《第十六章 封 印 》
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アルクメーネは、奇妙な胸騒ぎに明け方目を覚ますと、そのままルナの寝ている部屋に足を運んだ。
静かに扉を開けたアルクメーネは、窓から外へ出ようとしているルナとランレイの姿を見つけて、思わず呼び止めた。
「待ってください!」
ルナの体は背後から聞こえて来た懐かしい声に、窓を飛び越えていかなければと思うのだが、体が動かなくなっていた。
「どこに行こうというのですか?」
駆け寄るアルクメーネの目に、銀色の髪が飛び込んで来る。
ルナは戻ってしまった髪の色を見られたことに、悔やんだ表情を見せた。
守護妖獣たちがルナに向けてその力を放ったあとは、いつもどんなに染めても髪の色は銀色に戻ってしまうのだ。
ノストールにいた頃は、村に遊びに行くときは髪の毛を染め、帰りには守護妖獣のリューザに銀髪に戻してもらっていたのだが、昨夜、カイチの光を浴びて緑に染めた髪の色が、もとに戻ってしまったのだ。
この一晩で変わった銀髪を見られれば、怪しまれるのは想像出来た。
そのことで助けてくれたアルクメーネに迷惑がかかることが怖くて、ルナはアルクメーネに一目会いたい気持ちを押さえて出て行こうとしていたのだ。
「病気が治っていないというのに」
アルクメーネは、ルナの腕をつかみ顔をのぞき込む。
だがルナは思わず顔を背け、手を振り切って逃げようと試みた。
しかし、その体をアルクメーネに抱きとめられるように両手で包み込まれ、ルナは動けなかった。
「大丈夫。こわがらないで。危害は決して与えません」
耳元で言い聞かせるようにささやくアルクメーネの声に、ルナは抗えなかった。
懐かしい優しい兄の腕と声に、逃げ出す力が失われてしまったのだ。
ルナの抵抗がなくなるのを感じると、アルクメーネはルナとランレイを窓枠から降ろし、窓の扉と鍵をしっかりと閉めた。
そして、ベッドに並んで腰掛けると、ルナの顔と、昨日までは確かに緑色だった髪の毛を不思議そうに見つめる。
「どうして出て行こうとしたのです?」
「元気になったから……その、助けてくれてありがとうございました」
ルナは、心臓を打つ激しい鼓動が、アルクメーネにわかってはしまわないかと緊張しながら返事をした。
「完全に治るまでは外に出ないほうがいい。きみは死にかけていたんだよ」
「はい」
ルナは、顔を下げたままなかなかアルクメーネの顔を見ることが出来ない。
「名前は?」
「ジーンです。その……こっちはランレイ、言葉……話せないんです……」
なかなか自分を見ようとしないルナに、アルクメーネはそれでも優しい心が広がるのを感じていた。
こうして一緒に座っているだけで、次第に幸せな時間が蘇って来るようで、アルクメーネは自然にルナの銀色の髪に触れていた。
「昔……大病を患うと、髪の色が変わることがあるという噂が流れたことがありました。ジーンはこの髪の方が似合っていますよ」
それがいつ、だれを示したものなのかアルクメーネは覚えていない。
ただ、その髪に触れたとき、ふと言葉に尽くしがたい感情が膨らんで行くのを感じたのだ。
ルナの肩まで伸びたからまっている銀髪を指ですきながら、ほほ笑んだ。
「熱が引いて良かった。私の父がジーンたちのいる小屋を教えてくれたんですよ」
「え?」
思いがけない言葉に、ルナはアルクメーネを見上げた。
「やっと、私を見てくれましたね」
大人びた兄の笑顔に出会い、ルナは視線を外すことが出来ないまま、唇を固く結び、顔をこわばらせた。
(兄上……!)
唇までせりあがったその言葉をこらえるのだけで精一杯だった。
「誰が……知らせてくれたのですか?」
「不思議な話ですけれど。信じてはもらえないかもしれませんが、夢の中で、私の亡き父が森の中にある小屋へ行くよう導いたのです。どうしてそのような夢を見たのか覚えてはいないのですけどね」
アルクメーネは「フフ」と、はにかむように微笑んだ。
「ただその夢がずっと気になって、この近くに森があると聞いてからはどうしてもあの小屋に行かなければ、いや……見つけなければという気持ちになっていたんです。父が何を私に知らせたかったのか知りたかった。死にかけている君達を見つけたときは本当に驚きました」
「……………」
ルナは父カルザキア王が自分を「死」から守ってくれたに違いないと思った。
アルクメーネが見つけてくれなければあのまま死んでいたのかもしれないと思う。
マティスの〈先読み〉は当たっていたのだから。
(父上……)
ルナは父の深い愛を感じて雷に打たれたように放心していた。
そのルナを、アルクメーネはなぜだか涙が出て来そうな感情の高まりを感じながら見つめていた。
「窓にいる二人を見たときは、心臓が止まるかと思いました。まるで、手の中で死にそうだった小鳥が、突然手の届かない空へ羽ばたいて行くようで……。変ですよね元気になったことは喜ぶべきことなのに」
自分を覚えていないはずの兄の言葉にも、ルナは温かいものが全身に広がって行く心地よさに、ただ耳を傾けていた。
――逃げないで。
エディスの言葉の意味がおぼろげにわかったような気がした。
――新しい絆を作って下さい。
「緑色の瞳も声も想像していたとおりでした」
その言葉にルナは、アルクメーネが自分の名を呼んでくれるかもしれないと淡い期待を浮べた。
だが、どうすれば呼んでもらえるのかがわからない。
「そうだ、お願いがあります。ある言葉を言ってもらいたいのですが……」
ルナはアルクメーネが何を言おうとしているのか、緊張しながら次の言葉を待った。
その時、部屋の扉が勢いよく開き、不機嫌そうな長身の男イズナが姿を現した。
「何をしてるんですか?」
慌ただしく部屋の中に入って来て、ベッドに座っているアルクメーネをあきれたような怒ったような表情で見る。
黒髪の長髪を後ろで束ね、赤いバンダナをして長い前髪で右顔を隠してしまっているような髪型、長身の男の登場に、思わずルナはびくりとした。
「何を……って、あまり大きな声を出さないで下さい。ジーンとランレイがおびえます」
毅然と言い返されて、イズナは思わず言葉を詰まらせる。
「どんな病かわからない。病気が移ってはいけないから、部屋には近づかないようにあれほど言ったはずです」
二人の子供に視線を走らせると、病気で寝込んでいたとは思えない程回復している様子に内心驚く。同時に、緑色から変わっているルナの銀色の髪を見てさらに訝しげな目でアルクメーネを見る。
「大病をした子供の中には、一晩にして髪の色が変わることがあるのですよ。そんなに驚いた顔をしては、ジーンが可哀想です」
イズナはその言葉に、そういえばそんな話をどこかで聞いたことがあるような気がして思わずうなずく。
だが、納得いかないのはアルクメーネの保護者のような態度だった。
一体どうやってアルクメーネの関心を引いたのか、と。
だが、最初に関心を持ったのはアルクメーネの方だったことを、イズナは知っている。
それでも得体の知れない子供には違いない。
不審な眼差しを向け、正体を見極めようとするのは当然のことだった。
「よっぽど運がいいガキのようだな」
「女の子です」
中性的ではあるがどう見ても男児にしか見えない子供を、昨日から女だと主張するアルクメーネにイズナは天井を仰いだ。
しかも、そこまでムキになる事情が理解できない。
やっかいなことになりそうだと思った。
熱がひいたなら、とっとと金を渡して追い出してしまうのがあとくされなさそうだと考えていたのだ。
「危ないところでした。わたしが見つけなければ、二人とも黙って出て行くところだったんですよ」
アルクメーネの得意げな言葉に、そうなっていればよかったのにと心の中でイズナは思った。
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