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《第十六章 封 印 》


 澄んだ深夜の空気が満月の瞬きを一層美しく輝かせる満天の夜空。
 月の光がなければ、歩く道先さえ見えない漆黒の闇の世界。
 人々は闇の訪れとともに、常に月の輝きをその目で追い求めた。
 その夜、静寂さが包む満天の星空の中、月はより冴え冴えとした銀色の輝きで地上を照らしていた。 
 
 ナイアデス皇国の地方領ロゼリア伯爵の館の庭に蛍火のような松明の頼りなげな灯火が揺れ、真夜中の静寂を打ち破る馬車の車輪の音と、馬の蹄鉄の音といななく声が響き渡った。
 正門の警備兵をけちらすばかりの勢いで駆け込んで来たロゼリア家の紋章の入った馬車が止まり、正面玄関の前に止まると扉が開く。
 中から、イズナとアルクメーネの姿が現れた。
 二人は、馬車から降りると大声で使用人たちを呼び、部屋の用意など次々と指示を言いつける。
 アルクメーネとイズナの腕の中には、ぐったりとした二人の子供の姿があった。
 偶然森の馬小屋の中で瀕死の状態にあった子供達をアルクメーネが見つけたのだ。
 
 高熱におかされ一人は瀕死の状態であり、もう一人もまた意識はあるものの体力を失い動けないでいた。
 どこの国の人間なのか、身元さえもわからない子供を連れ帰って薬師に見せる、とアルクメーネが言い張り譲らなかったのだ。
 イズナは関わりたくはないのが本音であったが、見つけてしまった以上放っておくわけにもいかず、やむを得ず従う形になったのだ。
 国境を越えて来たという二人の子供に興味も関心もないイズナとは対照的に、アルクメーネは蒼白になるほど心配し、助命しようと必死だった。
 その様子は本来なら奇妙ともいえるのだが、これまでのアルクメーネの突拍子もない行動を見て来ただけに、イズナ自身感化されてしまったのか、気がつけば自ら馬を飛ばし寝ていた薬師をたたき起こし、館に連れて来たところだった。
「アルクメーネ、いま帰ったぞ」
 子供を寝かせている部屋に、やせた中年の薬師を引きずるようにして部屋に入って来たイズナの目には、死んだようにベットに横たわっている深緑色の髪の子供と、離れずそばについていた様子のアルクメーネの姿があった。
 そして長椅子の上には、ぐったりと横たわっている黒髪黒瞳の少年が映る。
 黒髪の子供は、別部屋に寝かせるよう指示をしたはずなのだが、別々にするのをひどくいやがり抵抗し、今いる場所から動こうとしないのだと執事がイズナに説明した。体は動かないはずなのに、その強固な意志の強さに誰もが手を出せないというのだ。
 少年はイズナが入って来たときも、動かない体でありながら警戒するような鋭い視線を向け続けていた。
「お願いします」
 アルクメーネは、自分の座っていた椅子から立ち上がると薬師を座らせる。
 しかし、思い詰めたようなまなざしは、薬師が脈を取り、熱を確認する様子を見ながらも、苦しげな呼吸をする子供――ルナ――から視線を話せない様子だった。
「お二人は、部屋を出ていただけますように」
 薬師の言葉に、イズナはハッとした様で、あわててアルクメーネの腕を強引に掴み部屋から出るよう促す。
「出よう」
 しかし、アルクメーネはその手を拒む。
「嫌だ。わたしはここに残る」
「それは認めません」
 イズナは今度は従わないという意志をこめてアルクメーネを掴む腕に力を込め、他の人間に聞こえない程度の声で強い口調で言う。
「このガキ共が変な流行病にかかっていたらどうするんです。失念していたおれも悪いが、帰国間際の皇太子殿下を病気にさせるわけにはいかないんだ。薬師は連れて来た。あとは彼にまかせればいい、これ以上そばにいる必要はない。さあ」
 イズナは、留まろうとするアルクメーネに互いの立場を認識させようとした。
「わがままはここまでだ。おれの立場も考えてほしい!」
 身長体重、体力ともにアルクメーネよりも勝っているイズナは、アルクメーネの抵抗を完全無視して、強引に部屋から連れ出した。
 部屋の扉が閉まるのを確認すると、イズナは再び厳しい顔でアルクメーネを見た。
「冷静になったらどうなんです。あなたとあの子供らはなんの関係もない。助けてやる義理もない。なのにこうして、屋敷に連れ帰り薬師に診たてさせているんです。特例として、回復するまでこの館で面倒をみてやっても構わない。しかし、これ以上あなたがこの件に関わるのは、やめていただきます」
 いままで村や町の人々に示して来たアルクメーネの数々の行動に、驚きながらもイズナは徐々に共感を寄せ始めていたのも事実だった。
 だが、今回の件は別だった。
 アルクメーネの身に万が一のことがあれば、ナイアデス皇国とノストール王国の外交問題に発展する。
 理由はともあれ、アルクメーネがイズナと訪れた館で、病気になり仮に死亡でもするようなことがあれば、それがすべてアルクメーネの希望だったとしても、真偽は問わず二国間の関係が悪化することは想像するに難くない。
 そうなれば、ノストールのテセウス王をはじめシルク・トトゥ神の転身人アウシュダールの逆鱗に触れ、再び敬愛するフェリエスを、ナイアデスを危険な立場になる。
 そんなつまらない賭けは御免だった。
「ご自分の立場をお考えください」
 イズナの繰り返し諭し諌める言葉に、アルクメーネは沈痛な表情を浮べて目をそらし、背を向けた。
「あとは、お願いします」
 そうつぶやくと、静かに自分の部屋へ向って歩き始める。
「…………」 
 イズナは、ほっとしたように小さく息を吐き出し、その後ろ姿を見送りながら、心配そうに様子を見ていた執事に声をかけた。
「こんな時間の上、あわただしくてまいった。食事は用意できるか?」
「はい」
「では頼む。簡単でいいからな」
 着替えるために自分も部屋に向かいながら、イズナはバンダナをしっかりと結びなおした。
「やっかいなことにならないといいんだが……」
 そう独り言をつぶやきながら。

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