みの中に身をおいて立ち尽くしながら、ラクスが生きている可能性を探っていたクロトは、何かを思い出したようにアルクメーネの方へと引き返してくる。
「どうしました?」
「抜け道が一つだけあった!」
 馬に飛び乗り、アルクメーネの前方を横切ると、そのまま反対側の土手の方向へクロトは走っていった。
「待ちなさい、どうしたのですか? クロト!?」
 ラスクが時々自分を探しに来る変な連中がいると話していたことを思い出したのだ。
『俺を助けてくれたばあさんが、町に出て行ったきり帰ってこなくてさ。もう何年もたっちまったけど、たまに町に出たときはそのばあさんのことを知っている奴がいないかと思って聞いて回ってるんだ。けど、なんでかわかんねぇんだけど、そのばあさんを探している俺をみたら通報しろと言ってる奴らがいるらしいんだ。』
『通報?』
『ああ。兵士とかじゃないらしんだけど、青い服を来た一見貴族の家来っぽい連中らしい。まぁ、ここは城下からは一番離れた場所だし、居場所も知られちゃいないからいいんだけど、用心に越したことはないだろう。用心に抜け道だけはつくってある。お前もおれがいない時に変な連中がうろつくのを見たらここを使って逃げ出せ』
 そう言って、クロトを小屋の床下に掘った穴を示して、一度だけ案内してくれたことがあったのだ。
「ラクス!!」
クロトは、途中で馬から降りると、獣道の一角の土手になっている場所から下に向かって滑走し、草むらで覆われた背の高い木の下で呼吸を整えた。そしてそこに密集している背の高い草を手で掻き分ける。
 鋭い葉がクロトの頬に触れて、手や腕に傷をいくつもつくるが、それを気にとめることもなくクロトは無我夢中で目的の場所を探し続けた。
 煙が土の中から漂っていた。
「あった」
 草むらの奥に小さな空洞を見つけて草を掻き分け、頭を突っ込み、腹ばいになってその穴の中にもぐり始めた。
「クロト!? なにをしているんです?」
 追い着いたアルクメーネが、弟の不可解な行動に戸惑いながら叫ぶ。
「大丈夫。ちょっと様子だけ見てくる」
 そういい残して穴の中に消えていった。 
 しばらくして、消えた穴の中からクロトの足が見えてきた。
「兄上、引っ張って!」
くぐもった叫び声に、アルクメーネは慌てて、弟の両足首を掴んで身体を引っ張り出す。
「一体何を……」
 言いかけたアルクメーネは、クロトの両手が抱きかかえている人影を見つけてギョッとする。
「良かった……ここにいてくれて……」
 ラクスと呼ばれたクロトと同じ年頃の若者は、目を閉じたまま、ぐったりとしていた。
 煙を吸いこんでしまったのか、全身すすけて真っ黒で、意識がないようだった。
 クロトは泥だらけの自分には構わずに、ひたすらラクスの頬をたたいたり、声をかけて、なんとか目を覚まさせようと試みる。
「クロト、ここから一番近いシャンバリア村に連れて行きましょう! すぐに兵たちもやってくるでしょうし、あそこには腕の良い薬師もいますから」
「兄上」
 クロトは、兄を呼びながら後悔の念に襲われている泣き顔をアルクメーネに向けた。
「ラクスは命を狙われていると言っていました。でもラクスが狙われるのは盗みを働いたからだろうと、命を狙われるなんてありえないと本気にしなかったんです。いつだって、少し大げさな気の利いた作り話をする奴だと思っていたんです。一緒に住んでいたおばあさんが、城勤めで一番偉い侍女だったとか、その人も殺されたとか。私が城のことなどなにも知らない三流貴族の末弟だと思って、適当なことを言っていると思っていました。自分と張り合うために、城下に行ったときに聞きかじったことを面白可笑しくつくりあげて話をしているのだとばかり思っていたのです。信じてあげていたらこんなことには……」
「クロト!」
 泣き崩れる弟を叱咤するようにアルクメーネは、大声で叫んだ。
「しっかりしなさい。まだ命を狙われたと決まったわけではないでしょう。ただの失火かも知れないのですよ。泣いていたらこの子は誰が助けるのです。感情に溺れてどうするのです。後悔したければ、あとでしなさい。今は、今すべきことをしなければいけないときです」
 アルクメーネは、そう諭しながらどこかで戦慄を覚えていた。
 あの時、カカル村に行くのが少しでも遅ければ、いや父の夢を見なければ、あの森でジーンは命を落としていたに違いなかった。
 同様に、今も一刻を争う場面に自分が立ち会っているという事実に。
 そして、火災の理由はどうであれ、クロトの言い訳の言葉に含まれていた人物の話。アルクメーネはこのラクスという人物の命を助ける必然性を感じた。
「きっと、助けてみせます」
 アルクメーネはラクスを背負うと立ち上がった。
 森の奥から兵士達の自分たちの名を呼ぶ声と馬のいななきが響くのが聞こえてくる。
 この人物に確認しなくてはいけないことがあった。
「助けます。どうしても聞きたいことがあるのです」
 ふらふらと立ち上がる弟の肩に支えるように手を添える。
「きっとアル神が守ってくださいます」
「兄上……」
 クロトは美しい面立ちの兄の瞳の奥の強靭な意志に引き込まれるようにうなずいていた。

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