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第十二章《 嵐の終息 》

 リンセンテートス城の一角を居城として譲り与えられたフェリエスは、その一番奥の寝所で、近従の少年兵に命じ、テラスの扉をすべて開放させていた。
「空が……眩しいな……」
 窓を開けるのも、青い空を見るのも、陽のまぶしさに目を細めるのも、すべはあの結婚式以来だった。
 二年ぶりに部屋の中に飛び込んで来た新鮮な空気は、さわやかな風に乗って、重くよどんだ空気を一気に外へ押し出していくのがわかる。
 同時にフェリエスは、左手をゆっくりともちあげ中指の《ラーヴの指輪》を見つめた。
 この半年前から、フェリエスは突然体調を崩した。
 その理由はフェリエス自身が誰よりもよく知っている。
 《ラーヴの指輪》に全魂こめて、注ぎ続けてきた力が失われはじめたからだ。
 フェリエスの守護妖精ミュラも、父オリシエ王の守護妖獣大鷲ダヌも、彼が十八歳の初陣の時にセルグ国で命を落とした。
 だが王が代々受け継ぐ《ラーヴの指輪》は、守護妖獣を失った新王に新たなる守護妖獣を与えた。
 王の指輪が存在する限り、王が指輪を守り続ける限り、たとえ守護妖獣が命を落としても、指輪が新たなる守護妖獣を、王とその継承者である家族に守護妖獣を与えるのだ。
 守護妖獣テオドール――。 
 フェリエスの新しい守護妖獣は、母ロマーヌ皇太后の守護妖獣と同じ白竜の種族だった。
 同種族の守護妖獣は、どれほど場所が離れていてもある程度の会話をすることが可能といわれている。
 この二年数カ月の間、フェリエスはリンセンテートスに身を置きながらも、ナイアデスにいる、母ロマーヌ皇太后と互いの守護妖獣を通してわずかな時間ではあったが言葉を交わすことができた。
 しかし、このリンセンテートスを長い時間、襲い続けた砂嵐は、その守護妖獣の能力を弱める力をも、もっているようだった。
 フェリエスが精神を集中させ、テオドールに意識を重ねれば重ねるほど、自らの体力を消耗させる結果となったのだ。
 すでにこの半年以上、ベッドから起き上がる体力さえ失いかけているだけではなく、守護妖獣を通してロマーヌ皇太后と連絡をとることさえもできなくなっていた。
 だが今日だけは、どのように体力を失おうともリンセンテートスの嵐が止んだことを一刻も早く祖国に伝えなければという使命感がフェリエスをベッドから起き上がらせようとしていた。
 オルローが戻って来たのは、そんな時だった。
「陛下、無理をされてはいけません」
 驚きながら駆け寄り、フェリエスの背中に手を添える。
「いや、大丈夫だ」
 フェリエスが左手の指輪を包むように手を重ねているのを見て、オルローは何を行なおうとしているのを知った。
 守護妖獣に力を与えるために意識を集中するとき、フェリエスはいつもそうしていたからだ。
「陛下、ご安心ください。ナイアデスより迎えが参りました」
「?」
 フェリエスの怪訝な顔が、オルローを見る。
「イズナ将軍がまいりました」
 一瞬、驚いたような表情がフェリエスに浮かんだ。
 守護妖獣はそれすら知らせられないほど弱っていたのだ。
「まことか?」
 扉から現れたイズナの姿のを目にして、黄金の瞳が力を取り戻したように輝いた。
「イズナ……」
 名を呼ばれ、そばへ歩み寄ったイズナは、フェリエスのあまりの憔悴ぶりに浮かびかかった狼狽の表情を隠し、片膝を床につけ深々と頭を下げた。
「陛下、お迎えが遅くなり申し訳ございませんでした。ロマーヌ皇太后陛下の命を受け、イズナ部隊お迎えに馳せ参じました」
 イズナは下げた頭を、そのまま上げることができなかった。
 本来であれば、病に伏している姿など、誇り高いフェリエスが臣下に見られたいと思うわけがないのだ。
 また、自分も見たくはなかった。主の姿に思いがけなく衝撃を受けた自分の心に、イズナは目を背ける。
(どれほどのお苦しみが、あられたことか……)
 自分の気持ちなど捨てておけ、とイズナは強く下唇をかみしめた。
 フェリエスの受けた苦しみをどうするかが最優先のはずだった。
 自分が、もっと早くリンセンテートス行きを止めることが出来さえすれば、フェリエスをここまで苦しめることにならなかったのだ。
 そう思うとき、イズナの目頭は熱くなり、悔し涙を止めることができなかった。
「母上から……ある程度のことは伝わっている……魔道士のこともな。イズナ、お前が日々、自分のことを責めていることも……。頭を上げてくれ、お前に非はない。本当によく来てくれた。感謝する」
 そう語りかけるうちに、心なしか全身に力が蘇りつつあるのを、フェリエス自身は不思議と感じていた。
「私は……そう感謝を口にせぬのは知っているだろう。今日の太陽と青空が言わせたと心得ておけ」
 横に立つオルローもフェリエスの蒼ざめた顔色に徐々に血色が戻り、声に力が戻ってきているのを知って、目を瞬かせた。
 笑顔さえ浮べる様子に、オルローもまた静かな笑みが自分に浮かぶのをしって嬉しかった。
 イズナは涙を袖でぐいとぬぐうと顔を上げ、厳粛な面持ちで、ロマーヌ皇太后からの親書をフェリエスに差し出した。
「陛下……これを。皇太后陛下からお預かりしてまいりました」
 うなずきながらその手紙を受け取り、流れるように読み終えたフェリエスは、ディルムッドを室内に呼ぶようにイズナに命じた。
 親書にその存在がイズナと共にあることを知ったのだ。
 ナイアデスの宮廷魔道士のフードをまとったディルムッドは、ゆっくりとした足取りでフェリエスの前に現れた。
「ラージ・ディルムッドでございます」
 しかし、そう名乗りフェリエスと顔を合わせたディルムッドは意外なことに、驚愕の表情を浮かべたまま、その場に立ち尽くしてしまっていた。
「どうした?」
 フェリエスに問われてもしばらく微動だにしなかった魔道士は、突然低い声で言葉を紡ぎはじめた。
「神々の宴が、はじまりを告げる――」
 
神々の宴が、はじまりを告げる――
闇と光の目覚めの宴。
眠りにつく神々は、
宴のためにその印を自らにとどめる。
闇を統べし神は闇の印を。
光を統べし神は光の印を。
黄金の瞳持てる者
貴き光を放つ者。
無数の神を統べし者。
宴の主人の証しなり。

 言い終わるとディルムッドは、ベッドに座るフェリエスの前で両膝を折りひざまづいた。
 そして、眩い光を見るように、ナイアデスの皇帝の顔を仰ぎ見、平伏した。
「いかがした?」
 ただならぬものを感じて、フェリエスはじっとディルムッドを見つめる。
「おそれながら、陛下はご自身の真のお姿を御存じではございません。その両眼の黄金の瞳はこの世界に唯一無二の神の証。それを思い出されれば、その程度の病はたちどころに消え去り、大いなる光を御自らが人々にお与えになることは明らか」
「それは……〈先読み〉なのか……?」
 突然のディルムッドの言葉に、オルローもイズナも言葉を失う。
 室内が静まり返った。
「わが〈先読み〉など……陛下の存在を前にした今、意味などなしませぬ……」
 ディルムッドの低く抑揚のない、神聖さをおびた声が、部屋の空気に緊張感を張り巡らせる。
 フェリエスは、ディルムッドの姿を見つめたまま微動だにしない。
「私の目が神の証とはどういう意味だ?」 
「陛下……転身人はシルク・トトゥ神だけではありません」
 間髪入れず放たれた静かな言葉に、誰もが息をのんだ。
 自分を見つめる黄金の瞳に見つめられる中で、ディルムッドはフェリエスの身にかかわる神の名を告げた。

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