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第十四章 《 守護を得る者 》


                      (イラスト・ゆきの)

 陽がまだ昇らないダーナン帝国の早朝。
 リレイン城の皇帝の居館に呼び出されたジュゼールが、ロディの寝室を訪れた。
「ジュゼール、ついに使者がきたぞ」
 寝台の上で半身を起こしていたロディが開口一番そう告げた。
 軍師のカラギや宰相のグラハイドらの姿がまだの見えないことから、どうやら自分が一番乗りだったらしいことに気がつく。
「では、カヒローネへ行かれるのですか?」
 ジュゼールはロディの言葉から、カヒローネからの親書が届いたことを知る。
「ああ。約束を違えることはできない」
 憂いを秘めた碧い瞳が、覚悟を決めたようにジュゼールにほほ笑みかける。
「一年も待たせてしまったからな」
「ですが、その間にあの国では、王は三人も変わっております」
「言うな。カヒローネにはわたしの代わりに残っている者たちもいる。代が変わろうとも、その間、手厚く遇してくれていのもまた事実」
 ジュゼールは、自分が言おうとした言葉をロディに遮られて、視線を足元の毛の長い絨毯の上に落とした。 

 一年前、リンセンテートスへ進攻しようとしたダーナンは、攻めるべき国を目の前に、突然の豪雨と川の氾濫に襲われ、戦う前に多くの兵を失い撤退を余儀なくされた。
 最前線にいたロディは、乗っていた馬が流木に巻き込まれて沈み、自身も豪雨の中で濁流に呑み込まれる寸前、ジュゼールによって間一髪救われた。
 だがその時に、両足を骨折するという大怪我を負ったのだ。
 今では乗馬もできるほど回復したが、まるでそれを知っていたかのように、カヒローネから使者が訪れたことになる。 
 あの進行に際して、ダーナンがリンセンテートスを攻略する足掛かりとして不可欠だったのは、二国の間に位置するカヒローネの協力だった。
 リンセンテートスでフェリエスにさらわれたままのロディのたったひとりの妹フューリーを救い出すためには、砂嵐の去った直後のリンセンテートスを攻め、城に滞在しているナイアデス皇帝フェリエスの帰還前に、その身柄を確保する必要があった。
 そのためには、カヒローネとことを荒立て無駄に戦力を消費するよりも、多少の困難があろうとも協力を得ることにロディはかけたのだ。
 だが、国の王が目まぐるしく代わっていくカヒローネに安定した権力というものは皆無に等しかった。
 そこで、ロディはカヒローネの全九部族に使者を送り、カヒローネ国内をダーナン軍が通過する許可と、その際の補給等の協力を要請した。
 当然、戦さの勝敗にかかわらず、補給に費やした経費と謝礼金は九部族平等に渡すこと。そしてその協力あった上でリンセンテートス攻略に成功した暁には、ダーナンは、リンセンテートス全領地の権利すべてをカヒローネに委譲する約束を申し出たのだ。
 意外なことに、カヒローネから訪れた使者は全九部族の返書をもって現れた。
 そこには、「カヒローネ、ダーナン二国協定を結ぶことを同意する。だが、もう一つ項目を増やすことが条件であり、これを快諾されれば喜んで道を開こう」と記されていた。
 全部族の長が望んだ条件とは、カヒローネの塔姫と呼ばれているミア・ティーナ姫との婚姻だった。
 その条件を耳にしたとき、ジュゼールをはじめ全臣下たちが反対を口にした。
 カヒローネに伝わる塔姫の不吉な噂は、ダーナンにも聞こえ広まっていた。
 王位争いが耐えないのも、どの部族がひとつとして権力を維持し続けることができないのも、理由が存在する。
 それは十六年前に誕生した塔姫にあるというのだ。
 遠い昔、カヒローネと国名が統一される前、ある小国の王にターヤ神から《ミア・レルゼの指輪》が贈られたといわれている。
 だが、歴史の流れの中で、国が分かれ、また侵略が繰り返され、ついには九つの部族の勢力が均衡となった緊張状態が続いた。
 そのような中で、大国の台頭により九部族はひとつの国として大国から身を守ることでまとまりをみせる必要性にかられた。
 首都をつくり、指輪は新たに築かれたターヤ神殿の塔に祀られることとなった。
 そして、九部族の族長が交互に王位を持ち回りをし、指輪を守るという取り決めがされたのだ。
 たとえその王の在位期間がどのようなものであろうと、王の死後は約束に従い次の部族の者が王になる。
 そのことを、九部族の族長はカヒローネの守護神ターヤに改めて誓約をした。
 だが、ある王の代になった時、秩序を破った別部族の者が指輪を奪い、王を名乗る事件が起きた。
 誓約が反故にされたのだ。
 だが、当然神の怒りをかうと思われたこの行為だったはずだが、奇妙なことに指輪は新しい王に守護妖獣を与えた。
 裏切り者が王の座を得たのだ。
 それがターヤ神の意志だと誰もが絶望の中で、そう認めるほかなかった。
 この出来事がきっかけとなり、以来、指輪を得た者が王であるとの不文律が生まれ、王位を狙うものは指輪を狙い、王に就く者は常に命を脅かされた。
 王位を血と血で争う。
 終わりのない交代劇が繰り返されたそんなある時、その時は突然訪れた。
 前触れもなく《ミア・レルゼの指輪》の紫の石が砕け散ったのだ。そして、カヒーローネのすべての守護妖獣は消え去ってしまった。
 その時、うろたえ騒然とする族長たちの前に一人の男があらわれた。
『ターヤ神が盲いの神であるのをよいことに、誓いを破り、欺き、裏切り、王の座に就いた部族は一人残らず根絶やしにされるでしょう。それを防ぐには一つの方法しか残されていません。砕けた石を集め《ミア・レルゼの指輪》の石と指輪の台座を一つの器に容れ、最初の王の部族の姫に守らせるのです。部族を統べることのできる真の王が国をつかさどる時、慈悲深きターヤ神はあなたたちを許し、指輪はもとに戻り、そして、守護妖獣はその王の下に降り立つでしょう。』
 アンナの一族の者であったその占術士は、言葉少なにそう〈先読み〉告げると、いずこへともなく去っていったという。
 驚いた九部族の人々は、その言葉に従い最初の王となったゾルガ部族の長の娘に指輪を守らせ、ターヤ神殿の塔へ幽閉し、その生涯をターヤ神への謝罪にあたらせたのだ。
 アンナの言葉どおり、カヒローネの九部族は一時は神への感謝と贖罪に静かな時間を送ることができた。
 だが、時間の経過とともに贖罪の意識は風化し、王となった者は当然のように指輪と守護妖獣を欲しはじめ、塔姫のもとに自分こそがカヒローネの王と名乗り、指輪を渡すように要求するようになった。
 だが、《ミア・レルゼの指輪》は塔姫に守護妖獣を与えていたために、王となっても力ずくで指輪を奪うことは叶わなかったのだ。
 歴代の王たちは、塔姫を指輪から引き離す策を模索し続けた。
 やがて、ミア・ティーナが塔姫となってから、この十六年の間に状況はさらに悪化の一途をたどり、森羅万象に至るまで国は荒れ、絶えることのない戦乱の世が続いた。
 更には、人々の口にその災いのもとこそが《ミア・レルゼの指輪》の守護妖獣とミア・ティーナにあるのではないかという噂がたちはじめたのだ。
 その理由となった最も大きな原因は、塔姫ミア・ティーナの守護妖獣ウェバーが、戦乱を招く魔獣ドールの種族だと言われているからだ。
 誰もが見たこともないはずの守護妖獣の姿が、どうして人々に知られたのかは謎であった。
 守護妖獣ウェバー。
 その姿形は一見、小さな幼女の姿をしているが、真っ白な長い髪と、虎のような体毛、蝙蝠(こうもり)のような黒い翼、白目のない赤い瞳を持っていた。伝承に謳われる魔獣ドールの姿そのものだという噂がいつしか人々の間に流れた。
――指輪の守護妖獣が魔獣とは、カヒローネもいよいよ終わりだ。
 王が安定した王政が行わず王権争い続ける九部族に対し、守護神ターヤが、魔獣を遣わしその手で国を滅ぼさせようとしているのではないかという噂が輪をかけて広まっていた。
 この時、カヒローネ王を名乗っていたのは、ゾルガ部族のイオ・ゾルガであり、ミア・ティーナ姫の父であった。
 「最初の王であった一族」という理由だけ為に、ゾルガ部族の族長は最初に生まれた姫を指輪を守る塔姫として生け贄同然に出さなくてはならなかった。
 歴代のゾルガの長は、なぜ自分の部族だけがという疑問と腹立たしさと恨みを、目を閉じ、心の奥深くに押さえ込みながら、従い続けるしかなかった。
 イオ・ゾルガの五歳離れた妹は、乳飲み子のうちに一族から引き離され塔姫となった。
 だが、その姫が亡くなると、十六年前に初めて生まれた娘のミア・ティーナを、自身の手で差し出さねばならなかったのだ。
 ターヤ神の塔姫は、外へ出ることもなく指輪と守護妖獣のために一生を終える。
 しかも、不幸なことにイオ・ゾルガはミア・ティーナ以外、子を授からなかった。
 男子が生まれなければ、ゾルガの直系は絶える。
 九部族の長らは、この事態を目前にしてさすがに憂慮し、ミア・ティーナを結婚させ、子を生ませることを決議した。
 けれど、その相手を選定する段階でこの話は行き詰まる。
 相手は誰でもいいと言うわけには行かない。
 王になる約束はその婚姻には存在しないが、王位継承の資格をもつ血筋が必要だった。
 そして次の塔姫をその身で産み落とさない限り、ミア・ティーナは塔姫として存在し続けなければいけない。
 ただ塔姫の血を絶やさぬために、魔獣と醜い塔姫を后きとし、生まれた娘は塔姫として差し出さなくてはならなかった。
 通常の婚姻ではない。生贄そのみのだ。
 さらに、凶事をつかさどるという魔獣を伴ったミア・ティーナその人の容姿が、より花婿選びの困難さに拍車をかけた。
 皮と骨だけの醜い姫――そう囁かれていたからからだ。
 花婿候補に名を上げられた若者は、次々とこの婚約から逃れようとした。
 突然結婚してしまう者、失踪する者、命を自ら絶つ者。悲劇はすでに結婚話の段階から起きていたのだ。
 犠牲者はあとを絶たなかった。
 すべての族長達は、自分の身内に悲劇を生み出すこの事態に気も狂わんばかりであった。
 疑心暗鬼の恨みが、国を安定に導くはずもなく、傾国の一途をたどるかにみえた。
 まさにそのような状況の中、ダーナン帝国の帝王ロディが、カヒローネに接触を図って来たのだ。
 ダーナンから舞い込んで来た使者の言葉に、イオと全部族長は飛びついた。
 千載一遇の機会と確信したのだ。
 カヒローネは、ロディとミア・ティーナと結婚を条件に加えた。
 イオ・ゾルガはダーナンに対し、ロディが自分の実の娘であるミア・ティーナと結婚するならば条件はのむ。
 そして、その話しは好意をもってまたたく間に国中に広がるだろうこと。
 その上で、ダーナン軍が大軍を率いてカヒローネに現れても、塔姫の婚約者の軍であるならば国に混乱は起きず、民も進んで補給に協力するだろう、と。
 また、ダーナン帝王ロディ自身がその姿を現し、カヒローネで婚姻の手続きを終えれば、結婚式自体はリンセンテートス攻略後でかまわないという内容だった。
 ロディは、全廷臣の反対を押し切り、カヒローネ王イオ・ゾルガの提案を受け入れた。
 だが、書類上の婚姻は成立し、カヒローネに入国したもののリンセンテートスの国境前線で、ダーナン軍は突然の川の氾濫に襲われ撤退を余儀なくされた。
 しかもその時、ロディ自身が負傷したため、婚約者ミア・ティーナに会うこともないままにカヒローネを去ったのだ。

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