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第十八章《混沌の中の光》

 風が吹いていた。
 その風は、時を動かす風だった。
 ノストールのアルティナ城の回廊に立つアウシュダールは風を受け、はるか遠くのエーツ山脈を見つめていた。
 ノストール王国の第四王子の座を人知れず我がものとし、シルク・トトゥ神の転身人、と自国は当然として諸国からも畏怖される存在となったアウシュダール。
 十歳を迎えたその王子は、吹き付ける風の中から見えないものを感じ取っているかのようだった。
「もうすぐ、その時が来る」
 アウシュダールは、口元に笑みを浮かべる。
 けれど、その顔には、まだ幼さを残す顔立ちには不釣り合いな深い眉間の一筋の線が浮かび上がり、焦茶色の鋭さを宿す瞳には鬱陶しそうな感情がよぎる。
「片付けておくべきことがあったな……」 
 瞳が一点を凝視するように大きく見開いたその瞬間、アウシュダールの栗色の髪がそよぐ風とは反対方向に大きくなびいた。
「…………」 
 そして、その唇から呪文のような言葉が奇妙な音律とともに静かにつむぎ出されていく。
 徐々に、アウシュダールを中心とした空間が、呪文と同調するように奇妙に歪みはじめ、目に見えない境界壁=結界を作り上げていく。
 結界はアウシュダールをアルティナ城に存在させながら、彼が望む別の場所にその意識を飛ばすことが可能な空間だった。
 アウシュダールの眼前には、ノストール王国とはまったく別の光景が広がっていた。
 あきらかに、異国の風景が映し出されている。
 その場所は点在する民家が遠くに見え、傾斜をした畑が広がっている土地だった。周囲はうっそうとした樹木が生い茂っている。
 全体が薄暗いのは、ノストールとは異なる時間帯、夕暮れ間近であることを、すでに何度も訪れているアウシュダールは知っている。
 背の高い木々と草が覆い茂る場所にアウシュダールは立っていた。
「我が下僕よ。主の許しの下、我がもとに下れ」
 低く響く声が命じる。
 声はまるで、アウシュダールの声とは思えないほど、成人した大人の声だった。
 空間のゆがみの中から、影が現れ、徐々に青色のマントをまとった一人の男の姿が浮き上がっていくる。
 男の身に着けている装束はノストールのものではない。
 表情というものがないような無気質な顔をした三十代頃の男は、ゆっくりと腰を折り十歳の王子の前に深々と頭を垂れる。
「ご報告いたします」
「逃がしたのか」
 一言も発していない状態で、見通すように言い切るアウシュダールの言葉に男は顔を上げる。
 その表情は動かない。
「アンナの介入がありました」
 男の言葉に、アウシュダールは怪訝な表情を浮かべる。
「説明しろ」
 気になることがあった。
 ビアン神の怒りから砂嵐に襲われたリンセンテートスの国を救うべく、援軍を起こしてノストールを出兵したのは今から、二年近く前だった。
 アウシュダールとテセウスはその岐路、偶然リリー・アンナというアンナの者から、ある噂話を耳にした。
 それは――ノストール軍には援軍に同行した少年兵団がおり、エーツ山脈を越える途中で軍とはぐれたという少年が一人いる、と。
 名は「ランレイ」。
 そして、ランレイと共に旅する子供がもう一人。
 ジーンと名乗る少年は、ノストール軍に従軍する兄を追ってリンセンテートスに来たという。
 アウシュダールは、この二人の子供の素性と行動を探らせていた。
「少年兵団に属していたと思われるランレイと、兄を追って旅をしているというノストール出身のジーン。この二名が、ネイという十五歳前後の少女と、エリルというアンナと旅をしていることが事実であるとの報告は、前回報告いたしました通り間違いはありません」
 アウシュダールはうなづく。
 アウシュダールはリンセンテートスへの行軍に参加した少年兵の顔と名前をすべてを鮮明に覚えている。
 少年兵団―― それは、自分と同じ年に誕生した、当時五歳の男児ばかりを集めて結成した少年兵団だった。
 本来の目的は、『ノストールに、戦いと勇気の神・アル神の唯一の息子シルク・トトゥ神が誕生し。その子が今年五歳の誕生日を迎える』との予言をダーナン帝国とナイアデス皇国の魔道士が同時におこなったことから、当時ノストール王であったカルザキア王が五年前に生まれた男児たちを他国の手から護るために城に集めたのだ。
 当然、その時に子等の名前はもとより、身分、身体的特徴、両親の出生、一族の系列に至るまで、徹底的に調べられている。
 アウシュダールは、その同い年の少年たちを少年兵団として、リンセンテートス援軍に参加させたのだ。
 だが、その中にランレイいう名前はなかった。
 すべての少年兵団の子供たちは、あの行軍の中で死んだのだ。
 その脳裏には、エーツ山脈で自ら谷底に身を投じて行った少年らの姿が浮かび上がる。
 天空に出現した巨大な光の柱がエーツ山脈目がけて突き刺さり、大爆発を起こした光景。
 一瞬で、すべての命は灰と化した。
 生命の鼓動は途絶えた。
 白雪の中、あの場にはアウシュダール以外に生きている者はどこにも存在しなかった。
 あの状況で生き延びる子供がいたなど、ありえないのだ。
 すべての子供の心、命はアウシュダールの手中にあった。
 国を出る前から、そしてエーツ・エマザー山脈の山中でも幼い少年兵の心はアウシュダールの暗示に深く染まり、その意の下に統一され、命令に従う人形存在と化していた。
 自分が死ぬこともわからないまま、夢見心地の状態で、ただ命じられるままに自分の身を深淵の谷底へと投じたのだ。
 強力な暗示にかけられた子供が勝手に脱走したり、アウシュダールの命令から逃げることなど出来はしない。
 存在しえなかったはずなのだ。
 だが、リンセンテートスで出会ったアンナのリリーは、エーツ越えをした子供がいると確かに言った。
 すべてのノストールの民は、のちにノストールに゛起こった大地震の時に少年たちは命を落としたと、、そう信じ記憶している。
 男は報告を続けた。
「リリー・ド・リア・アンナという者はジーシュの一族の者であることは確認いたしました。そのリリー・アンナこそが、エリルという名のアンナであり、ランレイ等と共に旅をしている存在でありました。」
 アウシュダールの眼光が厳しくなる。
「ネイという少女に関しては、出身国、身分を含めてまったく判明しておりません。ただし武術の腕はかなりのもののようで、用心棒的役割をはたしているようです」
「他には?」
「ランレイたち四名がいたブレアの町に妖獣が出現し、町や人々を襲ったとのこと」
「妖獣?」
「黒い霧が変化し、獣の姿になったと。しかも、その時、村を訪れた《星守りの旅》の途中の三人のアンナが妖獣を撃退し、その後ランレイとジーンの二名とともに町を出ております。この三人のアンナはサーザキアの一族の者でした。リリー・アンナは襲撃の前に姿を消し、その後町に戻り、妖獣に襲われ深手を負ったネイと共にブレアの町から北に向けて姿を消しております。ランレイたちを追ったものか、別行動をとったものかは不明。《星守りの旅》のアンナの張り巡らした様々な結界がランレイやアンナたちの記憶を消し、痕跡を絶っております為、追跡に手間取っております」
「アンナの介入か」
 アウシュダールは考え込むように親指の爪を噛む。
 ランレイが本当に少年兵団の一員であり、ジーシュの一族のアンナ、さらにはサーザキアの一族のアンナと接触し、同行しているとなれば見逃すわけにはいかない存在だった。
 アウシュダールはギリギリと音がなるほど親指の爪を噛んだ。
 リリー・アンナやジーシュや、サーザキアの一族のアンナが、どこまで真実を知っているのか調べる必要があった。
 アンナの一族がランレイなる少年を守り、助けたのだろうかという考えがよぎる。
 しかし、エーツ山脈にアンナは存在しなかった。
 介入できるものなど存在しない。
(では……)
 アウシュダールは瞳を綴じる。
 エーツ・エマザー山脈の彼方から眩い光が放たれていた。
 光の源は、ナイアデス皇国。
 直視したならば目が眩んでしまうだろう厄介な光が、いやまして大きく波打ちその波状を広げようとしている。
 アウシュダールの力をもってすれば、その光がエーツ山脈を越えてノストールに入り込んでくるのを防ぎ、押し戻すことはたやすい。
 しかし、光そのものを消滅させることは出来ない。
 ナイアデス皇帝のシーラ妃が守護妖獣を得た瞬間、世界は肉眼では見ることの叶わない光の閃光に貫かれた。
 守護妖獣の主である者だけが、ナイアデス皇妃が瑞獣を得たことを知る。
 瑞獣は、世界の変化を告げる「時の声」そのものだった。
 アウシュダールは、瑞獣が守護妖獣として誕生したことは問題視していなかった、〈遠眼〉の力に影響を及ぼすことには閉口した。
 光で見えない部分があるのだ。
 だから、〈遠眼〉だけではなく調べさせているのだった。
「妖獣が出現したというのも気になる。主の存在を確認しろ。主を持たない妖獣は守護妖獣ではない。人間や人里を襲う妖獣がいるなど……」
 アウシュダールはさらにきつく爪を噛む。
 先ほどまでの大人びた表情に、嫌悪感が加わる。
「ハリア公国とリンセンテートス国の上空に垂れ込める暗雲がビアンの守りの力を薄れさせれている。私がいなくてはリンセンテートスは滅びるだろう。ハリアも、ダーナンもだ。妖獣といい、アンナの介入といい、人を不愉快にさせる」
 姿形は少年だが、全身から放たれる「気」は、異様な圧迫感を漂わせる。
「ランレイと、ジーン。見つけ次第消せ……といいたいところだが、見つけ次第知らせろ。私が実際にこの目で見てから直接手を下す」
「御意」
「例えどのような者であれ、少年兵団に存在したものは、偶然に国外に逃れたとしても、一人として生かしておくことは許されない」
 青いマントの男は、更にアウシュダールと言葉を交わした後、最初に姿を現した時と同様に出現した空間のゆがみの中へと消えて行った。

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