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第十八章《混沌の中の光》

 リンセンテートス、ゴラ、セルグの三国の国境を分け、かつナイアデス皇国へと連なる尾根を有するミゼア山。
 大小さまざまな高さの山々が連なり、麓には広大な樹海と草原が広がっていた。
 現在見渡せるのは山脈としての大小様々な山の姿であるが、「山」という名は、以前この山脈がひとつの稜線を描く壮麗な山であったことを示している。
 かつて太古の神々がいた時代、その終焉とともに大爆発を起こし「ミゼア山」の上部から半分は吹き飛び世界へ散ったといわれているのだ。
 神々の怒りを受けた場所として、ミゼア山は、昔からどの国にも属すことのない『聖域』として存在した。
 ミゼア山をとりまく国々は、現在ナイアデス皇国を盟主とした連合体であることから、そのミゼア山を迂回するサルーディナ円環街道が安全な交易路としての役割を果たしている。
 本来であれば、ミゼア山道を通るほうが遥かに近いのだが、ミゼア山には山賊をはじめ、国同士の戦に破れ逃走した者や、様々な法を犯した犯罪者たちが逃げ込み、今は無法者たちの巣窟となっていた。
 ミゼア山道と呼ばれるその道は、山賊たちの餌場のような場所とも言えた。
 それでも、公道では運ぶことのできない禁制品や奴隷の売買を行う闇商人たち等、わけありの人間たちがこの道を利用する。
 それは、この道以外を利用してのミゼア越えとなると、人の歩幅しかない程度の切り立った断崖絶壁の細く長い道や、岩肌がむき出しになり常にがけ崩れが起こる道、這いつくばらなければ通ることも出来ず、一歩誤れば崖下に真っ逆さまに落ちる道なき道、一日かけても目と鼻の先の目視できる場所までしかたどり着くことの出来ない急勾配の絶壁、猛獣の出没する獣道や、いたるところにあるといわれている底なし沼等、山賊に出会わなくても遭難や滑落して死ぬ確率が遥かに高いからだ。
 そうした危険地帯に挑むことを考えれば、馬車が通れるほどの幅があり、起伏の激しい山道の中でも、比較的人の往来があるミゼア山道は、運が良ければ、山賊の攻撃を避けて無事目的地に到着することも出来、金や宝石は奪われても命は見逃してもらえることもあった為、多少の危険を冒してもその道を選ぶ者が多かったのだ。
 ミゼア山道を選ぶ者の中には、商隊を組み、護衛団を結成し、山賊と戦うことを覚悟の上で挑んでくるもの達もいた。
 同時に、その商隊を狙って組織化していった盗賊たちも、また多かった。
 《ルーフの砦》は、はじめは国や領主らに反抗し、ミゼア山の裾野の小さな村々を守るため自らの手で行動を起していった若者たちの組織であったが、やがてミゼア山に追われ、山賊化していった。
 狙ったのは主に、月のない夜にミゼア山を越えようとする闇商人たちからだった。
 ミゼア山道を通過する闇商人らを襲い、金銀財宝を奪い、時には奴隷たちを解放した。
 決して、むやみに人殺しをしないのが信条だった。

「最近、変な二人組が山道に出没しているって知ってるか?」
「変?」
 まだ顔にそばかすの残っているギルックが、自分たちの持ち場である山頂の見張り番についていると、酒を手にした仲間のスーダが上がって来てギルックにそんな話をした。
「変な盗賊なら、おれらが一番変だろ。盗賊なのに、あっちこっちの村を守ってるんだからこれ以上へんてこな盗賊はいねぇよ」
 自分より年上のスーダから酒の入ったびんを奪い取り、そのまま口をつけてごくりと飲む。
 ギルックはミゼア山の最大規模を誇る、盗賊団《ルーフの砦》の最年少組のリーダーだった。
 従うのは五歳から十五、六歳の少年たち。
 見張り、伝令、盗みと、幼くてもその行動力は大人たちも舌をまくほどの優秀さで、特に少年頭の名を得たギルックは仲間の大人たちからは当然のこと、他の組織の盗賊たちからも一目も、二目もおかれていた。
「で、その二人組がどうした?」
 渡された酒瓶を口にしてゴクリとひと口呑むと、口元を手で拭い、舌で唇をなめながら、自分よりも年上のスーダに問いかける。
「ここ数カ月のことなんだけどな。小妖獣が出没する例の峠があるだろ。あの近辺で俺らの仲間や他のお仲間の盗賊が商隊を襲いはじめると、どこからか二人の子供が現れて、あっという間にボコボコにすにしやかるらしい。十歳くらいのガキ二人にだ。で、そいつらは、その商隊を安全な場所まで送ってやり、礼金をせしめてるっていうんだ。新しい手口だよな。闇商人たちの間じゃ、妖獣峠の守護者とかって噂で『銀色と茶色の髪をした子供を見つけたら大枚はたいてでもすがりつけ』って、けっこう評判になってる。おかげでこっちは商売上がったりだ」
「銀の髪?」
 ギルックはピクリと反応し、興味を示したようにスーダをじっと見る。
「一人の子供が、珍しい銀色の髪をしてるんだってよ。布を頭に巻いているらしいんだが、珍しい色だから見た奴の間で広まったらしい」
「どこの峠だって?」
「だから、妖獣峠だよ。あそこは俺たちでも基本的にはあまり近寄りたくない一帯だろ。ミゼア山の中でも指折りに薄気味悪い場所だしな。でもよ、そいつらは妖獣峠以外の場所には現れないらしいんだ。どうも、妖獣峠あたりをねぐらにしていんじゃないかって噂だが、あのあたり持ち場にしていた奴等は、ルージンとカイトーゼから大目玉を食らったらしい」
「俺は初耳だぞ」
「ガキにいいようにされて、面目立たなくて報告しなかったんだと。俺だってつい最近知った話だ」
 ギルックは、もっていた酒瓶をスーダに押し付けるように渡すと、話しているスーダを置き去りにして見張り台から降りて行く。
「どうしたんだよ?」
「悪い、俺用事ができたんで、見張り番代ってくれ。任せた」
「おーい」
 ぽかんと立ち尽くすスーダに片目を閉じてにやりと笑いかけながら、ギルックは妖獣峠へとまっしぐらに向かった。

 ギルックが妖獣峠にたどり着いたときは、すでにとっぷりと陽は暮れ、星が瞬きはじめていた。
 いつもは静寂に包まれているはずの場所で、騒然とした雰囲気が遠くから漂っていた。
 馬のいななき声と蹄の音、大勢の人間の怒号と喧噪、そして剣の激しくぶつかり合う音。
 暗闇の中、ただならぬ事態が起こっていることを知るには充分だった。
「俺は運がいい」
 ギルックは、月明かりの中、目を凝らす。
 闇の中でも、目は馴れ、月明かりがあれば松明をかざしていなくても周囲の状況はつかめる視力を持っていた。
 山道を何台もの荷馬車で列をなして進んでいた商隊の一行を、今まさに襲撃しているところだった。
 馬鹿でかい大声で指示を飛ばしている声を聞いて瞳を輝かせる。
「カイトーゼたちだ」
 今朝、顔をあわせた時に、妖獣峠に大きな獲物がかかる予定だから今日は俺が手柄を上げると、満面の笑みを浮べていたのを思い出す。
 現場に到着すると、予想通り闇の中で商隊を襲っていたのは、ギルックの仲間、盗賊団《ルーフの砦》の武闘派の長カイトーゼとその一団だった。今日は、いつもより人数が多い。
 赤みがかった金髪を月夜の光りに輝かせながら、大柄なカイトーゼたちがそれぞれの松明や武器を手に、商隊の荷馬車を襲っていた。
 崖の上から滑り降りてきたギルックは、よく見物できそうな岩を見つけて腰掛けると、カイトーゼたちの大暴れぶりを眺めていた。
「宝石と金目の物がたっぷのありそうな馬車だって言ってたっけ。ドンピシャっぽいな。人買いの馬車じゃは襲い損だもんな」
 獣のような周囲を響かせるカイトーゼの叫びが、手下たちに拍車をかける。
「武闘派っていより、狂暴派だよな」
 カイトーゼは暴れ出すと手がつけられなかった。
 大男で体格も優れ、みなぎる筋肉と馬鹿力といわれる腕力をもっていて大人五、六人を片手で軽くなぎ倒すのだ。
 ふだんは気のいい陽気な兄貴分で情も厚く慕う者も多いが、一度切れると歯止めがきかない暴漢と化した。
 本人云わく、頭の中が真っ白になるらしく、敵であろうが、仲間であろうが、見境なく殴り倒し、正気に返ったときは取り返しのつかない事態に陥ったことは数知れないというのだ。
 正気のときでも、身内に対して冗談を言いながら手加減なしに殴りつけてくるのも、始末に負えなかった。
「いくらなんでも、今夜は現れないよな」
 ギルックは、「銀色の髪」という言葉を耳にしていてもたってもいられず峠に来てしまったのだが、怪力持ちの野獣のようなカイトーゼの暴れる姿を見て、今日は来ないだろうとあきらめて、そろそろ帰ろうかと腰を浮かした。
 その時、奇妙な声と同時に、一瞬で空気が一変した。
「え?」
 異変が起きていた。
 松明の炎に照らされて、銀色の髪、茶色の髪の二人の少年がいたのだ。
 荷馬車の隊列の中央に、一体いつ現れたのか二人が背を向けて立っており、そのそばにはカイトーゼの手下たちが何人も倒れていた。
「なにが……あったんだ?」
 ギルックは、高鳴る鼓動を感じながら斜面を駆け降りる。
 近づけば近づくほど、二人の動きにあわせて倒れて行く仲間たちの姿があった。
 二人はなにも武器を手にしていない。
 特に銀色の少年の動きは人間のものとは思えなかった。
 武器を手にしているわけでもなく、殴りかかるわけでもない、ただ体が高々と舞い上がったかと思うと、手が相手の体をかすめるような動きをしても離れ、元の位置に戻ると相手は地に伏しているのだ。
 ただ、それだけの一瞬の早業が繰り返されているだけだった。
 静かに、そして崩れ落ちる男たち。
「まさか……」
 ギルックは、走り降りながらごくりと喉をならした。
 そして、峠路に降り立ったギルックが目にしたのは、不可解なものを目にしていぶかしむような、それでも怒りの形相に満ちたカイトーゼだった。
 カイトーゼと対峙している銀色の髪の少年の後ろ姿をギルックは目で追っていた。
 ギルックが奇妙な緊迫感の中に一歩踏み込む。
 その様子をギルックと対峙する形になるもう一人の茶色い髪の少年は、まるでギルックに敵意がないのを知っているようにただじっと見ている。
 やがて少年たちの向こうに立つ、ギルックの存在に気づいたカイトーゼが、不敵な笑みを浮かべた。
「やれ!」
 カイトーゼの叫びに、二人に向かって襲いかかる仲間たちの姿をギルックは内心動揺を隠せないまま、ただ見ていた。
 しかし、二人の少年が流れるように大勢の男たちの間を駆け抜けるのと、苦痛にうめきながら地面に倒れ伏す仲間の姿が増えていくのはほぼ同時だったた。
「てめえ!」
 カイトーゼが大振りの湾刀を手に、銀色の少年に切りかかろうと間合いを詰める。
 その時、ギルックは月明かりに照らされた銀色の少年の横顔を見ることができた。
 叫んでいた。
「カイトーゼ! やめろ!」
「寝言言ってんじゃねえぞ、ガキが!」
 こうなったカイトーゼは手がつけられない。
 声は無視される。
 当然だ。わかっていた。
 でも、ギルックは顔をゆがませて叫んでいた。
 どうしても止めさせなくてはならなかった。
 ギルックは興奮しながらカイトーゼに飛びかかろうと走った。
「やめろ! あんたじゃ歯がたつもんか! そいつはハーフノームの海賊だ!」
 瞬間、空気が凍った。
「え?」
 不思議そうな緑色の瞳が、ギルックを振り返る。
 ギルックはハッとして、思わず満面に笑みを浮かべていた。
「やっぱりそうだ! ハーフノームの海賊! おまえ、頭の息子だろ! 息子のジーン!」
 ギルックの瞳が歓喜の色に輝く。
 殺伐とした空気が、奇妙なものへと変わっていく。
「カイトーゼ、俺がいつも話してるだろ! 俺が死にかけた海で出会ったハーフノームの海賊の話! こいつがそうなんだ! すっげーよ! 俺が生きてるのは、こいつのおかげなんだ! こいつに勝てる奴なんて、いないんだって!」
 一人興奮してまくし立てるギルックに、仲間たちもあっけに取られたように武器をもった手を下ろす。
 そして、地に倒れていた者たちの何人かは、奇妙なそして何が起こったのかわからないといった表情で、苦痛に満ちたうめき声を上げながら、頭を押さえてふらふらと立ち上がる者もいた。
「こいつだよ。もっとちっちぇ時にも、武器なんかもたないで、大の男を軽く指先でつついただけで、ばたばた倒して行くんだ。しかも、やられた奴は何が起きたかわかんねぇし、激痛は起こるし、立ち上がれないし、戦意喪失しちまう! 簡単に殺すこともできるんだ! 言っただろう! 嘘じゃない、本当にそういう奴がいるって! こいつがそうなんだ!」
 まくしたてるギルックをうるさそうにちらりと見てほぉーっと笑ったカイトーゼは、いったん引くと見せかけ、隙をついてギルックに気をとられていた少年に湾刀を振るい上げ襲いかかった。
「カイトーゼ!!」
 だが直後、倒れたのはそのカイトーゼだった。
 なぎ払う剣の上よりも高く飛び上がり、カイトーゼの肩に触れて、そのまま反対側に降り立ったルナは、小首をかしげてギルックを見つめた。
「どこかで会った?」

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