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《第十六章 封 印 》

(ちょっと……待て……よ……)
 ルナの知らないところで、宿に帰って行く二人の背中を見つめるある人物が存在していた。
 セルジーニ・リド・ユク・アンナ。
 〈星守りの旅〉をする三人のアンナに気づかれることなく、導き、守り続ける「影守り役」を自ら名乗り出たアンナの家長の一人だった。
 彼はエディスたちがブレアの町に入ってすぐ子供らに襲いかかる正体不明の妖獣を追い払ったのを知ってから、全神経を張り詰めて様子を見守り続けていた。
 特に、エディスが二人の子供と接触してからは、より注意してエディスを思念体で追っていたのだ。
 セルジーニは今まで、エディスに対してある思いを抱いていた。
 それはアンナの一族の者としての資質がないはずのエディスと、ラウ王家の王子達との間にある特別な絆だった。
 ふつうであれば、対面さえ許されないはずの階級の幼いエディスが、ノストールにいる時は王子たち自ら会いにからに訪れ、連れ出して行ったという。
 しかも許可を出した長以外の、誰にも気づかれないうちに。
(何が存在するのだ?)
 セルジーニは、この旅を通してエディスを知り、自分の中に常に存在する疑念を解消したいと思っていた。
 できるならばエディスを一族に残してやりたかった。その為には《星守りの旅》で占術士としての能力が少しでも芽生えることを期待してもいた。
 そのエディスの身に起きた小さな変化をセルジーニは見逃さなかった。
 町で出会った一人の子供に対して示したエディスの感情の波。それが、セルジーニの関心を引いたのだ。
 もうひとつ。その子供自身の存在も気にかかった。
 思念体のセルジーニが子供を探し、捕捉しようとしてもなぜか見つけ出すことが出来ないのだ。
 エディスとともにいる時だけは、子供の姿も捉えることができるのだが、セルジーニはこれまでには経験のない理解しがたい現象に戸惑った。
(ひょっとしたら子供はすでにこの世のものではない存在か、命尽きる直前の魂なのか?)
 自分の肉眼で子供を確認をしたかったが、町を壊滅状態に追い込んだ妖獣が再び町や彼らに近づかないように結界を張っていたため、身動きが取れなかったのだ。
 エディスとあの子供、そして凶暴な妖獣。
(あの妖獣と、一緒にいた子供に主従のつながりはないように思えたが……)
 数々の疑問を抱きながら、セルジーニは二人の接触を待った。
 そしてこの夜、宿を離れた二人を追いかけ、交わされた言葉を耳にしていたのだ。
 しかし、二人の話を聞いていたセルジーニは、自分が考えていた予想とはまったく別次元の、想像だにしない展開に衝撃を受けることになった。

(あの子どもが……ルナ王子? いや……それ以前に……)
 二人が大木のそばを去るのを見届け、自分もまた実体に戻ったセルジーニは、町はずれにある宿の自分の部屋で口元に親指をを当てたまま、ゴクリと喉を鳴らした。
(名に封印を施せるのは「名付け人」だけだ。エディスが、王家の一族の子息の〈祝福〉を行ったということか?)
 〈祝福〉は、アンナの一族の中でも限られたものにしか行うことのできない高度で神聖な儀式だ。
 現在は長のサーザキアがそのほとんどを行っていると言ってもよく、ユク・アンナの七人の家長の一人でもあるセルジーニや、長に次ぐ最高位の能力を持つイリューシアさえ、直系王族に名を与える「祝福の儀」を任されたことはまだない。
 子どものアンナなどは、よく真似事で〈祝福〉として様々なモノに名前を与えるが、それはやはりただの真似事に過ぎない。
 考えてみれば、誰もがルナ王子の「名付け人」はサーザキアだと思っていた。
 しかし、長は末の王子を一度も「名付け子」と呼びかけたことがないことをセルジーニは思い出す。
(ルナ王子が生まれた年齢を考えると、その時エディスはまだ五歳のはず……。いや、まてまて……)
 セルジーニは混乱する頭と心を冷静にしようと呼吸を整える。
(ただの子供の真似事、だという考え方も……)
 エディスはこの旅を終えれば、アンナの資質がないとして一族から離れることがほぼ決定づけられている少女だ。
 アンナの資質がないということは、〈祝福〉を司る儀式とは無縁の存在。
 エディスがルナ王子に〈祝福〉を与えたならば、それほどの資質を備えているならば、今頃は家長の地位におさまっていなくてはならない。
(エディスにはその力はない……)
 しかし、ここに至ってセルジーニは一度自分の先入観を消し去る必要を感じた。
 違うと信じる自分の心が、真実を隠す危険性があるからだ。
(エディス、ルナ王子、ラウ王家……)
 瞼を閉じて、自分が覚えているノストール王国での出来事。ラウ王家の人間、そして持てる知識を総動員して、すべての情報を整理していく。
(エディスが〈祝福〉を行なったとして考えろ。あの子と王子たちの接点……)
 なぜエディスが、ラウ王家の王子たちから特別な友人としてもてなされるのか。
 なぜ王子たちが、愛情を込めて「エディ」と呼ぶのか。
 今までどうしてもわからなかった。
 もしも、彼女が、ルナ王子の名付け親である「名付け人」と仮定したならば、すべての疑問は氷解する。
 だが、その仮説は震撼せざるをえない事実に行き着く恐れを予感させる。
(それでは、エディスにアンナの資質がないと判断した自分たちに誤りがあったことになる。長のサーザキアも、イリューシアも、家長たちも。)
 アンナとして、《星守りの旅》に出るまでに会得する《先読み》も、占術も、簡単な結界を張る術も、妖獣を操る術も、まったくなにひとつと言っていいほどできないエディス。
(そうだ……あの子は、ルナ王子は、カルザキア王夫妻の本当の子供ではない。四番目の王子は長の〈先読み〉によって命を絶たれている。王族ではなく、捨て子だったから……エディスが……)
 セルジーニは一族を否定するような自分の推測を覆したかった。
 〈祝福〉を行なえるほどの人物を、無能者として切り捨てようとしているとは認めたくない。
 それではアンナとしての存在自体に疑惑が生じる。
 自分達の〈先読み〉に間違いがあってはならないのだ。
 あまりにエディスに気をとられて、勝手にとんでもない勘違いをしていると、そう思いたかった。
 しかし……。
(長は知っておられるはずだ……。王子に、ルナと言う名を冠した者が存在することを……。自分以外の誰かが〈祝福〉を行なったことを、長だけはすべてをご存知のはず。だが、なぜだ? エディスが「名付け人」と知っているならば、なぜそれを公にしない?)
 セルジーニの中に次から次へと新たな疑問が暗雲のように湧き上がって行く。
(それに……真似事で……ただ名を冠しただけで、守護妖獣は誕生しない……。〈祝福〉は王家の一員が守護妖獣を得るための重要な儀式だ)
 その答えの入口にたどり着いた瞬間、全身の毛穴から一斉に汗が噴き出した。
(ルナ王子に守護妖獣リューザは存在した……)
 セルジーニ自身、ルナとリューザの姿を自分の目で見ている。
 守護妖獣の存在は、ルナがラウ王家の人間であるという否定しようのない証。
 そのルナの名を封じたエディスは、まごうことなく「名付け人」であり、セルジーニやイリューシアを凌駕する能力をもつ存在であることを意味した。
(これは……どういうことだ)
 長い時間のあと、セルジーニの硬直した頬に、やがて微かな笑みが浮かび上がる。
 だが、それを知るものは誰もいなかった。

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