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《第十六章 封 印 》

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 これは夢だとどこかでわかっていても、その光りは全身に染み渡る。
「みんな……ありがとう……」
 うわ言のようにつぶやく自分の声で、ルナは目を覚ました。
「…………」
 ぼんやりとした意識のなか、うすぐらい静かな暗闇の中で、ルナは自分を見下ろす視線に出会い、何度も瞬きを繰り返した。
 まだ夢の続きを見ているのかと思った。
「カイチ……?」
 自分が冷たい土と藁の中ではなく、暖かな寝床の中にいることにすぐ気が付いたが、それがどうしてなのかルナはわからなかった。
「まだ夢みてるのかな……」
 白い毛をした一角獣の山羊は、二番目の兄アルクメーネの守護妖獣カイチに間違いないはずだった。
『ご心配いたしました。おかげんはいかがですか?』
 感情のあまりこもらない冷静沈着な言葉は紛れも無く、ルナのよく知るカイチのものだった。
 ルナは混乱した記憶の中で、思わず身を起こしてカイチの顔をのぞき込んだ。 
 体は軽く、もうどこも苦しくはなかった。
「カイチだ。夢……じゃないの? ここはどこ? どうしてカイチがいるの?」 
 状況がまったくわからないままカイチに問いかける。
『ここはナイアデス皇国。あなたはカカル村の子供達を助けて、森の中の小屋の中で倒れていました。留学のためにこの国へ来ていたアルクメーネ様が、あなたを見つけられたのです』
「兄上が? 兄上が……近くにいるの?」
 ルナは、心臓が突然激しく高鳴りだすのを感じた。
「あの……僕のこと……は?」
 ルナは、自分の名前を言おうとして言葉に詰まった。
 思わず喉元に手を当ててしまう。
『どう致しました?』
「旅の途中でエディスと会ったときに……名前を封印されて……」
『なるほど』
「え?」
 ルナは、カイチの納得しているような反応に思わず聞き返す。が、兄の守護妖獣はそれには答えず、かわりに今の名をたずねた。
「ジーン。ハーフノーム島でそう呼ばれてたから。海賊の頭、ジルの息子の名前」
『ハーフノームの海賊の子ジーン。それは良い名です』
「どうして?」
 ルナは困ったようにカイチを見つめる。
『アルクメーネ様には、その名をお名乗りください』
「やっぱり兄上も、僕のこと忘れているから?」
 ルナは、カイチの言葉に自分の身の上に起こった現実を思い出した。
 それは同時に、自分は兄の中から消えているのだということを思い出すことでもあった。
 思わず涙が込み上げてくるのをルナは、懸命にこらえる。
 覚悟はしていたつもりだった。
 しかし、森の奥の馬小屋の中から、アルクメーネが自分を助けてくれたと知ったとき、ひょっとして兄は自分のことを忘れていなかったのではないかと思ったのだ。
 だが、やはりそうではないのだとカイチに告げられ、ルナは全身から力が失われて行くようだった。
「兄上が名前を呼んでくれたら、封印がとけるって……言ってた」
 その言葉を黙って聞いていた守護妖獣は、長い沈黙を保ち、やがて静かに告げた。
『ここは、ユク神のつかさどりし大地。また瑞獣が王妃の下に誕生し、まだ間もない世界。この地は人間の目には見えなくともまばゆい光にあふれております。さらに今宵は満月、アル神の加護強き夜。お会い出来たことは偶然ではないと信じられる夜です』
「うん……」
 ルナには、ユク神や瑞獣のことなどまったくわからなかったが、カイチの全身から発せられる白い光に厳粛な気持ちになる。
『一度だけ申し上げます』
 カイチは声を忍ばせるように静かに語り始めた。
『我々ラウ王家の守護妖獣は、あなたの名を呼ぶことが出来ません。あなたの証しを示すこと、あなたにかかわる記憶に触れることを、避ける道を自らに課し、律しております』
 ルナは、その言葉に凍りついた。
『ラマイネ王妃の守護妖獣ネフタンは、あなたのことを王妃に知らせたために、アンナのメイベルに封じられ、アウシュダールの下に封印されております。王妃はそれにより深い眠りに誘引されました。我々はそれを知っています』
「え……?」
 ルナは、カイチの顔を瞬きもせずに見つめていた。
『カルザキア王のイルダーグも、最後にあなたの名を呼び絶命した。私たちは知っております』
 雷鳴がどこか遠くで響き渡るのをルナは聞いた。
「忘れたことない。覚えてる……」
 辛い記憶が蘇り、ルナは頬を流れる涙を拭うことも忘れ、カイチの言葉に耳を傾けた。
『すべてはアンナのメイベルがかけた魔道の呪術。人間の記憶は偽りの記憶を重ねることで人は知らぬうちに、記憶を封じられてしまう。けれど、我ら守護妖獣は主を守るが故に記憶を失うことはないのです。それが故に、メイベルはわれら守護妖獣を捕らえる罠に、あなたの名を用いたのです。あなたを思い出させるすべてに封印を施し、守護妖獣が主にあなたのことを一言でも告げれば、その瞬間にメイベルの手に捕らえられる罠を』
「そんな……」
 ルナは、カイチの言葉に全身から血の気が引いて行くのを感じた。
 母のそばにいるはずのネフタンがいなかったのも、イルダーグが最後に息絶えたのも、すべては自分の名を呼んだためであると知って、ルナは心臓が凍りついたように蒼白となっていた。
『エディス殿はザークスと会っております。あなたの名に封印をかけることで、我々もまたあなたの名を呼ぶ危険から守って下さったのでしょう。お会い出来たのが、このナイアデスであったことは幸いしました』
 カイチは、血の気のないルナを、穏やかな瞳で見つめる。 
『いまこの地は、瑞獣誕生の巨大な波動が全世界に広がっており、アウシュダールの力も届きにくくなっております。あなたに会い、事実を知らせることが出来るのは、今宵をおいてありませんでした。ノストールでは、あなたの思い出に接するだけでも術は行使される危険があるのです。アウシュダールは、あなたが死んだと信じながら、あなたを恐れています』
 ルナの脳裏に『時が来るまで』と言ったザークスの言葉が蘇る。
『幼子よ』
 カイチは目を細め、図書室の時のように、『王訓書』をひもとく時のようにルナに語りかける。
『強くおなりなさい。真実を見極められる目を得えなさい。そして、アウシュダールがなぜ、巨大な力を得ながらあなたの影を恐れ続けるのか、考えることです』
「はい……」
 そう言ったきり黙り込むルナを、アルクメーネの守護妖獣カイチは夜が明けるまで見守り続けていた。 

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