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第十二章《 嵐の終息 》

 そう言われて、すでに二年以上の月日が経過した。
 リンセンテートスを襲った巨大な砂嵐はおさまるどころか、日を追うにつれその勢力を増し、城とその一帯が孤立してしまったのだ。
 ハリア国と交渉をもつどころの騒ぎではなくなってしまった。
 シーラは、ガーゼフが城に姿を現すたびに朗報を待ち望んできた。
 けれどその一方で、シーラはいつしかこの城での暮らしを失いたくないという思いはじめている自分の心を否定できなかった。
 華やかな王宮での暮らしとは比べようがなかったが、ベーリント城での毎日には心地よい穏やかな日々があった。
 人々の口さがない噂話や視線に悩まされることも、朝から晩まで大勢の侍女たちに囲まれながら、決められた単調な一日を過ごさなくてはいけない苦痛も、ここにはなかった。
 窓辺に訪れる小鳥たちの歌声で目を覚まし、時を忘れるまでアインとおしゃべりをしたり、一人で好きな本を何度も読み返したり、絵を描いたり、中庭で美しい花を育てるという楽しみも覚えた。
 そうした暮らしがいつまでも続くものではないとわかっていても、シーラはガーゼフが城を訪れるたびに、複雑な思いにかられた。
「砂嵐が止みました」
 ガーゼフがその言葉を告げたとき、シーラは時間が止まったような奇妙な錯覚を覚えた。
(ついに来てしまった……) 
 待ち望んでいたはずの言葉を聞いたとき、シーラは心臓を矢で貫かれたような痛みを覚えた。
「どうなりますか……?」
 やっと出た自分の声が震えているのに、シーラは気づいた。
 だが、ガーゼフはそれに反応を示すことなく、言葉を続けた。
「メイヴ妃殿下には、人を送りました。シーラ様は、祖国よりの指示が出るまでしばらくはこのままここで静観していただくのがよろしいかと思われます。いかがでしょうか?」
 ガーゼフは、シーラに対し礼を失することのない廷臣として接しているように見えた。
 常に敬意を込めて接し、王族への親愛の表現も忘れることもない。
 ベーリント城には居住せず、時折、城に現れては、外の様々な状況を報告しては再び帰っていった。
 誠実な姿――どれほど猜疑の目でみても、ガーゼフはそう呼ぶにふさわしい人間であるようにシーラには映りはじめていた。
 時にどのような人間ですら魅了するような笑みと、甘く心地のよい低い声。
 執事と使用人たちをのぞけば、アインと二人きりの暮らしの中で、ガーゼフは自分たちを庇護し続けるにたりる存在だった
 しかし、それでもなおガーゼフが現れるたびにシーラの目には自分を守るように立ちはだかる存在を、感じずにはいられなかった。
『あいつだけは、死んでも許さないわ』
 憎しみの瞳でガーゼフを睨み続けるミレーゼ。
『姉上様、お気をつけ下さい。決してお心を許してはいけません』
 ガーゼフに階段から突き落とされ瀕死の怪我を負ったエリルが、悲しげな瞳で訴えかける。
 なにも知らずにガーゼフに出会ったならば、彼ほど頼りになる信頼できる臣下はいないのに……と、シーラは悲しく思う。
「私は、このままずっとここにいたいわ」
 二人の会話が途切れるのを待って、アインが会話に加わってきた。
 この二年ですっかり女性らしくなったアインの、ガーゼフに対する想いをシーラは知っていた。
 妖精のような可憐な美しさを全身にあふれさせた乙女は、栗色の長い髪を揺らし、碧い瞳を輝かせてガーゼフのそばに歩み寄る。
「そうすれば、ずっとそばにいてくれるのでしょう?」
 遠慮する様子もなく、ガーゼフの手を白く細い指でからめるように包みこむと、その瞳に視線をあわせて愛らしいほほ笑みをみせる。
「姫様もきっとそう思ってられるわ」
 アインがガーゼフとメイヴ妃の関係がどのようなものなのか知っていることは確かだったが、シーラがその話をするとアインは別の話題にするりと切り替えてしまうので、結局シーラはなにひとつ知ることができずにいた。
(ミディール妃とメイヴ妃……両方の側妃に取り入っていた男……)
 決して感情を露にすることなく、礼儀正しく振る舞う姿に、策謀に加担するような影は見当たらない。
『でも、信じちゃだめよ』
『うん、僕もそうしてほしい』
 気の強い妹と、賢くやさしい弟の心配気な声がささやく。
「ガーゼフ」
 シーラはためらいを捨てて、ガーゼフを見つめた。
「リンセンテートスとハリアの間で話がどのように進むのか、わたしにはわかりません。ただ、戦さにだけはならないようにと願います。どうかメイヴ様によろしくお伝え下さい。そして……」
 シーラは、穏やかな表情でガーゼフに告げた。
「これまでどおり、わたしたちの身の振りかたは、すべてあなたに一任いたします」 

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