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第十七章《 国境を越える時 》

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「『レーゼの小鳥が鳥籠から逃げ出した』。確かにそうお言葉があったのだな?」
 レイドリアンは言われた通りにできるだけ目立たない服装でミレーゼから指示を受けた酒場へ出向いた。
 そして、夜通し飲んでいた客が帰っていくのを見送り店主が店の扉を閉めようと扉を閉めようとするのを見て、裏口から忍び込み、後片付けをしている店主に、名を確認してから伝言を伝えた。
「そうだ」
 ミレーゼからの暗号というべき言葉を聞いた店主は、血相を変えてレイドリアンを店の中の個室に引きずるように招き入れ、再度言葉を確認した。
 そして、店の人間と思われるものを呼びつけるとひそひそと何か言葉を交わし、数人をどこかへ使いに出したようだった。
 緊張した雰囲気が客のいなくなった店内に広がる。
「どうぞこちらに」
 しかも、店主はそのままレイドリアンを地下の一室に連れて行き、返事を渡すのでここで待つようにと言って彼一人を残したまま、姿を消してしまったのだ。
(私は……しくじったのだろうか……)
 レイドリアンは『処刑』というミレーゼの言葉を思い出し、咽が渇いて行く感覚に陥ちいった。
 幸い扉に外から施錠されてはいなかったので、何度も抜け出して帰ろうかとも考えた。
 しかし「返事を渡す」と言われた以上、それを届けなければ使者としての役割は果たせない。
 手ぶらで帰ったりすれば間違いなくミレーゼの逆鱗にふれるのは火を見るよりあきらかで、レイドリアンはなんども喉元に手をあてがっては、大きなため息を吐き出し、ひたすら次の展開を待つしかなかった。
 長時間ひたすら待ち続け、待ちされ続けたレイドリアンのもとにやっと店主が顔を見せた時、その背後には数人の男たちの姿があった。
 レイドリアンは、そこに見知った人間の顔を見つけて思わず顔をこわばらせた。
(こんな町の酒屋の地下で会うような御仁たちではない・・・・)
「レイドリアン……!」
 名を呼ばれてレイドリアンは顔は平静を保ちながらも、内心は激しくなる鼓動を抱えたまま自分の名を呼んだその声の主を確認する。
 声の主は大臣のダルクスだった。
 しかもその背後には国務長官のバジルら等、もっぱら反女王派と呼ばれ、ミレーゼに反意を抱いているとささやかれている重臣たちの顔が並んでいる。
「……」
 この事態にどう対応していいのかわからず、レイドリアンは反ミレーゼ派の面々に囲まれてしまっている事実に、混乱をきしていた。
(私は失敗をしてしまった……)
 一方、その額から滝のように汗を噴出させているレイドリアンの引きつった顔を見たダルクスは、軽快な笑い声をたて、その場の全員に木のテーブル席につくように促し、自分もレイドリアンの横にすわった。
「突然の事態で驚いただろう。まあ、安心したまえ、我々はミレーゼ陛下の影の親衛隊だ」
「……」
 そう正面席のバジルに言われても、レイドリアンは何を言われているのかまったくわからなかった。
 頭の中は真っ白になり、背中を伝わるのは冷たい汗だった。
 ここに居並ぶ人間は、日頃からミレーゼに反抗的であり、またメイヴ妃からも煙たがられている。
 特にダルクスは、ミレーゼと犬猿の仲と知られる間柄で、「親衛隊」などと言われても皮肉を込めて言われているとしか思えない。
 グリトニル王子が擁立されれば、お役ごめんとなる候補として名簿の筆頭に並んでいることは間違いないのだ。
「陛下は、暫定王の名を捨てられ真にハリア国の王として君臨されることを決意されたのだ」
 隣に座ったダルクスの口から飛び出した言葉に、レイドリアンはその意味をすぐには飲み込めないまま、ぽかんと口を開けていた。
 誰の話をしているのかさえわからない。
「例え、もし仮に、《エボルの指輪》がメイヴ妃のもとにあろうとも、まず陛下へのご報告も、お届けもなかったことは臣下として王家への反逆罪を適用できる。また、グリトニル殿下に対しては、ヘルモーズ前王より『わが子にあらず』とのお言葉を書面に綴っていただいておる」
「ミレーゼ陛下が、今日レイドリアンを遣わせたということは、明日の合義の場で宣誓をされるということだ」
「では、我々も明日は合議には必ず参加をしよう」
 その言葉とともに、用意されていた宮殿の内外と街の詳細が描かれたヨール羊皮の地図が大きなテーブルに広げられた。
 次々と交わされて行く言葉と意見、その真剣な表情に、レイドリアンは徐々にここにいる人々がミレーゼの本当の味方なのだと知り、安心をするとともに不思議な気持ちになった。
 そして、徐々に彼らが企てている内容が、国を揺さぶる大きな決断と知って、恐る恐るダルクスに疑問をぶつけた。
「こ、こ、これって、内乱になるんでしょうか?」   
「なにを言っておる」
 ダルクスは厳しい顔でレイドリアンを見つめた。
「これは、我らが女王陛下をおとしめようともくろんでおる輩を一掃する行為だ。本来であれば、このような酒場の地下でネズミのように額を寄せ合ってこそこそ悪巧みを企てるような真似事は不本意はなはだしい極み。しかし、現状を考えれば、陛下の御意志は宮中では黙殺されるばかり。しかも、貴族はもとより、平民らの間にまではわがまま気まぐれ女王との悪評は高まっており歯止めが聞かない状態なのは、そなたがよく知っておるだろう。我らが表立って動かなかったのは、メイヴ妃ら一派に芽を摘み取られまいとしたからだ。しかし、これからは女王陛下の美旗を掲げて、堂々と反乱分子の大掃除をすることができる。あのメイヴ妃が権力を手中にしたあの忘れ難き日と同様、一瞬ですべてを我らが手に取り戻す戦いを起すのだ」
 ダルクスの視線は、ヘルモーズ王が失脚同様の扱いを受けた六年前を見つめていた。
 もっと自分たちが王の異変に早く気がついていればあのような事態にはならなかった。
 この六年の辛酸をなめ続けた日々、あの惨事の一日を、片時も忘れる事なく思い続けて来たのだ。
 その信念があったからこそ、ミレーゼから侮蔑の言葉や行為をうけようとも、自分の罪を贖うためにすすんでその怒りを受け、また忠告を発し続け、改心してくれるであろう日々を願い続けて来たのだ。
「陛下のこれまでのお振る舞いは、すべてエリル殿下が戻られる日を信じてのこと。エリル殿下ご帰還の折りには何事もなく全てを引き渡すために、ただひたすら王座を守り耐え忍ばれ続けられてこられたのだ。決して、ご自分がこのまま王位を我がものにしようとはお考えになられているわけではない。しかし、メイヴ妃が《エボルの指輪》を何らかの方法で手に入れたかもしれぬという噂があり、そのことに対してミレーゼ陛下にはなにも口にされていない。もしも真のことであれば、王の指輪を盗むも同然。王座を盗む輩と疑いを向けられても、仕方のない行為。そこで、陛下はご自身が民のために傀儡ではない真の専制君主を行う王として君臨されるお覚悟を決められたのだ」
 ダルクスの言葉に、その場の人々の顔が上気し、瞳が潤みはじめる。
 レイドリアンもまた、あの気まぐれで感情のままに行動しているるとしか見えなかったミレーゼが、そこまで深く考えていたのだと知り、自然に熱いものが込み上げてきた。
「わかりました。女王陛下の為に、このレイドリアン。命を懸けて命令に従います」
 青年は誰に問われるともなく、そう決意を述べていたのだった。

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