第十七章《 国境を越える時 》
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雲がどんよりとたちこめ、星々の輝きもすべてが隠れ、闇の帳だけが降りた深夜、メイヴ妃の居館の一室の窓に灯りがともった。
「ぶしつけ者よのう」
言葉とは裏腹に、テラスに身を潜める人物をガウンを羽織ったメイヴ妃はそっと寝室の中へと招き入れる。
「お人払いは?」
「とうに済んでおる。しかし、こう遅くなっては今宵はもう来ないかと思っていたぞ」
燭台の灯りが届かない部屋の隅に、闇の中に佇む長身の男が、口元に笑みを浮かべる。
「『吉報は、夢見の闇に紛れて』が、よろしいかと」
ハリアの侵略で滅んだメイヴ妃の故国、ナクロ国のことわざを男が口にすると、メイヴはふと少女のような表情をうかべてほほ笑んだ。
「おまえだけが、わたしの心をわかってくれる。のう、ガーゼフ」
名を呼ばれた男は、静かに一礼をする。
「それで、指輪は手に入ったのじゃな」
「御意」
メイヴは、満足そうに妖しげな瞳を目元にたたえると、ガーゼフに長椅子に座るようにすすめ、自らも傍らにある愛用の椅子に深々と腰を静めた。
「ただし、ひとつ問題がございます」
蝋燭の灯りがガーゼフの口元を照らすが、その瞳は髪の影となりはっきりと見ることができない。
「申してみよ」
「指輪には、持ち主が存在致します」
「持ち主?」
「眠りについていた指輪をこの地まで届けた人物。名はサトニと言う子供ですが、指輪をこの者から引き離すと、その指輪の力が暴走いたします」
「ふむ……」
メイヴ妃は長いため息をつくと、ガーゼフがどのようにしてその指輪をもつ少年を見つけたのかをたずねた。
そしてひと通り聞き終えると、静かに目を閉じ、しばしなにごとかを思いを巡らしているようだった。が、再び瞳を開けたときには、決意の色が浮かびあがっていた。
「わかった。そなたの長年の努力に報いるためにも、わが積年の思いを果たすためにも、私は決断をする時期にきたようじゃな」
「では、いよいよ」
ガーゼフの囁きに、メイヴはうなずきながら、左手をそっと軽く持ち上げる。
すると、ガーゼフは流れるような動作で長椅子から立ち上がると、メイヴ妃の前に歩み寄り、片膝を絨毯につき、その指を優雅にとって口づけをした。
「うむ。ただ待つのはもううんざりしたわ」
メイヴ妃の白い指の一本一本を、慈しむように触れては離す行為を続けるガーゼフの唇をじっと見つめていたメイヴ妃の瞳に、妖艶な光が浮かび上がる。
そして、自分のその手をゆっくりと持ち上げて口元へと近づける。
ガーゼフの顔が至近距離でメイヴ妃の顔と向かい合う。
「人払いは、明け方までじゃぞ」
伏せられていたガーゼフの藍色の切れ長の瞳がゆっくりとメイヴ妃の瞳に視線を重なりあう。
「お心のままに」
低い声でそう囁きかけるとガーゼフはそのままメイヴ妃を抱き上げ、闇の中、炎の薄明かりに照らされる天蓋付きの寝台へ向けゆっくりと歩みを進めて行った。
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