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《第十六章 封 印 》

 エディス達と別れて、ディアードを探す旅をしていたルナとランレイは、やがてリンセンテートスの国境近くでゴラ国の人買いに売られる寸前の子供と出会う。
 人買いの一味から脱走してきたたという少年を助けたことがきっかけで、仲間を助ける力になってほしいと頼まれた時、ルナはどうしても断ることができなかった。
 突然故郷から引き離され、見知らぬ国でなすすべくもなく大人たちに暴力を振るわれ、人として扱われない子供達の姿を自分の目で見て、ルナは放っておくことができなかった。
 家族から、故郷からある日、突然引き離された苦しさと悲しみを誰よりも知っていたのはルナ自身だったからだ。
 いつも誰かに助けてほしい、迎えに来てほしいと願っていたハーフノーム島での日々。
 国境を越えれば「死」が待っていると言うマティスの〈先読み〉が警鐘を鳴らした。
 だが、それを振り切って、ルナはナイアデス皇国のカカル村の少年少女たちを人買いの手から解き放ち、共に国境を越えた。
 彼らを執拗に追いかけてくる男たちの追跡を振りきり、ようやく子供達の故郷カカル村の近くまでたどり着いたものの、途中で負った傷が原因となり、ルナは高熱に襲われ倒れてしまったのだ。
 マティスの言葉通り、ルナは日の差さない暗い馬小屋で精根尽き果て、全身を蝕む高熱の中で意識を失った。
 ランレイも空腹と疲労で体力を失い動くことも出来ないまま、ただルナのそばにいた。
 二人は、ともに、やがれ訪れるだろう「死」の瞬間だけを待っていたのだ。

 ルナは、高熱にうかされながら長い長い夢を見続けていた。
 ブレアの町をヴァルツが襲いネイが殺される悪夢。
 旅を終えてブレアの町にやっと帰り着き、元気になったネイが笑顔で迎えてくれる夢。
 エリルが、アンナたちと旅をしている夢。
 エディス、マティス、オージーと一緒に過ごしたつかの間の楽しい夢もあった。
 それらは浮かんではすぐに消え、次の場面へと変化して行く。
 どれが現実に起きたことで、どれがただの夢なのか、すべてが混沌として区別がつかない。
 また夢が訪れる。

――ねぇ、中にいれてよ! ぼくが看病するよ!
 どこからか心配そうな声が聞こえた。
――いけません。どなたも中にはお通しできません。
 遠く懐かしい声だった。
――いやだ! 部屋の中に入れろ! 命令だー!
――陛下より、王子様方をルナ様のお部屋にお通ししてはならないときつく言い渡されております。 
 きっぱりとした口調に、ルナは暗闇の中で、その声の主がクロトと侍女頭のセレナだということを思い出す。
――ちょっとでいいんだよ! ルナ、一人で寂しがってるだろ? まだ赤ちゃんなのに、熱がたくさんあるのは命に危険だって。助からないかもしれないって誰かが言ってた。そんなの可哀想だよ! ぼくがルナをお見舞いしたらすぐに治るんだから! セレ、開けてよ!
――できません。テセウス殿下、アルクメーネ殿下からのお申し出もございましたが、同じようにお断り致しております。
 そう断るセレナの口調も、やや辛そうな響きがあった。
――開けてくれるまで、ここから動かないからな!  
 クロトの宣言にセレナの深いため息がこぼれる。
 ルナは苦しさの中で、その不思議な光景を小さな揺り籠の中から見上げていた。
 知っているようで知らない空間。
 そばには微かに見覚えのある痩せた老人が自分を深刻な表情で見下ろしていた。
 これも夢だとルナはぼんやりと思っていた。
 そんなに重い病にかかった記憶はない。
 げれど、その夢の中でも、ルナは苦しんでいた。
 体がほてるように熱くて、全身から汗が吹き出し、けだるくて指一本さえ力が入らない。
(国境を越えたんだっけ……)
 夢なのか現実なのか境がわからない。
 長い長い時間、夢と現実をさまよい続ける時間がただ繰り返される。
――ルナ様。
 気がつくと、何かがザラザラとした感触がルナの頬をなめ、汗をふき取っていた。
 同時に、心地よい風が全身に吹き込んでくる。
「?」
 ルナが目を開けると、闇の中に、黒い大きな獣の顔が浮かんでいた。
(イルダーグだ……)
 ルナはぼんやりとした意識の中で、父カルザキア王の守護妖獣を見つめていたい。
――王より自分の代わりに、そばについているよう命じられました……。早く元気におなり下さい。
 ロウソクだけを灯した薄暗い部屋の中、長椅子には看病に疲れたのか眠っている老人とセレナ、そして数人の侍女たちの姿があった。
――わたしがいるのに、心配症なのですね。
 別の声が割り込んでくる。
 ルナはその声に涙がでそうになっている自分を感じていた。
(リューザ……だ。リューザがいる……)
――病だけは妖獣の力でも適わぬ時もありますから。王妃も眠れぬ夜をお過ごしです。
 また別の声が聞こえて来た。
(ネフタンだ……)
 イルダーグに代わって、真っ白な長い毛並みをもつラマイネ王妃の守護妖獣ネフタンの顔が現れ、揺り籠から落ちそうになっている掛布を口を使って整える。 
――こんなときは母親がそばについているのがなにより。ルナ様、母上のお心はいつもあなたのそばにありますよ。
 リューザと、イルダーグとネフタンが、揺り籠の中の幼いルナをあたたかな光を発しながら見守っていた。
(父上……母上……)
 守護妖獣に自分の思いを託して、見守っていてくれる父と母の心に触れ、ルナは苦しさから解き放たれる感覚を得る。
 だが、返事を返すことはできない。まだ、言葉を話せない自分がいた。
――一日も早く、元気になって下さい。
 妖獣たちの放つ光が眩かった。

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