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第十八章《混沌の中の光》

「でも、なぜか山賊になっちまったんだけどよ」
 ギルックはニヤニヤしながらも、少し照れくさそうに顔を紅潮させる。
「あのよぉ・・・。これ、覚えてるか?」
 そう言いながら、背中に隠し持っていた古びた布地を取り出すと、ルナの目の前で広げて見せた。
 ルナの視界が一面真っ赤になる。
 その中央には、忘れることのない砂時計が描き込まれていた。
「へぇ・・・」
 ルナは思い出して笑顔になった。
 それは、あのとき船のマストに結んできた深紅の旗だった。
「俺の宝物なんだ」
 ルナは、赤い布に描かれた砂時計の旗をじっと見つめる。
 波の音がルナを取り囲み、大海原へと意識が戻っていく。
 体が波に揺れる心地好さ、潮の香り、顔を打つ風と、全身をずぶぬれにする波しぶきが懐かしかった。
 その旗はルナ、いや、ハーフノームの海賊、ジーンの旗だった。
 ハーフノームの海賊たちは、一人一人が自分の旗をもっている。
 どんな小船でも自分の船の舵をとるときは、自分の旗を掲げるのだ。
 旗を手にすることが出来るのは、一人前の海賊として認められた証しだった。
 ルナは、ジルから乗船許可を初めて得たとき、ふつうの旗よりはふた回りほど小さな旗をもらった。
 そして、最初に手にしたその旗をルナは、ある時自らの意思で手放したことがあった。
 いつものように襲った商船の船底に、人身売買の為に乗せられた大勢の子供たちがいたのだ。
 奴隷船は飽きるほど見てきた。人身売買用の船も。けれど、あんなに多くの子供たちが船底に荷物のように押し込められている光景を目にしたのは初めてだった。
 船底へ降りたとき、すでに息絶えている子供の遺体がいくつもあるのはひと目でわかった。
 奴隷商人や船長や、船員たち、船を操る者たちはすでにすべて殺した。
 船乗りのいない船が無事にどこかの港に着き、子供達が生き延びることが困難なのは想像に難くなかった。
 残されたのは成人に満たない子供がほとんどだったからだ。
――助かってくれるといいけど。
 ルナは去りがたい気持ちと、航海の無事を願って旗をマストに掲げて来た。
 ニュウズ海洋で、深紅の旗が翻る船を他の海賊たちは襲わない。
 ハーフノームの海賊が乗船している印だからだ。
 襲えば容赦なく返り討ちにあう。
 もしもその時は難を逃れても、五倍、十倍の報復が待っていることを同業者たちはよく知っていた。
 襲った船に自分の旗を掲げて置いて来たのは、あの一度きりだけだった。
 その行為を後にジルに知られて、気を失うまでさんざん殴られたことも忘れられない記憶のひとつだった。
――もう、旗はもらえない……。
 ジルに認められて手にした旗だった。
 頭として、自分を認めてくれたその想いを裏切ったことは辛かったが、後悔はしていなかった。
 それでも、しばらくしてからジルは二枚目の旗を与えてくれた。
(あれも、アルクメーネ兄上にあげてしまったから、また怒られるかな……)
 ルナはボロボロになった懐かしい旗を見て、海賊島での生活をなつかしく思い出す。
 そして、いつか帰ることができるだろうか……と、ジルの厳しい顔を思い出す。
 ルナの隣で、ランレイも興味深げに旗を見つめていた。
 それに気づき、ルナはランレイに笑いかけて、ギルックの顔を見つめてぽつりと言った。
「生きていたんだ」
「え、いやぁ」
 ルナに見つめられて、ギルックは照れたようにソバカスだらけの顔をさらに真っ赤にした。
「ギルックにとり、ハーフノームの海賊ジーンは命の恩人であると共に、英雄だそうだからな」
 ルージンは、ルナの力を推測するようにじっと見つめ、片方の眉をあげて笑った。
「人は見かけで判断するなという生きた教訓だな。なぁ、カイトーゼ」
 名を呼ばれたカイトーゼが、ばつが悪そうに頭の後ろを手でかきながら、離れた場所からルージンとルナ、ランレイ、ギルックの前にやってくる。
「あんな神業は初めてだからな」
 ルナを見る目に脅えた影が走ると、愉快そうにルージンは再び声を上げて笑う。
「カイトーゼを骨抜きにしたのは、お前が初めてだ。暴れ出したら十人がかりでも襲えられない怪力男を、反抗心すら起こさせない技で打ちのめしたという話は、この目で見ない限りは信じがたい。がな」
 ルージンはアゴでカイトーゼを示して、鼻で笑う。
「あのなぁ、冗談じゃなくてな。触られる距離には近づきたくなくなるんだって。例えるなら、蜂の巣と知らずに踏み付けたみたいな衝撃だ。気づいたときには激痛だけが残る」
 大まじめな顔で力説するカイトーゼを見て、ルージンがまた笑う。
「このザマをみたら、尋常じゃないことが起きただろうことだけはわかる。その押せば転ぶような体でなにをどうしたんだ?」
 顔は笑っているが、目は探るようにルナの翠色の瞳を直視する。
 強い意志を持つ光がルナを射る。
 けれど、ルナはなんだか少しくすぐったくなって少し笑った。
 ルージンが意外そうに瞳を大きくして、視線を外す。
 ざわりと空気がどよめいた。
「とろこで、人を探しているんだよな」
 ギルックは、カイトーゼを倒した直後、ルナがギルックに向って開口一番口にした名前を思い出して問いかけた。
「ディアードという人をずっと探している。ミゼア山にいると言う噂を聞いたんだ。知らないか?」
 ルナはそうたずねたのだ。
「ディアード……ねぇ」
 ルージンとカイトーゼが、どうしたものかというように互いの視線を走らせる。
「知っているんだよね?」
 ルナは、二人の様子に思わず身を乗り出した。
「知っているというべきか、知らんというべきか」
 ルージンはうなりながら、何人かの名を呼び、自分のところに来るよう命じると、ルナに向き直った。
 大きく天を仰いで、ため息を吐き、改まった顔つきになる。
「その前に、仕切りなおしだ」
「?」
 ルージンが納得のいかない表情で何度も大きく息を吐いては、唸りつつ、集まってきた男たちを自分とルナ、ランレイの正面に座らせる。カイトーゼとギルックはその横に座りなおす。
「俺がここ《ルーフの砦》の頭ルーフ・ルージンというのはさっき名乗った通りだ。で、お前にあっさりのされた男がカイトーゼ、《ルーフ》一番の稼ぎ頭。盗賊の頭だ。そして」
 ルージンに呼ばれた三人の若者がルナたちの紹介を始めた。
 一見髭や、ほこりにまみれた顔が年より老けて見えるのだが、よく見ると年のころはみな、二十代の青年のように見えた。
「カイトーゼの隣から、セイン、リゲル、ラウセリアス。俺を含めてこの五人が《ルーフの砦》の中心だ」
 セインとリゲルは、興味深げにルナとランレイを遠慮なく見つめていた。
「俺たちは、ミゼア近隣の村のゴラ国出身者が多い。ここ最近は野盗の賊が軒並み村を襲う。しかも、諸国の正規軍まがいの雇われ兵士が、権力をかさにやりたい放題だ。家族を殺され、愛した女を殺され、奪われ、家畜や穀物も荒らされた。国、そして王家はなにもしない。だから俺たちは、俺たちの手で、ミゼアの村々を守ることにした。他の盗賊たちと一緒の存在ではないことを話しておく」
 ルナは黙って聞いていた。
「《ルーフの砦》の周辺で起きるあらゆる報告を受け、対策を練るのがセイン」
 山賊にしては人懐こそうな顔をした青年が、目を丸くして笑いかける。
「で、次がリゲル。頭がいいんで騙す方が得意だ」
 青い瞳のリゲルは山賊というより、髭をそったらきっと貴族のような涼しげな顔立ちになるとルナは思った。
「そして、全般の補佐がラウセリアス。ついでで言えば、ギルックはまだ半人前集団のガキ共の頭だ」
 ルナから見れば、ラウセリアスという若者もまた、山賊らしくない風貌だった。
 手にした杖、まぶたを閉じたままの彼は盲人のようだった。
「俺はここの頭だが、重要なことはこの五人で決定する」
 ルナは五人や、宴会に酔いしれる多くの盗賊たちの姿にゆっくりと視線をめぐられながら、複雑な思いになった。
 自分たちの村を守るために盗賊になる意味がわからなかった。
 また、山賊なのに、他の山賊と違うという意味がわからなかった。
 民を困らせる王家、王の存在が許される理由がわからなかった。
 そんなルナの前で、男たちは円を組むようにし、奇妙な会話を始めた。
「カイトーゼを骨抜きにした、ハーフノームの海賊の頭領の息子、ジーンがディアードを探してこのミゼア山にたどり着いた。おまえらはディアードのこと、どこまで話せる?」
 ルナは、その言葉に我に返る。 
 ルージンに問いかけられて、カイトーゼ以外の三人は、戸惑ったように目を伏せた。
「ディアードはいるが、ディアードはいない。って奴だろう」
 セインが真顔でルージンを見る真。
「どこの村にもいない。ミゼア山にはいない。だが、どこの村にも存在する。きっとミゼア山に存在する」
 リゲルが詩を読むように言う。
「生きている。だが、生きていない」
 ラウセリアスの声が静かに口ずさんだ言葉に、ルナは突然鼓動が早くなるのを感じた。
 それは、ラウセリアスの響きのよい声のせいではなく、「死」を連想したからだ。
「ディアードを探している。会って、伝えたいことがある」
「なんだ、その伝えたいことって?」
 カイトーゼの言葉に、ルナは首を横に振る。
「会って、直接伝えるのが父と約束なんだ」
「ハーフノームの海賊の頭のか?」
 いないはずのカルザキア王、そして、ジルの顔が浮かび上がり、自分をじっと見つめている気分になる。
 ルナは、唇をきっと結んだままルージンの瞳をじっと見つめた。
 見上げてくるその翠の瞳の力に、ルージンは奇妙な感覚を受けた。
 圧倒的な威圧をかけているわけではないのに、この瞳には勝てないと本能が警鐘をならすのだ。
 まっすぐになんの淀みもなく澄み切った大きな瞳が選べと告げていた。
 きっと本人にその自覚はないのだろう。
「お願いします。会わせてください」
 声が、ルージンだけではなく、《ルーフの砦》の中心たる男たちを貫く。
 ただならぬ想いと決意が秘められていることが、全身全霊をかけた想いが、突き刺さるように伝わってくる。
 別の意味で殺気さえ感じられる。
 五人はルナと対峙したまま、黙り込んだ。
 さっきまでどんちゃん騒ぎで大騒ぎをしていた男たちが、ルナから発せられる空気に影響され、上座の自分たちを凝視するように見守っているのに気がつく。
 なかには思わず居住まいを正している者もいる。
「ディアードに会うことが、生きてきた意味だから」
 ルージンは、ルナから放たれる意志と力に影響されて自分の中に眠ってた空白の部分が満たされ、活気づいていくのを感じずにはいられなかった。 
 揺るがない瞳。
 放たれる意志。
 静かにそして、伝わってくる熱い想い。 
 十歳かそこらの子供のはずなのに、だ。
(何物なんだ・・・この・・・)
 ただごとではない超越した運命を背負った奴と出会ってしまったのではないかと。突然、そう、直感する。
「待ってくれ」
 ルージンは降参するように手のひらを見せ両手を軽く持ち上げた。
 これ以上は耐えられない、と本能が訴えた。
「正直、俺たちもディアードと会ったことはない……と言うべきなんだと思う。ただし、《ルーフの砦》のはじめをつくったのはディアードだ。ディアードはいる。だが、その正体はだれも知らない。だから、提案がひとつある」
 ルナは、全身から汗をにじませているルージンをじっと見つめる。
 嘘をついているようには見えない。
「ジーンを、そしてランレイをこの《ルーフの砦》の客人として迎えよう。そしてディアードの正体を調べるのに必要な情報は提供するし、可能な限り俺たちも協力する。正直、おれたちも知りたいことがある。見つかるまでここにいてくれてもいいし、見つかった後も自由にしてくれていい。どうだろう」
 あまりにも、あいまいな返事といってよかった。
 はぐらかしているとも言えるし、本当に知らないのかもしれない。
 ルージンの提案に、誰もがルナがなんと返事をするのか注目をする。
 その場が、水を打ったように静かになる。
 火のはぜる音だけが、静けさを際立たせた。
 ルナは、ランレイと視線をあわせた。
 ランレイの茶褐色の瞳は、ルナの答えを肯定するようにただうなずき、そして夜空に浮かぶ月に目を移した。
 ルナもその視線の先を追う。
 雲ひとつない夜空に銀盤の輝きが、ひときわ美しく放たれていた。
 ノストールを出て、四年近くの歳月が流れていた。
 見守る山賊たちは、この緊迫した状況の中で、月を眺めるジーンの間合いになぜか緊張し、次の言葉を聞き漏らすまいと息を止めた。中には、海賊ジーンが、月の女神に話しかけているようにも見え、何度も目を瞬かせた。
 やがてルナは、月から視線を下ろして、ルージン、ギルック、カイトーゼ、セイン、リゲル、そしてラウセリアスの顔を順に見つめた。
「ありがとう。ここでディアードを探させてもらうことにする」
 どよめきが起こる。
 そしてそれはしだいに大きな歓声となって、やがてルナたちの場所まで届き、包み込んだ。
「なに?」
 ルナは驚いて、自分たちに向って酒瓶を片手に集ってくる山賊たちを見つめる。
「ジーン、おまえ、もう少し……」
 もう少し、自分の影響力を自覚した方がいい……。
 ルージンは、言いかけて、だが、あきれたように口を閉じ、そして何故かほっとして笑った。
「まぁ、いい。こいつらは噂に名高いハーフノームの海賊に興味津々なんだ。女神の怒りをものともせずに夜の海へ漕ぎ出すんだろう? 聞かせくれないか。海の話を」
「うん」
 ルナは意外な展開と男たちの歓迎ぶりに、戸惑いつつも、懐かしい空気の中に溶け込んで行く自分を感じていた。 

 ルナとランレイがミゼア山に足を踏み入れて約三カ月。
 山賊集団《ルーフの砦》の一員としての暮らしが始まろうとしていた。 

 第十八章《混沌の中の光》(終)

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