第二十一章《 絆を結ぶ者 》
3 |
《ルーフの砦》に戻った翌日、ルナはランレイ、ラウセリアス、ルージン、リゲル、カイトーゼ、、セインらと共に、通称「墓場」と呼ばれている白い大きな岩が崖下にそって円を描くように並べられている森の中にいた。
「ディアードは、本当にここにいるの? 生きているの?」
ルナは、杖を手にして立っているラウセリウスに期待を込めて問いかけた。
「生きているとも、死んでいるとも言える。それは最初の答えと変わらない」
ラウセリアスは自分がどんな表情で『ディァード』を捜し求めて来た少年に返事をしているのだろうかと考えていた。
失月夜があったことが幻だったかのように、今こうして自分は仲間達と日常の生活に戻っている。
変化があったことといえば、ナイアデスの軍の動きが不思議と沈静化したことぐらいだ。あの夜から、《ルーフの砦》を襲う動きは見られない。
混乱と動揺にあったラウセリアスが落ち着きを取り戻し、《ルーフの砦》に戻る準備を整え始めたとき、ジーンはディアードに会わせる約束の行使を求めた。
――ディアード
その名を耳にし、心にふと思い浮べるたびに、ラウセリアスの深く押し込めた闇にさざ波がたつ。
「約束は守る」
「じゃあ、戻ったらすぐ」
ラウセリアスは内心苦笑した。
「魔眼」の悪夢から覚めて夢心地だった自分を現実に引き戻したのはジーンの声だった。
その同じ声が、もうひとつの封じた闇に、休む間も与えず向きあわせようとしているように思えたのだ。
「話……は、できる?」
ジーンの声に、ラウセリアスは我に返る。
目が見えない分、声から伝わる感情に、これまで感じられなかった思いが伝わってくることに気がついたのだ。
ジーンの発する一言一言に今はじめて、何かを背負ったような切実な思いがあることを感じ取ることができた。
そして、その少年の言葉が、存在が、ラウセリアスを運命に向わせているのではないかと一瞬でも思ったことに、何故だかひどく後悔の念を感じずにはいられなかった。
ジーンと名乗る少年が、何のためにディアードを探しているのだろうかなどと、深く考えたことがなかった。
ディアードを探しにくる人間は多かったからだ。
――ディアードの秘密を知って、ディアードの名を口実にしてハーフノームの海賊が、山賊に転向する気か。
その程度にしか思っていなかった。
だからジーンの存在に、ルージン達ほど関心がなかった。
これまでも、多くの人間がディアードを探して《ルーフの砦》を訪れている。
ディアードの妖しの奇跡にあやかって、《ルーフの砦》の山賊のように一旗上げたいといった海千山千の輩だ。
だが、彼らにジーンに感じられるような切迫した思いはなかった。
彼らは一様に、ディアードの話が噂の域をでないと知ると、深いため息を吐いて山をおりていくだけだった。
ジーンのように信懸性さえ怪しまれる情報にしがみついてでも、ディアードを探そうとした者はいなかった。
ラウセリアスは、口数の少ない言葉に隠されているだろうジーンの心のうちに、人には語れないような思い詰めたものがあることを、今は感じとることが不思議とできた。
だからこそ無意識のうちに、あの時ラウセリアスは約束をしてしまったのかもしれない。
二度と踏み込むまいと心に決めていたこの洞窟に案内することを――。
「保証はできない」
無表情に答えるラウセリアスを見た後、ルージンが堅い表情で視線をルナに向ける。
「正直に話すが、俺もセインも、ディアードとは会ったことがないに等しい。ここに運んだ時も、酒樽に閉じ込められた状態だった。妙な詮索はしない約束だったしな。今だって、ラウセリアスがどうしてお前にディアードのことを教える気になったのかはわからねえが、ディアードに関してはラウセリアスに一任してある。とっくに死んでいるかもしれん。だからといって恨んだり、責めたりされても困る。いいな」
「わかっている」
ルナは、自分を取り囲む男たちのようすが異常に神経質になっていることに気がついていたが、冷静な自分を感じていた。
予感があった。
ラウセリアスの言葉を聞いたときから、会わせてくれるという約束を得たときから、それは確信に変わっていた。
何かがここで変わることを。
故郷のノストールを追われ、ハーフノーム島で暮らした日々。
母ともいえるイリアの死後、やっと再会した母ラマイネ王妃との別離。
父カルザキア王の死。
あの時、父はルナに託したのだ。
『昔……祖父の側近をしていた男に私と同い年の息子がいた。名はディアード……。彼を探して国に戻るようにと伝えてほしい……。私は約束をしていた。私が王になった時には呼び戻す……と』
今ようやく、父の言葉をディアードに伝えられる。
その一方で、いつも付きまとう不安が心の片隅からその顔をのぞかせる。
約束を果たしたとき、自分はどうなるのだろうかということを。
最初のうちは、ディアードが見つかれば、一緒にノストールに帰れるとずっと期待していた。だが、今は違った。
たとえ国に戻ることが出来たとしても、ルナがあの城で、大好きな母や兄王子らと一緒に昔のように暮らすことは出来ないとわかっていた。
ノストールの本当の第四王子はアウシュダールなのだ。
しかも、自分を殺そうとし、ルナを覚えている唯一の存在である母ラマイネ王妃から守護妖獣ネフタンを奪い、兄たちの守護妖獣たちに呪術をかけたアンナの一族のメイベルが、アウシュダールのそばにいる。アウシュダールとメイベルがいる限り、自分は城にさえ近づくことも出来ない。
今の自分に出来ることがあるとすれば、ハーフノームの海賊ジルの息子のジーンとして、知人になったアルクメーネに内密に会い、ディアードを託すことだけだった。
――それでも……。
ルナは顔を上げた。
――父上の子として、父上との約束を果たす。そうじゃないと、ルナはルナでなくなってしまいます。どんなことがあっても、父上の子でいさせてください。父上……。
ルナの瞳の奥に、息絶える前の父王カルザキア王の顔が浮かぶ。
『民を……この国を……そして……母を頼んだぞ……』
それが最期の言葉だった。
「ディアードに、会わせてください」
ルナは、先程から沈黙したままのラウセリアスを促すように、力強く言った。
「たとえ亡くなっていても、その亡骸に伝えたい言葉があります。生きているならお願いしたいことがあります」
その毅然とした態度と表情に、ルージンたちは思わず姿勢を正していた。
ラウセリアスもルナの言葉に従わざるを得ない意志を強く感じて、息をのんだ。
「わかった……。けれど、行く前にもう一度忠告する。なにが起きるかは自分自身にも予想はつかない。《ルーフの砦》を築き上げるときディアードは、啓示のような助言をいくつか与えてくれたことがあった。だがその時でさえ、その言葉が生きている者の肉声なのか、死霊の言葉だったのか、夢の中で聞いた言葉だったのかさえ覚えていない。それに……」
ラウセリアスは、言葉を一度区切ると、その言葉を飲み込んだ。
「いや、よそう」
ラウセリアスはそう言うと、カイトーゼを呼び、人の背丈よりも大きな数ある石柱ではなく、崖に半分埋まっているような岩に仕組まれている仕掛けを動かすように命じた。
戻る | 次へ |