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第十四章 《 守護を得る者 》


                      (イラスト・ゆきの)

 夜になり、宮殿の大広間では、千人近い人々が集う大舞踏会が行われていた。
 ここにはナイアデス皇国と親交のある多くの各国の王侯族らがその婚姻を祝うために訪れ、あふれていた。
 控えの間や従者の間では、その人々に随行してきたさらに大勢の従者たちが、祝いにふるまわれる特別な酒や料理を求めてひしめき合っていた。
 ナイアデス皇国では、これから数千人もの内外の来賓貴族らが祝いの挨拶に訪れることもあり、一カ月近くかけて結婚式の行事が行われる。
 第一日目の結婚式に招かれるのは、同盟国をはじめ親交のある諸国の王侯族など、限られた者だけだった。
 アルクメーネは、そこでナイアデスまで同行して来たエルナン公国オルニック皇太子夫妻と別れを惜しんでいた。 
「陛下の身に万が一のことがあれば必ず、ご一報ください。私にとって大切なお爺様です」
 深い碧色の瞳と、金色のくせのない肩まで伸びた髪をした凜とした表情をたたえる美しい青年は、母方の伯父にあたるオルニックにそう言いうと、残念そうに瞳を伏せた。
「もちろんだ」
 オルニックも、末の妹ラマイネによく似た美しい面差しのアルクメーネをいとおしげに見つめながら、沈んだ声で応えた。
 エルナン公国のカーディス公王が病床の身であることは、エルナン公国に立ち寄り、滞在期間を延ばしてまで何度も見舞いを重ねたアルクメーネにも、充分わかっている。
 初めて対面した祖父は、アルクメーネの見舞いに涙を流して喜び、ナイアデス皇国から迎えに来たユクタス将軍を待たせ続け、ついには結婚式にぎりぎり間に合う期日まで、その身を引き留めたほどだった。
「もっとも、父に万が一のことがあっても、私はまだ用無しだがな」
 四十歳半ばを過ぎたオルニック皇太子は、横に立つ妻のジリアン妃に苦笑いを向けた。
 エルナン公国セリア家の直系はジーナ公妃であり、カーディス公王が亡き後は女王の世となることは国民も熟知している。
「それより」
 オルニックは妻に周囲へ注意を配るように目で合図をしながら、世間話をするような笑顔でアルクメーネに語りかけた。
 アルクメーネは、身分を伏せている。エルナン公国王族遠縁の子息として留学することになっている。
「ナイアデスにいる間、君の側に連絡役を用意した。いざと言うときはすぐに私に連絡をしなさい。それから、テセウスとアマリエの件だが」
「切り出すのが遅くなってしまい。大変ご迷惑をおかけしました」
 アルクメーネはそのことに話題が移ると、申し訳なさそうに頭をさげた。
 実はアルクメーネが、母の祖国エルナン公国へ立ち寄ったのには、兄テセウスと婚約を交わしているアマリアとの婚約解消の話をおこなうためでもあった。
 だが、エルナンに着いてカーディス王重病の報に触れ、見舞いに出向いているうちになかなか切り出すことが出来ずに、出立の挨拶の時にやっと祖母であるジーナ公妃に、テセウスからの書状とその理由を申し出ることが出来たのだ。
 ふたりの婚約は、テセウスが十歳、アマリエが三歳の時に決められたものだが、お互いの面識はまだないままだった。
 アマリエはジーナ公妃の兄の娘で、十四歳になったばかり。
「実は」
 アルクメーネは、アマリエとの初対面の出来事を思い出しながら、ややためらいとともに堅い口調でカーディスを見た。
「あのようなお話しをおもちした後で正直気が引けるのですが、私もやはり父の子だったと思い知らされることがありまして、若き日の父に習おうかと考えているのですが。もちろん簡単には行かないことは承知しております。ですが……伯父上のお考えをお聞きさせてはいただけないでしょうか」
 その情熱的な光を帯びた碧い瞳に、カーディスはふと眉をひそめた。
 だが次の瞬間、自らがアルクメーネに語り聞かせたカルザキア王の話を思い出し「おお」と声を上げ、顔を輝かせた。
 ジリアン公妃も驚いたように目を大きくして、嬉しそうにアルクメーネを見上げる。
 オルニックが語ったのは、今から三十七年前の話だった。

 ナイアデス皇国オリシエ王の結婚式に父王の名代として出席するために、当時十七歳だった青年は船を乗り継ぎエルナン公国に立ち寄った。
 しかし、悪天候に見舞われた船旅の疲れから体調をくずし、青年は挨拶に訪れた王宮の大階段で倒れてしまったのだ。
 その時、それを目にした幼い王女が、夢中で階段を駆け降りて異国の青年に寄りそい、そばでうろたえている従者や女官らに次々と指示を出して客室に運び、薬師を呼び、介抱をした。
 小さな王女は異国の青年が目を覚ますまで、片時もそばから離れようとせず両親である公王夫妻を困らせた。
『だって、よその国で病気になってしまって、お父様もお母様もいらっしゃらないのですもの。きっと目が覚めて誰もいなかったら、寂しいと思いますもの』
 涙を浮かべて懇願する末娘に両親は折れるしかなかった。
 高熱がおさまり、若者が目を覚ましたのは、倒れてから三日目の朝だった。
 明け方に目を覚ました青年は、自分の寝台のそばに、大きな長椅子を寝台にしてすやすやと眠っている美しい少女の姿を目にする。
 少女は、青年がナイアデスへ向けて旅立つ時、泣きはらした真っ赤な目に精一杯の笑顔をつくって見送った。
 やがて、結婚式の帰りに再びエルナンに立ち寄った青年は、その優しい心をもつ美しい少女に小さな約束をしたのだ。
「君が十四歳になったら、迎えに来てもいいかな」と。
 それが、当時十歳のラマイネ姫と十七歳のカルザキア皇太子の馴れ初めだった。
 四年後、カルザキア皇太子とラマイネ公女は結婚式を挙げる。
 オルニック皇太子が話したのは、アルクメーネの知らない両親の出会いだった。
 父と母が恋をした相手と結婚をしたなどとは、まったく想像さえしていなかった。
 海洋国同士のつながりを持つため決められた結婚だと信じ、疑うこともなかった。

 アルクメーネは、カルザキア王に習うと言った。
 その言葉の意味に、オルニック皇太子は当時を思い出しながら深々とうなづく。
「それで、じゃじゃ馬との約束は?」
 オルニックのおどけた口調に、アルクメーネは微かに頬を上気させながら、長い睫を伏せる。
 思い出すのは、初めて会った日のアマリエの姿だった。
 エルナン公国の港に着いたアルクメーネは、船から降り立つや否や「カーディス王重病」の知らせを、栗毛の馬に騎乗した黒髪の娘から知らされた。
 最初は、噂に聞く女性貴族部隊かと勘違いをしたのだが、娘はほとんど強引にアルクメーネを、もう一騎の白い馬に乗るようにせかすと王宮まで走り出した。
 黒い美しい瞳と、人形のように白い肌、腰まで伸びたくせのある黒髪が印象的な娘だった。
 しかし、その娘が兄の婚約相手だとは気がつきもしなかった。
 一年に一度ノストールに届くアマリエの肖像画はよく知っていたが、髪を結い上げ着飾った人形のように表情のない美しい姫と、自由な風のように馬を操り駆け巡る生き生きとした表情を見せる娘とはまるで別人だった。
 二度目に会ったとき、アマリエは初対面とは人が変わったように、アルクメーネと視線が会うと逃げるように姿を消した。
 そして三度目、ナイアデスに旅立つ前日、カーディス公王の見舞いに向かう途中のアルクメーネを呼び止め、思い詰めた表情で婚約者であるテセウスのことをたずねに現れたのだ。
 アルクメーネは、婚約解消の件を本人に直接伝えることはしなかったが、その美しい黒い瞳がテセウスの横に並ぶべきなのだと思いつつも、婚約解消を知らされたときにこの姫がどれほど悲しむだろうと思うと、すまない気持ちでいっぱいになった。
 アルクメーネは、テセウスのことから話題をそらすと、アマリエに微笑みかけた。
「わたしは明日出立します。次に会うときは、また馬で迎えに来てもらおうかな。女性騎馬隊長殿」
 するとアマリエの目が驚いたように大きく見開かれ、その瞳が涙で潤みはじめた。
「冗談です。その……ちょっと言葉が過ぎました」
 突然の反応にアルクメーネがうろたえていると、アマリエは一通の封書を押し付けるように渡し、ドレスの裾をひるがえして走り去ってしまったのだ。
 その夜、アルクメーネは、アマリエの辛そうな表情と涙をためた黒い瞳が脳裏に焼き付き、なかなか眠ることができなかった。
 封筒の中には、馬のたてがみで編んだトークといわれる栗色の紐が入っていた。
 ナイアデスに旅立つ日、見送りの人々の中にアマリエの姿はなかったが、やがて馬車が国境が近づいたとき、小高い丘の上に馬に乗る黒髪の乙女の姿があるのにアルクメーネは気がついた。
 乗っていたのがナイアデス皇国の馬車でなければ、無理にでも止めて声をかけたかった。
 その時、アルクメーネはアマリエと自分の間に互いを意識する気持ちが生まれていたことに気づいたのだ。

 アルクメーネは真っすぐにオルニックの瞳を見つめ、帯の間からアマリエから渡されたトークを取り出して見せた。
 オルニック皇太子夫妻は、トークを見たあと、互いの顔を見つめた。
「本人には、まだなにも話してはいません。が、若き日の父にならいナイアデスからノストールに帰国する時、正式に申し出たいと考えております。ですから……」 
「わかった。あとのことは私にまかせておきなさい」
 オルニック皇太子とジリアン妃は、思いやりに満ちた表情でアルクメーネを見る。
 ノストール国王となったテセウスが、アマリエとの婚約解消を申し出たと聞いたときは、亡きカルザキア王とラマイネ妃の不仲説がエルナン公国にも聞こえていたこともあり、シルク・トトゥ神の転身人を得たノストールがエルナン公国を軽視しはじめたのではないかと考えていたのだ。
 特に、テセウスの婚約解消の理由が、当面の間、地震後の国の復旧のために心血を注がねばいけないこと。今は経済的にも、精神的にもその余裕がないこと。また、これ以上結婚を延ばすことはアマリエに対して非礼に値すること等、エルナンにとっては釈然としない理由が並べられ、怒りを持つ前に困惑が先立っていた。
 しかし、アルクメーネとアマリエが結婚をするとなれば、王妃にはなれなくとも、ラウ王家との絆がある限り、ノストールとエルナンの絆は途切れることがない。
 それは、海の航海で海賊から襲われる危険が多少なりとも減少する可能性をもつことを意味した。
 ノストールと、ニュウズ海洋の海賊間での協定が昔のこととはいえ、ノストール王国とエルナン公国の旗を半分づつ折り込んだ海上船旗を掲げた船が、海賊に出会いながら無事に助かったという例は現実にあるのだ。
 ノストールは海に強いとのエルナンの評価は、徹してかわることがなかった。
「あとは君が、この一年の間、ナイアデスの美女にほだされないことを祈るとしよう
「そのトークは、想い人に渡すお守りなのよ。女性が言葉に出来ない想いを自分の愛馬に語りかけながら、そのたてがみを譲ってもらい心を込めて編み込むのなのですよ」
「そういえば、ラマイネが婚約中に自分の馬がなかったので、私の馬を強引に自分の馬に欲しいとダダをこねたことを思い出すよ」
 オルニックは、当時を思い出しながらくすくすと笑う。
「私は嫌だと断ったのだが、外出先から戻ったある日、私の愛馬のたてがみがトークだらけになっていてね。根負けして譲るはめになったんだ」
「まぁ、その話は私も初耳ですわ」
 声をひそめて笑いあう二人を見ながら、アルクメーネは笑うことのなくなった母を思い浮かべる。
 いつも物静かな母と、情熱的に想いを貫こうとする幼い少女が別人のようだった。
(いや、以前はもっと明るくされていたこともあった。あれは……)
 母が楽しそうに微笑んでいる時は、必ず誰かがそばにいた。
「危うくテセウス王と后をめぐって仲たがいをするところだったな」
 オルニックから肩をたたかれ、アルクメーネは我に返る。 
 しばらくするとオルニック皇太子夫妻は、ナイアデス皇国を去りエルナン公国に帰っていった。


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