第二十一章《 絆を結ぶ者 》
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夢を見ていた。
それはいつものあの悪夢だった。
幼い少年の足元に無数に転がる骸たち。
(あれは……自分……)
恐怖の形相に顔を歪ませ悶絶し、息絶えた死体たちが大地一面に延々と横たわっていた。
その屍が一体どこまで続いているのか、それさえわからない。
大きく目を見開いたまま息絶えているその死体たちには、大人もいれば幼い子供も、男も女も、老人もいた。
彼らが善人であったのか悪人であったのか、それさえもわからない。
(彼らはただ、そこに立っている幼い日の自分と出会い死んでいったのだ。「魔眼」を見てしまったから。)
理由はただ、それだけだった。
その無数の屍の中央に少年はぼう然とした表情のまま、ただ立ち尽くしている。
痩せた身体は、皮肉にも遠目からは墓標のようにさえ見える。
幼い少年は、群がっている足元の死体に、そして己の存在に、見えないすべてのものに恐怖を感じていた。
脅え、動くことも出来ず、ただ天を仰いで泣くことしかできなかった。
――もう、だれも近寄らないで! ぼくに近づかないで!
なにが起こったのか。
なにが起きてしまったのか。
結末を知るのはいつも明け方だった。
(どんなに拒んでも、抗っても、繰り返される惨殺。終わりはない……)
失月夜を迎えるたびに、大勢の人々が死んでいった。
最初の失月夜の時も。
次の失月夜の時も、そしてその次も。
大量の死体でできた血塗られた大地のその向こう側から、何も知らない次の犠牲者が、次の失月夜の新しい犠牲者として現れる。
彼が大人になるたびに、年月を重ね、失月夜を迎えるたびに、恐怖の中で息絶えていく屍が、この大地に無数に広がり、転がり続けいくのだ。
また失月夜が訪れる
あの大地の向こうからまた人々が現れる。
そして、苦悶のうちに呻き絶叫をあげながら、もがき苦しみながら死んでいくのだ。
(私と出合ったばかりに……)
少年は両手で顔を覆った。
――殺して……だれか、ぼくを殺して……!!
心の奥底からの血を吐くような叫びだった。
今までどれほど何十回と自分の命を絶とうと試みてもかなうことはなかった願い。
――だれか、ぼくを殺して……!!
唯一の望み。
狂おしいほどの願望。
呪われた運命から解放される唯一の方法は、それしかなかったからだ。
「殺して……ぇ……」
少年は絶望の嗚咽をあげる。
『大丈夫だよ』
突然、声が呼びかけた。
「だれ?」
初めて聞く声だった。
「だ……れ……?」
少年は涙に濡れた顔を上げて、声の主を探した。
だが、少年の周囲にいるのは死臭を漂わせた亡骸たちだけで、生きている者の姿はどこにも見当たらない。
『もう、大丈夫だよ』
声は、少年を包み込むように優しく告げた。
さまよわせた視線は、やがてまだ白い空に浮かんでいる青みがかった白い月をとらえる。
いま、初めて意識して見上げた朝焼けの空に浮かぶ月。
(月……?)
なぜだか月が呼びかけたのではないかと思えてきて、少年はしばらくじっと月を仰いだまま見つめ、耳を澄ました。
だが、もう声は聞こえなかった。
落胆のうちに視線を落とすと、風景は一変していた。
彼は静かな空気と日差しの中、緑の草原に立っていたのだ。
「?」
無数に積み重なり転がる死体で埋め尽くされた光景は、もうどこにもなかった。
ただ、身を引き締める朝のさわやかな風と、朝焼けを残した青白い空、生命の瑞々しさを誇るような目に痛いほどの草原の緑だけが広がっていた。
まるで少年の犯してきた罪が、消滅した。いや、許されたのかと錯覚したくなるほどの美しい風景が広がっていた。
――苦しかった……。
少年の瞳から安堵の涙がとめどもなく流れ落ちた。
――死ぬことさえ許されなかった……。ずっと…ずっと、苦しかったんだ……。
そこに理由などいらなかった。
ただ果てることのない絶望からひとときでも解き放たれた、それだけで充分だった。
「ありがとう……」
少年は再び月を見上げた。
消えかけている白い月はなにも語らない。
空の青さが、緑の美しさが、風の心地よさが、立ち尽くす少年の心に染み込んでいった。
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