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第十四章 《 守護を得る者 》


                      (イラスト・ゆきの)

 大広間で別れを告げて去っていくオルニック皇太子夫妻の後ろ姿を見送っていたアルクメーネは、人込みの中から背の高い黒髪の男が自分に向かって近づいて来るのに気がついた。
 男は、リュタニー産の金色に輝くプラナ酒が注がれたグラスを二つ手にもち、アルクメーネの前に来ると片方のグラスを差し出した。
「ナイアデス皇国陸軍大将イズナ・マイリージアです。長旅でお疲れではないですか?」
 人懐こそうな深い緑色の瞳が、アルクメーネを見つめる。
 右目が隠れる長い前髪と、後ろでひとつに束ねられた黒髪。黒地に金の縁取りの礼装に身を包んだ自分より年上の男からグラスを受け取ると、アルクメーネは静かにほほ笑んだ。
「さすがに王の中の王とうたわれる品格に満ちたフェリエス皇帝の姿と、美しき皇妃にお目にかかれて喜んでいます。わが父も、オリシエ王の結婚式に参列したと聞いております。そこに今わたしが立っている……感慨深いものを感じておりました」
 アルクメーネの落ち着いた物腰に、イズナは口元に笑みをつくり、うなずく。
 表面的には、フェリエスがアウシュダールに膝を屈した形となっているだけに、どのような態度で望んでくるのか関心が大いにあった。
 アウシュダールという転身人を盾に、ナイアデスでも我が物顔して歩くのか。
 それとも、表面上はおとなしいそぶりをしつつ、情報収集に努めるのか。
 または、自分の身を人質同然の立場と悟り、恭順に徹するのか。
 だが、イズナが見る限り、アルクメーネという人間は、そのどれにもあてはまりそうになかった。
 一見、女性のような美しい容姿をもつ皇太子は、王が亡くなり皇太子テセウスが不在だった空白の半年以上を、すべて代行したとも聞いている。それだけに、あなどることは決して出来ない。
 イズナは、敵国の中に身を置く「留学」を承諾し、限られた従者だけを連れて来た皇太子の警護を務めることもあり、その人となりをだれよりも早く知らねばならなかった。
 アルクメーネの身分は、留学の間エルナン公国夫妻の遠縁の子息ということになる。
 ノストールの皇太子の存在を知れば、シルク・トトゥ神の転身人と関わりを望む者が大物小物かまわずアルクメーネに近寄ってくるのは火を見るより明らかだったからだ。
「殿下」
 イズナは声をひそめ、ささやく。
「ご留学中はどのようにお呼び致しましょうか」
「アルクメーネと、そのままに。わたしもあなたをイズナと呼ぶことにしましょう」
 透きとおるような笑みに、イズナは調子が狂う。
 身分の違う自分の問いかけにさえ、ていねいな言葉で答える王族などイズナは出会ったことがなかった。
 ラウ王家四兄弟のうちテセウスとアウシュダールは知っている。
 テセウスは一見物静かだが、王としての資質を持ち合わせた人物だと感じた。
 アウシュダールは、子供とは思えない人智を越えた存在感を漂わせていた。
 彼らと比較すると、アルクメーネは女性的で繊細な雰囲気を漂わせている。
 けれど、それはあくまで外面的な部分にすぎない。事実ナイアデス皇国の威信を誇り列強に力を示す盛大な結婚式やその空気にのまれる様子もなく、決して強がっているわけもなく、自然体で自分の場所を作り出しているのだ。
 隣国の諸国の王らは、この婚礼に穏やかならぬ複雑な思いを内心に秘めながら、決して顔には出さずに緊張感に笑顔を貼り付けている。
 ハリアの王女をリンセンテートスから奪い取り、ハリアに口を出させずに皇妃に迎えたことは、それだけの代償を払ってでも得たいものがシーラにあるのではないかと当然のように憶測を呼んだ。
 裏でハリアと密約が結ばれているのではないか、リンセンテートスはナイアデスの属国に陥ったのか等々。
 清楚で美しい妃ではあるが、決して類稀なる美女ではないことを自身の目で確かめては、不服気に首をひねる姿をイズナは鼻で笑いながら横目で見ていた。
 気がつけば、アルクメーネに向けられる女性の視線が増えており、美しい貴公子の正体に関心が集まり出している様子だった。
 フェリエスとは、違った意味で、華があり人を魅きつけるものをもっているようだった。
 生まれながらの王族というものはこういうものなのかとイズナは思う。
 アルクメーネと肩を並べたまま、舞踏に興じる男女を眺めるイズナの目に、オルローとリンドの姿が目に入る。
 が、それを無視して、アルクメーネと踊りたがっているだろう令嬢を探す。
 今日は、諸国の王族を招待している舞踏会であるため、国内からは側近中の側近の貴族しか招かれていない。
 今後のナイアデス皇国での生活にあたり、紹介をしておく必要があった。
 特に、ここにいる令嬢たちとはぜひとも親密になる縁を作らせておきたかったのだ。
 だが、イズナの申し出にアルクメーネはそれをやんわりと辞退した。
「踊りも音楽も、服装も容姿も、いろいろ違うものだと感心しています。恥をかかない程度にこれからいろいろ学びたいので、今日は見学に留めましょう」
 イズナはアルクメーネの海のように静かな横顔を見ながら、奇妙な胸騒ぎを覚えた。
 なぜかこの出会いが自分の足場を危うくするものになるような気が、一瞬だが感じたのだ。
 きっと、この不安はアルクメーネの背後にいるアウシュダールの存在にある、そんな気がしてあの転身人の姿を思い浮かべる。
 あの闇夜にかいま見た忘れることの出来ない妖しい笑み。
 この不安感は、警鐘なのだとイズナは自らに言い聞かせ、アルクメーネから視線をそらせた。
 一方、アルクメーネはオルニック皇太子が去った今、文字通り自分が孤立した現実を受け入れていた。
 これからすべきことは、兄テセウスの立場を有利にすること。そう、アルクメーネは改めて自分自身に言い聞かせる。

 リンセンテートスからノストールに帰国したテセウスは、以前の朗らかでよく笑う穏やかな兄とは別人のように、思い詰めた堅い表情しか見せなくなっていた。
「まるで、父上が乗り移られてしまったようだ」
 クロトの指摘に、アルクメーネもそれが的を得ていることに気がつく。
 確かに、リンセンテートスへ行っている間に父王が亡くなり、テセウスたちの帰国直前にノストールに大地震が起き、大量の死傷者が出る大惨事があったのだから、思い詰めるなというほうが無理ではあるが、テセウスたちは凱旋をしたのだ。
 リンセンテートスでシルク・トトゥ神としてのアウシュダールの力を行使し、二年も続いた砂嵐を止め、リンセンテートスをあの無敗のダーナン帝国から救ったのだ。
 その出来事は、瞬く間に、ラーサイル大陸の諸国を駆け抜け、衝撃を与えた。
 長く閉じ込められていたナイアデス皇帝フェリエスを助け、帰郷を助成した。
 さらにノストール王の後継の証しである《アルディナの指輪》を得て、瑞獣の咆哮を轟かせることが出来たのだ。
 眠り続けていた母ラマイネも、不思議なことに父の死を知ったようにあの日、長い眠りから目覚めた。
 自然災害は、王家と民が力を合わせて乗り越えて来た。
 アウシュダールが帰国してからは、その神の力でノストールに恩恵を与え、天候もこの一年穏やかで状況は確実に好転の方向にあった。
 加えて、ナイアデス皇国からは謝礼を含めて多額の見舞金がよせられ、国力が衰える心配はなかった。
 だが、テセウスの表情は日増しに厳しくなっていく。
 常に張り詰めたような緊張感を全身に漂わせ、ある日意を決したようにアルクメーネを呼び出し、こう告げたのだ。
「国のすべてが落ち着いたら、出来るだけ早い時期に、わたしは、わたしのもっているすべての権利をおまえに渡す」
「兄上?」
 アルクメーネは、自分の耳を疑った。
 だが、テセウスから放たれる殺気とさえいえるような鋭い空気に、その言葉が本気だと直感する。
 しかし、だからといってアルクメーネは、それを黙って受け入れるわけにはいかなかった。
「どういうことですか? 納得がいきません。わたしたち長兄以外の弟は、王となる、また王である兄を補佐するために生まれて来るのです。国を統治するのは兄上です。王が王妃を娶り、世継ぎを生む。わたしたちはその流れを守り、途絶えぬために、補佐し、守って行く。それがラウ王家の王訓書にも定められた道筋ではないですか」
 長兄が、王訓書を理解出来ない病や、不慮の死で亡くなることがない限り、正当な王権は長兄にあると王訓書には明記されていた。
 ラウ王家は、この言葉に従い受け継がれて来ているのだ。
 たとえ資質が劣っている者が王でも、兄弟が補佐をする。過去に揉め事がなかったかと言えば嘘になるが、大筋では王訓書は守られてきた。
 そして、目の前にいる兄は間違いなく、王としての資格を兼ね備えていた。
「だが、わたしにはその資格がない」
 アルクメーネの思いをまるで見透かすように、そして自分自身に怒りをぶつけるようにテセウスは、背を向けた。
 その肩が小刻みに震えているのに目をとめ、アルクメーネは悲しくいたたまれない気持ちになった。
 いつもそうなのだ。
 いつも父や兄は苦悩を自分一人で背負い込み、苦悩や悲しみをその厳しい表情という仮面に置き換えて、決してアルクメーネに明かそうとはしなかった。
「理由を教えていただけなければ、そのような話しは承服しかねます」
 アルクメーネは、兄が苦悩の理由を話してくれることを願いながら訴えた。
「教えてください。兄上が抱えられている問題を。王位継承にかかわるほどの重大なことがあるのならば、わたしにも知る権利があります」
 テセウスがゆっくりと振り返る。
 その顔が、父カルザキア王の厳しい顔に重なり、アルクメーネはただならぬ秘密がそこにあることを改めて感じる。
「もう少しだけ待ってくれ」
 テセウスは自嘲するように悲しげに笑った。
「本当なら、わたしは今この瞬間でさえ王であることすら許されない身だ。けれど、いま逃げ出すことは許されない。課せられた責務を果たさなければならない」
 テセウスはそこまで言って声を詰まらせた。
 リンセンテートスの小さな森でエディスと再会し、自分がエーツ山脈でアウシュダールと同じ年の少年たちを遭難させたまま置き去りにしたという、失っていた重大な記憶を思い出したテセウスは、ノストールに帰国し、さらに追い打ちをかけられるような出来事に直面した。
 ノストール全土へ波及するような大地震が起き、国中で被害がでたのだ。
 その被害の報告書である領地別、村別の死亡者名簿を手にしたテセウスは、愕然とした。
 衝撃のあまり、体中の血液が凍りつくような悪寒に襲われた。
 そこには、山で行方不明になったはずの少年たちや、その家族の名が列挙されていたのだ。
 だれも、リンセンテートスへ子供達が行ったことなど覚えていなかった。
 アルクメーネも、クロトも、アウシュダールも、シグニ将軍も、兵たちも、少年らの親族ですら誰も覚えていないのだ。
 それをアルクメーネに話して、信じてもらえるとは思えなかった。 
 テセウスは、自分の心臓に深く突き刺さった大罪と言う名の幾百もの矢を引き抜くことをせずに、一生その痛みに向き合う道を選んだ。
 《アルディナの指輪》が片方しかない理由も、指輪が王としての資格の欠如を指摘していたからだと思えば納得も出来た。
 テセウスは、エディスの「逃げてはいけない」という言葉を思い出しながら、決してこの苦しみから逃げ出すことだけはすまいと言い聞かせ、そしてようやく、自分がすべきことを見い出したのだ。
 国王の地位を、財産を、資格を、すべてをアルクメーネに譲り渡すことだった。 
 そのためにはもう片方の銀色の《アルディナの指輪》を見つけださなくてはならなかった。
 唯一の手掛かりである砂漠で出会った少女を捜し出さなくてはならなかった。
「アルクメーネ、時が来たら必ず理由を話す。だが、覚えていてくれ、わたしはこの先、結婚はしない。子もつくらない。そして、王の座を退いて後は、民にこの身を捧げ尽くし続ける。それがわたしに出来る許された償いだからだ」
 衝撃的な宣言に、アルクメーネは言葉を失った。
 テセウスをここまで追い詰めた理由を、兄の背負う巨大な闇を、アルクメーネは知りたかった。そして、その少しでも自分が背負いたいと願った。
 だから、ナイアデス皇国留学の話がもちこまれ、アルクメーネかクロトのいずれかをという話になったとき、進んでその話を受けたのだ。
「国造りを学ぶよい機会だと思って、一年間辛抱してくれ。アウシュダールが、ナイアデスに常に意識を向け見張り続け、危うい事態になりそうな時には、自らが兵を率いて出迎えに行くと言っている。すまない」
 一切を託すその理由を、アルクメーネは知らなくてはいけないと思った。
 ノストールの王はテセウスが存在する限りテセウスでなければならないのだから。
 カルザキア王が逝去し、皇太子であるテセウスが不在のときも、兄とノストールのために、アルクメーネは力の限りを尽くして国を支え、留守を守り続けた。
 そして、今再び自分が、ナイアデス皇国で培えることがあるならば、どのような妨害や苦労があろうとも、それを得て帰ろうと、アルクメーネは心中深く決していた。

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