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第十八章《混沌の中の光》

 アウシュダールは眼を閉じ、意識を集中させる。
 リンセンテートスの一角に自分の意識を存在させ、投影させることは瑞獣の光が強い今は容易ではない。
 ましてや、ナイアデス皇国の瑞獣の光がノストールの国境でもあるエーツ山脈を越え、入り込まないよう遮断することに心血を注いでいる今は、危険な兆候を見逃さないように神経を研ぎ澄ませなくてはいけなかった。
(ランレイとは……)
 意識を謎の人物に向ける。
 その時、思索を途切れさせる艶のある美しい女の声が、アウシュダールの名を呼んだ。
「殿下?」
 見えないはずのアウシュダールの気配を感じ取ることができるのは、このノストールの中では数えるほどしかいない。
 アウシュダールは結界を解き、メイベルに背を向けたままその前に姿を現す。
「殿下、お探ししておりました」
 アンナの一族の証である薄紫色の装束をまとったメイベルは、ほっとした様子でアウシュダールに駆け寄る。
「何の用だ?」
 アウシュダールは振り返ることなく返事をする。
「陛下がお呼びでございます」
「兄上が……」
 その顔から、大人びた表情が消え年相応の少年の表情が現れる。
「わかった。だが……」
 横顔を向けて、アンナのメイベルをいちべつする。
「メイベル・ソル・アンナ。先だって行った《先読み》。ここでもう一度言ってみよ」
 唐突なアウシュダールの言葉に、メイベルは瞬間的に不可解な表情を浮かべた。が、すぐに緊張した面持ちでうやうやしく告げた。
「『西に暗黒の羽が舞い降り。中央と小国は混乱の渦に消える。そして東は光を得る』と申し上げました」
「そうだ。ダーナンのロディが手に入れた『暗黒の羽』は『花嫁』。『東の光』とはナイアデスのフェリエスの『花嫁』。どの国にしても得たのは女の力。己の力ではない。所詮、異国の神の寵愛を受けた女がいなければ何もできない非力な存在だ」
「おっしゃる通りでございます」
 メイベルは頭を低くし、そう答える。 
「けれど、その女たちのせいでダーナンには光をも通さぬ闇が垂れ込め、ナイアデスには光の渦が満ち溢れている。たとえ一時の融合時の力だとはわかっていても気にいらない。」
 アウシュダールは不機嫌そうに吐き捨てると、返事に窮している様子のメイベルを横目で見るて、「おや」という表情を作って微笑んだ。
 それは、十歳の子供のものとは思えない嘲笑を込めた微笑みだった。
「ここにも女がいたな」
 メイベルは弾かれたように伏せていた紫色の瞳を上げ、すぐに自分より背の低いアウシュダールの視線よりさらに低く頭を下げる。
「恐れ入ったという真似はやめろ。お前も女なら私の役に立ってみよ。ネフタンの調教はどうなった?」
 ビクリとメイベルの肩が震える。
 メイベルにとり、そのことを問われることは苦痛以外のなにものでもなかった。
 彼女は、五年前にアル神の息子シルク・トトゥ神の転身人の少年に《祝福》を行い、「アウシュダール」の名を授けた。
 アンナが王族に行う《祝福》は、同時に守護妖獣降臨の儀式でもあった。
 だが、アウシュダールに守護妖獣は降りなかった。
 メイベルは守護妖獣の召喚に失敗をした。
 理由はわからなかったが、それは致命的な大失態だった。
 なぜなら、《祝福の儀》により名を得た者は、名づけ親のアンナ以外の者からは、守護妖獣を得ることができないからである。
 メイベルから《祝福》を受けたアウシュダールもまた、メイベル以外のアンナから守護妖獣を望むことができない。
 たとえ転身人であったとしても、アウシュダール自らが守護妖獣を降臨させることは出来なかった。
 神と人間、妖獣の世界はもとより別であり、それらを結び付けるのが仲介者アンナの役割とされてきたからだ。
 《祝福の儀》は守護妖獣をもたらす高度で神聖な儀式であることから、すべての儀式を司ることができる最高位のアンナでなくては行うことのできない儀式とされている。
 そのため、王族に対して《祝福の儀》を行うのは、アンナの一族の長と定められている。
 メイベルは、一族の中で誰よりも突出した力を備えていた。
 どのアンナよりも行使できる術を多く身につけていた。
 にもかかわらず、一族の長老のサーザキアをはじめ、族長たちの誰一人として、その能力を認めてくれる者はいなかった。
 《先読み》をわずか三歳で行い、野生の小動物を我が意の下に操ることを得意とし。十歳の誕生を迎えたときには、《星守りの旅》にでなくとも、ほとんどの術は極めていた。
 メイベルの能力を認め、様々な術を教えてくれた人物は唯一、彼女の父親だけだった。
 だが、その父親は一族が禁じた数々の秘術を用いた為に、メイベルが五歳の時に一族から追放されている。
 ある時、メイベルは自分の力を知らしめる方法を思いつく。
 アンナにとっては禁忌の術とされる妖獣召喚術を使い、《祝福の儀》を行うサーザキアとなんら変わることのない力をもっていることを皆の前で証明することだった。
 《祝福の儀》を光とすれば、禁忌の術は一歩間違えば邪まな闇の力を呼び込む術と畏れられていた。その一方で、禁忌の術の行使は《祝福の儀》を行える者と同等の高度な力を持つ証明とも信じられていた。
 メイベルは、自分の存在を長のサーザキアが無視するのは、自分の力を恐れているからだと思うようになっていた。
 自分を認めさせたい――それを証明するために、メイベルは無許可で〈祝福〉を行った。
 一族が招かれたある小国で、王族の末裔として生きる公爵の子息を見つけ出し内密に〈祝福〉を与えようと持ちかけたのだ。
 〈祝福〉も禁忌の術とされる妖獣召還も、メイベルには違いがあるとには思えなかった。
 ただ、一族が認める者が王族に行う正式な儀式が〈祝福の儀〉であり、認められていなければ禁忌の術とされている、と。
 だから、人間に対して初めて行った〈祝福〉は、メイベルにとっては禁忌の術ではなく〈祝福の儀〉だった。
 メイベルは公爵の子息に名を与え、小妖獣を降臨させることに成功した。
 ――これで、証明できる。
 もしも、その者がサーザキアと族長らに引き合わせる直前、運悪く病で急死さえしなければ、メイベルは自分の力を認めさせ、今頃は族長の座におさまっていたはずだった。

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