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第十八章《混沌の中の光》

 クロトは守護妖獣ダイキと遠乗りに出ていた。
 目的地は、エーツ山脈に最も近いシャンバリア村方面。
 だが、村には立ちよらずに近くの丘でダイキの足を止めさせた。
 いや、止めさせたというよりもその先の森へ行くのを、ダイキが頑なに拒むため、しかたなく止まるしかなかったのだ。
『また、あそこに行かれるのですか?』
 ダイキが問うと、クロトは「来れないんだから、そこで待ってろよ」と言ってダイキの背を降りると、エーツの裾野に緑豊かな広がりをみせる森に向って歩き出した。
 クロトの守護妖獣・黒馬ダイキは、離れて行く主人の背中をいつものようにだまって見送っていた。
 ダイキの何かを言いたげな視線を充分に感じながらも、クロトはすっかり歩きなれてしまった森の獣道を歩き続ける。
 初めてこの森の中に足を踏み入れたのは、子供の頃のことだった。
 その頃は、ダイキと一緒に森の奥深く隅々まで駆け巡り、探索した。
 やがて、父カルザキア王が亡くなり、自分の務めと意識して国中を視察し始めたのは、アルクメーネがナイアデス皇国に留学したころだったような気もする。
 長い間、ずっと心に引っ掛かっているものがあった。
 父カルザキア王が亡くなった後から、守護妖獣ダイキはひどく慎重な行動をとることが多くなったことだ。
 今までクロトとダイキは、国の隅々を風のように自由に疾駆した。
 道なき道を越え、山も川も、家々の屋根さえ飛び越え、どこへでも、どこまででも彼等は行くことができた。
 ダイキの足にかかればまで行けない場所などどこへもなかった。
 早馬さえ十日以上かけるノストール全土を、一日で駆け巡ることができる風の足を持つ。
 ノストール全土が大地震に見舞われた時も、その復興の柱としてクロトはテセウスの命を受け、伝令と激励の任を引き受けた。
 その働きは、民の間から「風の伝令王子」と親しみを込めて囁かれるほど見事な働きぶりを示し、クロトはダイキと共に数え切れないほどのあらゆる道や路地、村、町、畑、森と国中を、何度も、難往復も走り巡り続けた。
 その気になれば、夜明けにエーツ山脈を越え、国境を越えて、他国の王に挨拶をして日が落ちるまでにノストールに戻ることも夢ではないとクロトは思っている。
 ラーサイル大陸さえこの守護妖獣の足はひと月もあれば縦横無尽に駆け抜け、制覇できると信じて疑っていない。
 そのクロトの守護妖獣に、奇妙にも嫌がり迂回する道や場所がいくつもできたのだ。
 その一つが、このエーツの裾野一帯に広がるエーツ・ムートの樹海だった。
 いたるところに大小さまざまな湖や沼、滝や洞窟があり、季節ごとに見飽きることのない探検にはうってつけの場所だった。
 自由に走り抜けていた広大な原生林も本来は危険な場所であり、迷いこんだら生きては出られないと恐れられている場所である。
 例え、隣国がエーツを越えてノストールに侵略しようとしても、待っているのはこの樹海の自然の砦。
 土地感がないものは迷ったら最後、エーツ・ムートの樹海を抜けるのは至難の技とさえ言われている。
 樹海に一番近く、最も熟知しているシャンバリアの村の人々さえも、自分たちが知っている道や場所以外はよほどのことがない限り通ることをしなかった。
 そんな危険と隣り合わせの場所も、ダイキがいるからこそ何の迷いも、不安も持たずに飛び込んでいけたのだ。
 だが、今のダイキはその樹海の中のリルカという名のついた樹海の中でも数少ない丘から先は、進もうとしなくなっていた。
 どんなにクロトが強く命じても、頑として聞き入れようとしないのだ。
 ダイキが拒み、避ける場所。
 それが、逆にクロトの強い関心を呼び起こした。
「お前が、そう簡単に怖気ずく守護妖獣かよ」
 クロトは、若者らしい精悍な表情をたたえて森を歩き続ける。
「理由を見つけてやる」
 ダイキが拒んでも、クロトは何度も丘にダイキを残して森の中へと探索に挑んだ。
 何度も、何度も、ダイキが頑なに拒むその理由を突き止めるまでやめるものかと、なかば意地になりつつ、時間を見つけては足を運んだ。
 道のない生い茂った樹木の間を抜け、野原となっている一帯が現れると、その奥にぽつんと建っている山小屋が見えてきた。
 山小屋に近づくと周りを一周し、クロトは軒下に積んである薪の上に腰を下ろす。
 小屋の住人はまだ帰って来ていなかった。
 ここを見つけたのは半年以上前のことだった。
 樹海のかなり奥深い場所だったので、当然そんな場所に山小屋があり、人が住んでいるとは想像すらしていなかったのだ。
 初めて見つけたときは驚いたものの、結局その時は小屋の住人にも、他に誰にも会うことはなかった。
「ダイキも来ればいいのにな」
 クロトは、山小屋の住人との、初対面の出来事を思い出して、くすくすと思い出し笑いをする。
(危うく、殺されるところだったっけ)
 山小屋を見つけて三度目の訪問をした時に、二人は意外な形で出会った。
 小屋の回りをうろうろしていたクロトは、いきなり背中から飛びかかられ、羽交い締めにあったのだ。 
 身の危険を感じたクロトは、こんな危険な状態なのに姿を見せない守護妖獣に少しばかり苛立ちながら、言葉もなく襲いかかって来た相手に遠慮なく反撃を食らわせ、応酬を見舞わせた。
 体を屈めて投げ飛ばし、素早く立ち上がると、相手も飛び跳ね向き合う。
 見れば自分と変わらない年頃の少年だった。
 「まて」と言える状況ではなかった。
 息もつかせぬ速度でクロトの腹部目がけて頭突きを食らわせて来たのだ。
 呼吸が出来ない苦しさと、死を初めて身近に感じるほどの痛みに、逆に闘争本能に火がついた。
――やらなければ、やられる!
 全身の血が逆流し、頭の中が真っ白になり、ダイキのことは頭から消えた。
 あとは覚えていないほど、殴る蹴るとお互いに一歩も引かない攻防が延々と続いた。
 やがて息があがり、互いの力が尽きかけ、肩で大きく息をしながらクロトは襲いかかって来た若者と睨み合った。
 「何者だ……」
 相手がやっと息絶え絶えな声で、問いかけてきた時には、もう二本の足で立っていることも出来なくなり、立ち上がろうと片膝をついたものの、力尽きて尻から座り込んでしまった。
 相手は立ち上がったものの、それが精一杯のようで、互いに一歩も動けない状態だった。
「この小屋の住人に……会いに来たんだ……何度も来た」
 クロトはやっと理由を話すと、相手も最近出没すると噂のある野盗と勘違いをしていたことを理解したのだ。
 誤解と緊張がほどけた瞬間、二人ともそのまま背中から地面に倒れ込んで起き上がれなくなってしまった。

「なに、ニヤニヤしてるんだよ」
 クロトが思い出し笑いをしていると、森の方向から馬鹿でかい声が飛んできた。
 顔を上げると、小動物ラドの長い耳を掴んでぶら下げ、背中には薪を背負ったこの小屋の住人が姿を現した。
 初対面のときと変わらないふてぶてしい面構えで、うさんくさそうな目でクロトを見る。
 クロトはそんな決して愛想がいいとはいえないこの人物が嫌いではなかった。
 むしろ、城の中では味わえないぶっきらぼうに自分に対して接してくる様子が面白くて、むしろ気楽だった。
「へぇ、ラド捕まえられたんだ」
 クロトはその手にぶら下がってるラドを見て目を丸くする。
 小動物のラドは機敏に森を走り抜け、長い耳で危険な物音を察知して逃げ、鼻が良くて人の匂いの残る罠にかからない為、なかなか簡単には人に捕まることはない。
「十日ぶりの肉だ。まさか、てめえ肉をあてこんで食いにきたわけじゃないだろな」
 その言葉にクロトは思わず笑いをこらえる。
 身分を知らないとはいえ、貴族の自分に向ってそんな言葉を叩きつけてくる民は、彼だけだ。
「俺って、すっげー運がいいんだよ。ラドは俺に食べてもらうためにラクスに捕まったのかもしれないぞ」
「ひと口だってやるか」
 ラクスは不機嫌そうにそういいつつ、小屋の中にクロトを招き入れた。

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