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第十五章《 導 き 》

 仮面舞踏会の日が訪れた。
「見てみろ。噂の貴公子が来るという話は、効果絶大だ」
 マスクを片手に持ち、バルコニーの窓から外を眺めていたフェリエスはイズナとオルローに満足そうにうなずいて見せる。
 窓の外には、次から次へと正門をくぐり抜けて来る馬車が行列をつくり、盛装した貴婦人や紳士たちが舞踏の間へと城の石階段を上ってくる姿があった。
「陛下のご考案どおり、ひさしぶりに華やかな賑わいが戻りました」
「今日はわたしも、久々に一人の貴族としてご婦人たちの手をとろう。シーラも招待いるあるから、おまえたちが踊る機会に恵まれてもあまり私の悪口を吹き込むなよ」
 いつになく上機嫌のフェリエスは手にしていたマスクを顔に取り付け、舞踏の間へと続く通路へと歩き出す。
 扉が開かれる。
「今日はわたしも楽しむかな」
 フェリエスと肩を並べて廊下を歩き始めたイズナはその横のオルローの言葉に、おやという目でそのすました横顔を見る。
「珍しいことを言うじゃないか。仮面舞踏会に限らず、パートナーはいつもリンド嬢と決まっているんじゃなかったのか」
「リンドは今日は来ない」
「お?」
「ユクタス将軍と共にトルフェ領へ出ている。帰って来るのは当分先のことだ」
「なーるほど、そこで今宵はおおいに羽を伸ばそうというわけか」
「人聞きの悪いことを言うな」
 オルローがややばつが悪そうに睨みつけるが、イズナは一向に気にする様子もなくマスクを付ける。
 それを見ながら、オルローも同じように顔の半分を隠す仮面を取り付けた。
 三人は笑いながら、舞踏会開始の王宮楽団によるファンファーレが鳴り響く舞踏の間へと消えて行った。

 大きな広間の高い天井には天井画が描かれ、蝋燭を三重に立てた水晶の大きなシャンデリアが中央に、二重立てのシャンデリアが煌々とした輝きをはなっている。
 その下では、華やかに着飾った貴族の男女が宮廷楽団の奏でる音楽に合わせ楽しげに踊っていた。
 皆、マスクをつけ、仮面をし、ベールでその顔を覆い、かつらをつけ、盛装に身を包み美しく装った貴婦人の手をとり優雅に踊りながら、密やかに交わす会話の中から互いの正体を探り合う。
 また、踊らずに壁際で飲み物を手にその様子を見ている者もいるが、そのほとんどは気になる女性の手を取るために、次の曲までその機会をねらっているのだ。
 「金髪の貴公子」と貴族の娘たちの間で噂になっているアルクメーネも、フェリエスの命ということもあり、この夜は覚悟を決めて、主催者としての挨拶をし、次々とその手を求めて来る積極的な令嬢たちの相手をしていた。
 なかには、若い娘たちだけではなく、明らかに人妻とわかる婦人までもが、今宵の逢瀬をアルクメーネと過ごそうと様々な言葉をささやき、手紙をそっと忍ばせて来る。
 やがて集団舞踏に入ったのをきっかけに、アルクメーネはそこから抜け出し、シャンデリアの光が届かない壁際に逃げるように身を隠した。
 長い髪を掻き上げるように大きく息を吐き出した時、アルクメーネの目の前にプラナ酒の注がれた美しいグラスが差し出された。
 驚いてその手の主を見ると、小柄な若い青年がそにいた。
 踊りに加わることもせずに、この闇の中にいたらしい青年は、疲労の色を浮べて闇に休息を求めにきたアルクメーネを見て、ほほ笑みながらグラスを差し出してくれたのだ。
「ありがとう」
 アルクメーネはそう礼を述べると、カラカラに乾いた喉にプラナ酒を注ぎ込んだ。
「あなたは、踊らないのですか?」
 人心地ついたアルクメーネが尋ねると、その若者は口元にほほ笑みを浮かべたまま首を横に振った。
 その瞬間、奇妙な感覚がアルクメーネの全身を通り抜けた。
 それは、その青年も同じだったらしく、二人は互いの姿をじっと見つめたまま、意外な出会いにしばし言葉を失った。
「あなたは王族の方ですね」
 体を駆け抜けた感覚は、守護妖獣を持つもの同士が出会った時に感じる特別な気配だった。
「…………」
 アルクメーネの問いに若者は、小さな唇を堅く閉ざし困ったようにうつむく。
「私は、アルクメーネといいます。ノストールが私の国です」
 青年は驚いたように、アルクメーネの瞳をじっと見上げた。
 仮面舞踏会では互いの名を告げないことが暗黙の約束事となっている。
 だが、アルクメーネは自分が名を明かさなければ、青年も警戒し続けるのではないかと感じ、思わず名乗っていたのだ。
 国名を名乗ったことは、軽率だったかと一瞬後悔した。だが、
「わたしは……」
 戸惑ったように開いた口元から出た言葉に今度はアルクメーネが目を見張った。
 それは女性の声だった。
「シーラ・フロイ・ジェンフォーデです」
 アルクメーネは、男装の麗人に驚き、さらにそれがフェリエス皇帝の正妃シーラであることに言葉を失い、仮面の下で輝く琥珀色の美しい瞳をじっと見つめた。
「あなたがノストール皇太子でいらっしゃったので、わたくしも名乗りました」
 囁く小さな声に、アルクメーネは驚きを隠しながら周囲に気づかれないように男装したシーラと壁にもたれるようにして並び、自然な様子を心掛けた。
 シーラとは、結婚式の日とそして数ある公式の場で会ってはいるものの、個人的に言葉を交わすのはこれが初めてだった。
 しかも、皇妃が舞踏会で影に身を隠すようにして暗闇に身を隠し壁際に一人立ったまま、しかも男装でいることに驚きと意外性を禁じ得なかった。
「失礼ですか、どうしてあなたのようなかたが、そのような服装でいらっしゃるのですか?」
 アルクメーネの問いに、シーラは少し顔を赤らめながら説明をした。
 顔を隠しているとはいえ男装しているのが他人にわかってしまった瞬間、身の置き場もないほど恥ずかしくなってしまったのだ。
「どうしても出席するように陛下から言われたのですが、このような舞踏会は初めての経験ですし、どのような方かも分からない人と踊るのはとても私には無理でしたので、困ってしまいまして……その、友人に相談をしたところ男装をすればよいと……」
「友人?」
「ええ、あそこで踊っている青い髪飾りと、青いドレスを着た娘です」
 震える小さな声で、自分から視線をはずさせようと、楽しげに集団舞踊の軽快な音楽にあわせて、ひとつひとつの仕草をくりかえすアインをそっと指さす。
 アルクメーネは集団の中でもひときわ活発そうな輝きをみせて踊っているアインを見つめ、再び視線をシーラに戻す。
 男装を見られて羞恥心でいっぱいの様子のシーラに、アルクメーネは耳打ちをする。
「なるほど、男装とは考えましたね。わたしも今度の仮面舞踏会ではドレスを着て出席しましょう。その時は、ぜひあなたに手を取っていただくのも楽しいでしょうね」
「まぁ」
 ドレスを来たアルクメーネを思い浮かべて、シーラは思わずくすくすと笑った。
 そして、以前にも同じように自分の緊張をほぐそうと、温かな言葉をかけてくれた人物の声と似ていることに気がつく。
「あの……」
 シーラはためらいがちに声をかけた。

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