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第十三章 《 警 鐘  》


                      (イラスト・ゆきの)

 ナーラガージュの杖が知らせる危険の正体を求めて歩き続けたエリルは、やがて町のはずれにある小高い丘に出た。
 緑が広がる草原、そのはるか彼方に砂漠が見えた。
 エリルがこのトューラ町にくる時に通った道も細い糸のように見える。
 ブレアの町もまた、砂漠と隣接しているのだが、この場所からは見ることはできなかった。
 視線を左側に転じると、ダーナン討伐軍の野営地が目にはいる。
(確かに、討伐軍というにはあまりにも規模が小さい。国を守る攻防戦であり、敵が十万ならば最低でも同等の兵力は必定。けれど、砂嵐に二年も侵されていたこの国にそれだけの兵力も国力もなかったはず……。一体、どうやってあの常勝を続けるダーナン軍を封じたんだ?)
 エリルの瞳は自分でも気がつかないうちに、国を統べる者のそれへと変化していく。
(ダーナンがこの地リンセンテートスを奪ってしまったら、やがてはハリアにその牙を向けてくるだろう。もしそうなれば、わたしも指輪捜しの旅を続けてはいられない……)
 《エボルの指輪》に思いを馳せた時、エリルは言いようのない違和感が全身を襲うのを感じた。
「なんだ……?」
 背中から突然、射抜かれたようなその感覚は、やがて胸騒ぎへと変化していく。
 エリルは思わずナーラガージュの杖をブレアの町のある方角にかざした。
 杖は一度大きく震えてから、急にその震えを止め、静かになった。
「たしか……前にもこんなことがあった……」
 エリルはそれがいつのことだったのか、思い出そうとした。
(あの山で杖が初めて震え出した……。そして、子供の悲鳴が聞こえたとき、杖は静かになった……) 
「!」
 エリルは大きく瞳をあけて、ジーンたちを残してきた町の方をじっと見つめた。
(杖の震えは……私への警告だと思っていた……。わたしは何か大きな勘違いをしているのかもしれない……)
 エリルは原因のわからない焦燥感に、身をひるがえし来た道を宿に向って走り出した。
(早く町に、みんなのところに帰らないと――)
 自分を駆り立てるものの正体がわからないまま、エリルは走りだした。
 一刻も早くブレアの町に帰らなくてはという思いだけが、膨らみ続ける。
 とにかく一度宿に戻って馬を借りなくてはと考えながら急ぎ、エリルはサンと別れた道である人物を目にして思わず足を止めた。
(今のは……まさか……)
 遠目ではあったが、エリルはその人物が誰なのかすぐにわかった。
 たとえ後姿であろうと見誤るはずがなかった。
 鼓動が激しくなる。
(ガーゼフ伯爵。あの男がどうしてここに……)
 茫然と見ている間にも、ガーゼフの姿がどんどん遠ざかっていく。
 ブレアの町に戻らなければという思いと、意外な場所で意外な人物を見た驚きに、エリルは頭の中が一瞬、真っ白になった。
 だが気がついたとき、自分の足は、ガーゼフの後ろ姿を追いかけていた。
(噂では、シーラ姉上はわたしが国を出てしばらくしてリンセンテートスに嫁がれたが、その後行方不明になっているという……まさか、あいつが関係しているわけじゃ……)
 ガーゼフの後を追うエリルの脳裏に、三年前の記憶が次々とよみがえる。
 愛人と策謀し、国を操ろうとして失脚し自害した母ミディール妃。
 そして、その母の愛人でありながら、事件の直前に消息を絶ったガーゼフ。
 エリルは鋭い視線で男の後姿を見つめながら、薄布で顔を隠した。
 アンナの全身を隠す装束が役に立つ。
 七歳の時、エリルは王宮宮殿の大階段の一番上から突き落とされ大怪我を負い、死の淵をさまよった。
 ガーゼフは、その倒れている王子を発見し助けた人物として、宮廷でも特別な地位を得たのだ。
 エリルは決して忘れることはできなかった。
 幼い自分を突き落とし、口元に笑みを浮かべて階段の上から見下ろしていたガーゼフの冷え冷えとした瞳を。
(母上を奪い。今度は、まさか……姉上まで……)
 ガーゼフがリンセンテートスにいると知った時点で、心の中にガーゼフがシーラの失踪に深く関係しているのではないかという疑問が沸いた。
(突き止めたい……あいつがここで何をしているのか)
 エリルは目立つアンナの装束を身に着けていることから、細心の神経を払い、決してガーゼフに気づかれないように尾行を続けた。
 陽が傾きはじめる頃までガーゼフは、何人かの人物をたずね、やがてある大きな屋敷の門の中へと消えていった。 
「ここは……」
 エリルは思わずその屋敷を見渡す。
 町の中心からやや外れに位置するものの、二階建ての広い庭もある立派な屋敷だった。
(ガーゼフが、この屋敷に住んでいるのか?)
 ガーゼフが屋敷の中に消えていくのを確認してから、エリルも急いで門の前へと近づく。
 門番は特に見当たらず、門も開け放たれ、大勢の人々が自由に行きかっていた。
 門を抜け、屋敷に近づくにつれ庭から陽気な音楽と笑い声、大勢の人々のざわめきが聞こえてきて、エリルは戸惑った。
 よく見ると、様々な人々が飲んだり、踊ったりしている姿があった。
 町の人々はもちろん、服装の異なる大勢の兵士たちの姿を目にして、エリルは町長の屋敷で今宵凱旋歓待の宴が行われる、と言っていた宿屋の主人の言葉を思い出す。
(ここが町長の屋敷なのか? でも、どうしてあいつが……? いや、ここにはリンセンテートスのクラン皇太子や、援軍のナイアデス、ノストールの誰かがいるのかもしれない。極秘に会うのかもしれない)
 エリルはそう思うと、屋敷の正面玄関に足を踏み入れた。
 こんな時は、堂々としているほうが怪しまれないはずという、エリルの考えは見事に的中した。
 紫色のアンナの装束は庭で酒宴に酔う人々の注目を集めはしたが、正門から入って行く姿に、誰もが招かれて訪れたのだろうとしか思わなかったのだ。
 おかげでエリルは誰にも見咎められることなく屋敷の中にはいりこむことができた。
 人気のない場所で屋敷の使用人に出会い、不審そうに問われたときも『ラシル王よりお声があり、私が一族の代表としてまいりました。のちほどクラン殿下より内々にお話を承るお約束となっておりますゆえ、宴の席はご遠慮させていただきます』と、ゆっくりと一礼して見せると、相手は恐縮してしまい自分の非礼をわびて、屋敷の中を案内してくれてたほどだ。
(正気を失った王子役も演じごたえはあったけど、アンナを演じるのもなかなか面白いよなぁ……)
 エリルはもう少しこの状況が楽しめるといいのにと思いつつ、探している相手があのガーゼフであることを自分に言い聞かせ、気を引き締める。
 ひと気の多い場所を避けながら、大勢の人々が酒や踊りで賑わっている大広間を上から見渡すことのできる場所を探して二階へ上がって行った。

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