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第十二章《 嵐の終息 》

 ラシル王と皇太子夫妻との謁見を終えた後、部屋を出たオルローとイズナの二人はそこで改めて言葉を交わした。
「少し痩せたか?」
 イズナは戦友の肩を軽く拳でたたくと、そのまま互いの肩をかたく抱き合った
「すまなかった……わたしがついていながらこんなことになってしまった」
 フェリエス皇帝の親衛隊長として今回の任務に就きながら、オルローは結果的に何もできなかった。
 しかもこの二年の間、病に倒れたフェリエスはもとより、部下やリンセンテートスの誰人にも自分の心痛を微塵たりとも悟られるわけにはいかなかった。自分がフェリエスを守り、ナイアデス皇国の面目、強さを常に示し続けることが国を守ることだとわかっていたからだ。
 フェリエスの片腕である自分が弱気になっていることを見破られれば、その隙を狙ってリンセンテートスの中にいる反ナイアデス体制の人間に付け込まれる恐れがあったからだ。
 常に冷静沈着な表情を顔に貼り付け、皇帝の補佐役として、大国の将軍として、振舞い続けた。
 時に崩れそうになる自分の心を奮い立たせ、どのようなことがあってもフェリエスを国に無事帰還させることのみを誓い、今日まで来たのだ。
 しかし、イズナが目の前に現れたことにより、寄りかかる杖を見つけた旅人のように、オルローは幼なじみの腕に身を任せた。
 そのイズナは、これまでみせたことのない友人の疲れきった姿に、想像以上の心労が彼らの上に襲い掛かっていたことを感じる。
 だが……。
「まだ気を許すなよ。ここはおれ達の国じゃないからな」
 耳元でささやくと、オルローはハッとしてイズナから離れた。
 その顔に一瞬にして、緊張感とポーカーフェイスがよみがえる。
 ニヤリ、とイズナは口元に笑みを浮べてうなずいた。
「わが皇帝陛下のご様子は?」
「ああ」
 声のトーンに影が帯びる。
 イズナの表情は曇った。
 オルローを疲れ果てさせた一因がフェリエスの病気だということを知っていたが、予想以上に深刻なのではないかと察し、表情を硬くする。
 今度は、オルローがゆっくりとうなずいた。
「これからすぐに陛下の所へ案内する。ただし、あまり大勢ではフェリエス様がお疲れになるから、出来る限り少なくしてほしい。ほかにだれか同行させるべき人間はいるか? 」
「魔道士を一人」
「キリカか?」
「ここで待っていろ」
 そう言って去って行ったイズナが、再び現れたとき連れて現れた魔道士を見た瞬間、オルローは、驚愕のあまり腰の帯剣を抜きそうになった。
 年老いた風に見える面立ちをした長身の白髪白髪の男は、ナイアデスの魔道士が与えられる深い青紫色に金の刺繍で縁取りをした長衣を身にまとって立っていた。
 伏せ目がちにイズナの後ろに立つ姿は、どこか奇妙な妖気さえ漂わせる。
「その男は、ダーナンの捕虜を乗せた船に乗っていたというナイアデスの宮廷魔道士……なぜ、そんな男を……」
「名は、ラージ・ディルムッド。今はロマーヌ皇太后から許しを得て、わが国の宮廷魔道士としてこの度の陛下ご帰還のための随員に加えられた。リンセンテートスの砂嵐が止むという〈先読み〉もディルムッドが行った。陛下の病気治癒の療法を行う」
 ラージ・ディルムッド――。
 オルローの記憶が、ディルムッドに関する記憶を拾い上げて行く。
 始まりは、ノストールに誕生したという、月の女神アル神の息子シルク・トトゥ神がノストールに五歳の少年として誕生しているという〈先読み〉がキリカから告げられたことだった。
 戦いの神シルク・トトゥ神であるその少年を手に入れれば、ラーサイル大陸統一がかなうかもしれない。
 黙って見過ごしている大国などない状況だった。
 ナイアデス皇国でも使者をノストールに使わせ、同盟を求めた。
 その矢先、ダーナン帝国が大船団を率いてノストールの港に突如として現れ、シルク・トトゥ神の転身人を引き渡さねば力づくで奪うと宣戦布告を行なったのだ。
 だが、突然次から次へと出現した幾つもの大きな竜巻がダーナン軍を襲い、船団は壊滅状態となった。
 その時、ノストールに探索部隊として隠密に派遣していた偽装船が、海に投げ出されたダーナンの兵達を救い出し、捕虜として連れ帰ったのだ。
 ラージ・ディルムッドがダーナン帝国のロディ・ザイネス王の宮廷魔道士であることは、捕虜の口からほどなく判明した。

「おまえも知ってのとおり、頑固な魔道士だ。ダーナンに関することは、どれほど問い詰めても口を割ろうとしないしな。まいった、まいった」
 苦笑いを浮べてディルムッドを目で示すイズナ。
 なにが、まいったものかと、オルローは冷ややかな目で相棒を見ながらも、表情ひとつで話の先を続けるよう促した。
 ロマーヌ皇太后が許した以上、むやみに意をとなえるべきではないことは心得ている。
 フェリエスの部屋へ向かう途中の通路で、オルローはディルムッドにしばらくここで待つように伝えて、イズナを中庭にさそった。
 本来であれば美しい花と緑の庭園であるはずのリンセンテートス城の中庭は、今は黄砂に埋もれてしまい、見る影もない。 
 遠くで庭師たちが、砂を取り払う作業に取りかかっている姿が見える。
「あの男はダーナン側の人間だろう」
「ディルムッド云く、己の主人の秘密は他言しないのが魔道士の掟だというんだ。これついては、キリカも同じことを言っている。『魔道士が行うべきことは〈先読み〉、占術、呪術、治癒術。それを願い出た者のことは、たとえどのような場合であれ、他者に告げることは許されるべきではない。もしそのために己が生命を落とすような場合があったとしても、天と地の声に耳を傾け天の声を聞くことを許された者は、それも覚悟のこと。最初の主のみが己が命の主。そしてまた代々の主に関して一切他言はしない』と言って譲らない。だから、試みに〈先読み〉を行わせてみた」
 イズナは、そう言って肩をすくめてみせた。
「もちろん俺の勝手じゃないぞ。深く興味をもたれたロマーヌ皇太后殿下のお知恵をいただいてのことだ。だが……もっと早くさせておくべきだった。陛下がリンセンテートスへ旅立たれる前に……」
「おい……まさか……」
 オルローはその口調に嫌なものを感じて、思わず口を挟んだ。
「そのまさかだ」
 イズナの髪に隠されていない左目が辛そうに視線を落とす。
「ディルムッドは『皇帝はリンセンテートスへ行ってはいけない。もしも、入国したならば、その帰還は思いがけず長いものになるだろう』と言った。しかも『その闇の中へひとたび身を置いたならば、たとえ守護妖獣の力を得たる指輪といえど、その加護も力およばず。天の意志に任せるのみになる』と、〈先読み〉をした。もちろん最初は、陛下がリンセンテートスへ行くことを阻止しようとの思惑が秘められているかと疑りもした。だが……現実に、それは起こった。〈先読み〉は的中したんだ」
 イズナの真剣な眼差しがオルローを見つめる。
「〈先読み〉の内容の報告を受けていられたロマーヌ皇太后は、リンセンテートスの砂嵐の事を知られ、直々にディルムッドに会われたのだ。そして陛下がご不在の間、ディルムッドはロマーヌ皇太后に尋ねられるままに〈先読み〉を行い、国政を補う一助を担ってきた」
 イズナの語る言葉に、オルローは戸惑いを禁じ得なかった。
「そして数カ月前から、リンセンテートスの砂嵐が止むこと、だがその時、陛下は病で床に就かれたままとなっていることの二つをディルムッドは告げたんだ」
「だが……仮にも、ダーナンの帝王に使えた男だ。しかも陛下はご存じない」
 宮廷魔道士ともなればナイアデス皇国の内情に精通する存在となる。オルローはイズナがなぜディルムッドに〈先読み〉をさせたのか理解ができなかった。
 たとえ、〈先読み〉が的中しても、危険な存在に変わりはないはずだった。
 けれどそうしたオルローの危惧を見抜いているのかいないのか、イズナは大きく息を吐き出した。
「あの男、ディルムッドは、ある意味ただの……というか、真に魔道士だ。ダーナン王に仕えたのは、放浪の旅を続けていた王が自分を招いた。ただそれだけだと言ってのけた。農民に請われれば、農民に必要な〈先読み〉を行い、旅人に請われれば旅人が知りたい〈先読み〉を与える。それが自分の道だと、な」
「それは宮廷魔道士として召抱えられたことがないからだろう。一介の力自慢の男を将軍に迎えるのと、他国で将軍だった人間を、将軍として迎えるのとではまったく異なる」
「ダーナンのロディ・ザイネスは、あの男の風貌、出身、過去、どこでなにをしていたか、アンナの一族のものだったのか、またはどの魔道の一族に属するのかを問いかけた。しかし、ディルムッドはすべてを語らなかった。にも関わらず、こだわり続けるることなく、直々に宮廷魔道士に任じたと、ダーナンの兵士たちは口々に言っている。あの男は事実ダーナンでロディ・ザイネスの側近だった。おまえは知らなくて当然だが、〈先読み〉の鮮明さ、正確さはキリカをはるかに凌駕するぞ。ロマーヌ皇太后はあの男の力を見過ごすことは、国の損失になると考えられた。第一、わがナイアデスは、ダーナンよりも器が小さいと思われたいか?」 
 庭を前にたたずみ、青空を眺めている通路のディルムッドを目の端でとらえながら、オルローは深々とため息をついた。
「信じるに値すると……?」
「〈先読み〉は的中した。だが、陛下が直接お会いになられて、気に入らないと言われればそれまでのことだ」
 その言葉を耳にして、やっとオルローの表情に穏やかさが戻った。
「それにディルムッドに関しては、ロマーヌ皇太后より直々に陛下宛の書簡をお預かりしている。俺が口をだす立場でもないしな。そうだ……」
 イズナは別のことを思い出したように、懐から封筒に入った手紙を取り出し、それをオルローに差し出した。
「これはお前宛だ」
「皇太后陛下から……か?」
 驚きの表情を浮かべる幼なじみに、イズナは呆れたようにその手紙を胸元に突きつけた。
「リンドからだ。このまま放っておかれたら俺のところに嫁に来るって言ってたぞ」
「!」
 その言葉に、イズナの手から手紙を奪うように受けとると、オルローは咳払いをひとつして、なにごともなかったように背を向けた。
「気持ちはわかるが、手紙を読むのは後にしてくれ。」
 イズナが咳払いをひとつして冷やかすような口調で言うと、オルローは封を解こうとしていた手元を隠して手紙を服の中に納めた。
「読むわけがないだろう」
「どうだかな」
「行くぞ」
 オルローはイズナの背を押して、通路へ戻るよう促す」
「陛下もおまえの顔を見れば、少しは喜ばれるだろうしな」
「もっともだ。ところで、おまえは喜んでくれたか?」
「当然だ」
「リンドに伝えておくよ」
「手紙のこととは違う。お前と再会できたことだ」
「いいわけとは珍しい」
 イズナのからかうような言葉も、いまのオルローの耳には心地よく響いた。

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