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第十三章 《 警 鐘  》


                      (イラスト・ゆきの)

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 エリルは幌馬車の荷台の中で揺られていた。
(もう……何日走ってるんだろう……)
 エリルはガーゼフに雇われていると思われる初老の男が、荷物を運ぶために町を出ようとしているのを見つけて、こっそりと幌の張った荷馬車の中にもぐりこんだのだ。
(うまくいけば、シーラ姉上のいる場所に運んでいってもらえるかもしれない……)
 期待に胸を弾ませての出発だったが、テューラの町から出た馬車は、馬も老人ものんびりした足取りで移動よりも休憩が多い旅路となった。
 走っては休憩、少し走っては休憩の連続で、いつ目的地につくのかまったく見当がつかない。
 途中、小さな村や町に宿泊したりするのだが、顔なじみの人間達と酒を飲んだり、親戚らしき家族と会ったり、本人なりに急いでいる様子はあるのだが、距離はいっこうに稼げない。
(サンにも何にも言わないで来てしまったから心配をかけてしまっているかもしれない)
 時折、アンナの衣装はさすがに目立つので、外へ出るときだけは老人の着替えを拝借して、食料調達のために馬車から降り、固まった体をのばしながらエリルはため息を吐き出した。
 冷静になった頭で考えると、後になって気がつくことがどんどんでてきて、さすがのエリルも焦り始めた。
(ガーゼフに頼まれたのはこのおじいさんじゃなかったのかな……。いや、そんなことはないし……。それとも、ガーゼフの知り合いのところへ荷物を届けに行くだけなんじゃあ……)
 考え始めると、不安の要素が次々と浮かんでは消えて行く。
 けれど、今から引き返すのも中途半端な気がして、もうどうにでもなれという気持ちでエリルはひたすら荷物が降ろされるその日を待ち続けた。
 老人のゆっくりとした、そしてエリルを悩ませた旅もやがて終点を迎えることになった。
「荷を降ろすぞ」
 老人が誰かに呼びかける。
 その声に、エリルはやっと到着できたことを知る。
 荷物の奥に体を隠していたエリルは、老人の荷降しをする隙を狙って、あとは馬車から飛び降ればいいと考えていた。
 幌の透き間から外を見ると、小さな古城らしき建物が見える。
 老人のゆっくりとした足音が、幌に手をかける影が見えたとき、女性のあわてて制止する声がした。
「お待ちください」
「どうしたんだい?」
 いぶかしむ老人とその女性は顔見知りのようで、特に名乗るようすもなく会話を始めた。
「荷物は降ろさなくて良くなりましたの」
「じゃあ、どこで降ろせばいいんだ?」
「降ろす必要もなくなりました。もう……お嬢様方の荷は必要なくなってしまったんですの」
 女性は力無く、詫びるように老人に告げた。
「そりゃまた……でも、変だな。荷を届けるようにと旦那からことづかったんだよ」
「それが……」
 女性は弱々しげに声を落とした。
「つい三日前のことです……突然、ナイアデス皇国の者と名乗る一行が現れて、お二人を無理やり連れて行かれてしまったのです」
 エリルは、はっとして二人の会話を一言も漏らすまいと聞き耳を立てた。
「旦那はご承知だったのかい?」
「とんでもありません。ガーゼフ様はその翌日到着されて事情をお知りになられました。執事が説明をしますとたいそう驚かれて……すぐにそのまま出て行ってしまわれたんですの。あとから荷が届くけれど、そのまま帰ってもらうようにとだけ言い残されて。きっと、お嬢様方の後を追って行かれたに違いありません。なにが起こったのかわたしたちには……」
 そう言って使用人らしき女性の声は涙声になった。
「あんなに心穏やかな日々はございませんでしたのに……。あの日から、お二人のことがずっと気になって私は一睡もできませんでした」
 ナイアデス皇国、そしてガーゼフという言葉が、不吉な予感を募らせていく。
「でも、なんでナイアデスの人間が……、ここはリンセンテートスの人間だってまず知らない場所だ。どうやって……」
「わかりません。ただ、シーラ様はナイアデス皇帝の花嫁になるのだからと……意味のわからないことを言っていました。一緒にいた魔道士のような男が不思議な術を使って、私たちの体は動けなくなり、お嬢様方をお守りすることができませんでした……」
 その言葉にエリルは頭を殴られたようなショックを受けた。
 使用人は確かに『シーラ』と言った。
 なんらかの事情で、ガーゼフの保護下におかれていた、もしくは軟禁されていたシーラを、ナイアデスの者が捜し出して連れ去った、ということになる。
 それも、皇帝の花嫁にするために
 エリルは、話の内容からそう推測した。
(けれど……姉上がどうしてナイアデスに……)
 数日前まで、姉のシーラがこの場所にいたことを考えるとエリルは、こののんびりとした旅さえなければ、自分の手で救い出せたかもしれないと知り愕然とする。
 重い心を抱えながらも、エリルは帰路についた。
 帰りの途中で停泊した町で老人の馬車から降り、別の馬を手に入れて憔悴しながらも、なんとかルナたちのいるブレアの町に帰り着くことができた。
 だがそんなエリルをは迎えたのは、嵐の直撃を受けたようにに家屋が破壊され、残骸が放置され、無残な姿をさらした町の姿だった。
 道に人の姿はなく、静まり返っている。
 エリルは、自分たちの泊まっていた宿が見る影もない姿で無残に荒らされているのを目にして呆然と立ち尽くした。
 自分が不在にしたこの数日間で、町に一体何が起きたのか。
 杖の知らせた危険がこのことなのでは、そう思うとエリルは血の気を失った。
 崩れ落ちそうになる体に鞭を打って、近隣の家々の扉をたたいた。
 だが、中から人は出てこない。中に人がいる気配はあるが、固く閉ざされたドアは開かない。
 何軒も回り、やっとのことで顔見知りになっていた店の主人が扉を開け、エリルの顔を見ると引きこむようにして家の中にいれてくれたのだ。
「なにがあったんです?」
 そう問いかけようとして、主人の示した隣の部屋を見たエリルは、息をのんだ。
 その目に、ひとめで重傷だとわかる布でいたるところを手当てされているネイの横たわる姿があった。その横には比較的軽症の宿の女主人の姿。
 だがそこに、ルナたちの姿はない。
「話せますか?」
 家の主人がうなずくと、エリルはネイの横たわる床に腰をおろした。
「ネイ! 何があった? 体は大丈夫なの? ジーンは? ランレイはどこに出かけている?」
「あいつが……」
「え……?」
 ネイは震える手で、エリルの手を握りしめた。
「あいつが来た……。町に……あたしたちを襲った……あの化け物が……」
「!」
 エリルは全身が総毛だった。しまったと心の底から後悔の思いがこみ上げる。
 あのエーツ山脈で、ネイを襲った正体不明の妖獣のことだと、すぐにわかったからだ。
「ヴァルツが……」
 エリルは失念していた。
 ヴァルツというあの妖獣の存在を。
 まさか、あのあともずっと自分達を付けねらっているとは考えもしていなかったのだ。
「…………」
 そう、エリルはこの時初めて気がついた。
 ヴァルツは、エリルがいたからこの町に近寄れなかったのだ。
 そして、ずっと待っていた。エリルがルナから離れる日を。
「わたしは……」
 エリルは自分が引き起こしてしまった取り返しのつかない事態に、言葉もなく、ただ立ち尽くすしかなかった。

 第十三章《警鐘》(終)

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