第十五章《 導 き 》
6 |
数カ月後、ナイアデス皇国でのアルクメーネの留学期間も残りわずかとなり、今日もイズナは村を巡るために、馬車でアルクメーネを迎えに城へ向かっているところだった。
昨夜は、ダーナンの動向があやしくなりつつあることや、国境近辺に盗賊団がひんぱんに出没しているなど、夜まで長びく会議となったためにひどく寝不足だった。
イズナは会議自体が苦手な方で、長い時間椅子に座っているのは拷問に等かった。
しかも、加えてフェリエスからはアルクメーネ皇太子攻略は万全だろうなと報告を求められるなど、それは当然の質疑なのだが、イズナは自分でも珍しいほど不機嫌になっていた。
イズナの乗るマイリージア家の馬車が、城の正門をくぐったところで、まるでそれを待っていたかのように数人の騎士たちが馬車目指して駆け寄ってきた。
そして両手を広げて止まるように命じ、馬車を取り囲んだ。
「イズナ将軍!」
オルローの側近のコノーノフらが血相を変えて駆け寄り、大声でイズナの名を呼ぶ。
「どうした?」
窓が開いて不機嫌そうな顔が現れる。
「大変です! 剣術場でオルロー将軍とリンド隊長が……」
「夜中越の逢引きでも見つかったか? 会うのも剣術場じゃ色気もないな」
大きな欠伸をしながらコノーノフをチラリと見る。
「いえ、そっ、それが、本当に大変なことに。とにかくお止め出来るのはイズナ将軍でなければと」
「……俺が?」
イズナが、首を一、二度回しながら面倒くさそうに、それでも馬車からおりると、コノーノフと一緒に来た若い兵士が、自らの馬の手綱をイズナに渡す。
「お使いください」
「はいはい」
イズナはだるそうに馬に飛び乗ると、わき腹を軽くひと蹴りし剣術場に馬を走らせた。
剣術場近くの建物まで近づくと、話題の二人に見つからないように、身を隠しながら渡り通路の方を見ている人だかりが現れた。
彼らはめったに見ることのできない二人のケンカを好奇心を高まらせ見ていたのだ。
憶測と噂のささやき声が、あちこちでひそひそと囁かれている。
そこへイズナが現れ、一瞬場の空気が緊張したのだが、馬から降りて鼻歌交じりにやじ馬の集団に加わろうとしているのを見て安心したように野次馬達の視線が二人に戻る。
「盛況だなぁ」
ちいさな欠伸をしたとき、リンドの良く通る声が響いた。
「つまらな言い訳は、聞きたくないの。わたしがいない間になにをやっているかという事実を聞いているのよ」
言い争っているリンドとオルローは、共に帯剣しており、リンドはすでに抜き身の剣を右手にもっていた。
「お、ついに仮面舞踏会の一件がばれたか」
腕を組んで楽しそうに眺めていると、別の馬で追いついたコノーノフが、止める気のなさそうなイズナを見てあわてて馬から下りて横に立つ。
「将軍……」
「なにかと思ったら舞踏会の一件か」
「はぁ……、その……お相手がリンド様の隊のものだったとか」
コノーノフが、ヒートアップしていく二人の様子におろおろしながらも答える。
「お相手って言ったって、踊っただけだろう」
「それが、オルロー様がそのような舞踏会には行っていないと最初に答えられたのが……どうもいけなかったと申しますか……」
「はーん。オルローを追いっかけて軍隊に入り、女性部隊を作り上げたほどのやきもちやき屋を相手にすぐばれるような嘘を……馬鹿だな。リンドにはあらかじめ予防策を貼っておくべきなんだがな。やましい想いでも見透かされたか」
イズナは呆れたように、バンダナをした黒髪を掻く。
「おれ、帰るわ」
「イ、イズナ将軍!」
背を向けるイズナに、ふだんはきりりとした表情で女性受けしているコノーノフが情けなさそうにその腕を取り引きとめる。
「オルロー様のあのような醜態、これ以上人目にさらすわけにはまいりません。お願い致します。お引き止めください!」
泣き出しそうな表情のコノーノフに、イズナはあきらめたように大きくため息をついた。
そして、おもむろに両手を口元に当てて大声で叫んだのだ。
「踊っただけじゃなかったのか? 堅物のわりには珍しいこともあるもんだなぁ!」
その声に二人は振り返り、イズナと自分たちを遠目に見ているやじ馬に初めて気がついたように、表情を引きつらせた。
「お前らも、めずらしいな―! 二人で剣の練習に客を集めてるのか? それとも俺が、痴話ゲンカの見物代でも取っていいかぁ?」
イズナを見たオルローが舌打ちをしつつも、あきらかにほっとした様子でイズナに向かって歩き出した。
だが、その背にリンドの鋭い声が飛ぶ。
「自分に都合が悪いと、そうやって逃げるのね。イズナに助けを求めてないで、自分に偽りがないというなら、私の剣を受けなさい」
背中を貫く罵声に、オルローの眉間がピクリと動く。
「それとも、フェリエス皇帝の親衛隊長は浮気がばれてしっぽを巻いて逃げるふぬけなの?」
オルローの目がすっと細くなる。
「ウソを言わないと、舞踏会にも行けない。いつだって、あたしには面と向かって何も言わないものね。行ったなら、行った。本当は行きたかったと言えばいいじゃないの。弱虫」
その足が止まる。
「女が相手じゃ、剣は抜けない? それとも、部下やみんなが見てる前であたしに負けるのがこわいんじゃないの?」
オルローの手が腰の剣に伸びかけ、止まる。
「いいわ、お逃げなさい。あたしの剣を受ける勇気がない弱虫男なんて用はないわ! こっちからお断りよ。もう顔も見たくないわ」
叫んで帰ろうとするリンドの背に、オルローは振り返ると鞘から剣を抜き放って呼び止めた。
「わかった、こいよ。受けて立ってやる」
そのオルローの言葉に、リンドは振り向き様に間髪おかずに突進する。
リンドの剣がきれいな弧を描いてオルローに襲いかる。
見守っていた人々はぎょっとして息を呑みこんだ。
冗談ではすまない事態に、数人がイズナに救いを求めるように駆け寄ってくる。
「イズナ様、お二人を止めてください」
「これで将軍が、リンド様を傷つけられでもしたら大変なことになります」
コノーノフをはじめ、オルローの部下が、剣を抜いてリンドと剣を交えているオルローに目を走らせながら、顔から血の気をなくしてイズナに訴える。
「お願いでございます」
真剣な懇願にも、イズナはわざと大きなあくびをして、人だかりから離れようとする。
「イズナ様ぁぁ!!」
「将軍!」
「痴話ゲンカに付き合ってたらこっちの身がいくつあってももたない」
「しかし……」
「心配するな。オルローは受けて立つだけだ。あいつはそう言っただろう」
その言葉にコノーノフがおろおろしながら二人を見る。
周囲はしんと静まり返り、ただ二人の剣の打ちあう音だけが響き渡っていた。
全身で怒りを現し、剣をぶつけていくリンドの動きは俊敏な中に華麗さがあり、その美しさには思わず見ている者にため息をこぼさせた。
一方、その繰り出される鋭い剣先をかわし、また受けながら、防戦一方のオルローのにも見ているものを安心させるなにかがあった。
イズナが言った通り、オルローはまさに「受け」のみの姿勢を貫き通していたのだ。
その剣先は、リンドに牙をむいて襲いかかることはなかった。
右手に構える剣は攻撃のため武器ではなく、身を守る盾となった。
決してふざけているわけではないのはわかっていても、二人の動きはそれ自体が一つの剣舞のように、見ている者を圧倒し、また魅了していく。
「あれが、あいつらの愛情表現だから放っておくのが一番なんだ。下手に仲裁にはいったり、どっちかに加勢してみろ、ナイアデスの女傑リンドの鋭い剣先が俺の喉元にくいこむぞ」
コノーノフが「はぁ」と戸惑った表情で、疲れたように首を前後左右に振っているイズナの横顔をじっと見る。
「まぁ、それでもだ。もしもオルローがリンドに負けることがあったら、技量や力じゃないことは確実だな。自分に後ろめたさがあるか、もしくはリンドの『気』に負けたときだ。つまり、女の気迫だ」
「そうなのですか? そ、それで、どうなるのですか?」
「そりゃおまえ、その瞬間からリンドはナイアデス皇国一の『かかあ天下の名取り』になるんだな、うんうん」
イズナが楽しそうに大声で笑ったとき、
「だれが『かかあ天下』ですって!! イズナぁ―!!」
リンドの鋭い叱責とともに黒い物体がイズナとコノーノフ目がけて飛んで来る。
風を切って襲いかかる影をイズナは振り向きもせずに片手で受け止める。
受け止めたときの衝動が思い音となって周囲に伝わる。
「そうか……」
イズナはポツリとつぶやいた。
「剣が飛んでくるとは限らないか」
引きつった表情のコノーノフに、それを渡すと、にっこり笑う。
「結婚式まで、花嫁はなかなか花婿に会わせてもらえないからな。いろんな邪推もするさ。それまで、がんばって大将のおもりに励めよ」
イズナはからからと笑うと、青ざめているコノーノフを置いてその場から立ち去っていった。
コノーノフが自分の手に残されたものをまじまじと見ると、それは、リンドの剣の鞘だった。
戻る | 次へ |