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第十二章《 嵐の終息 》

 リンセンテートスを二年もの間、襲い続けた黄砂の嵐が止んだ朝。
 リンセンテートス城や城下の街の人々は、頭上に青空と輝く日ざしを求めて、我先にと砂だらけの道に飛び出し歓声を上げていた。
 憔悴しきった顔に、安堵と笑みを浮かび上がらせ、大声を上げて街や野を駆け巡る者、抱き合い涙する者、歓喜の歌を唄う者、踊り始める者、そして神に感謝を捧げる者。
 みなそれぞれが数年ぶりに見る、晴れ渡った空を喜び合った。

 その城下の風景をリンセンテートス城の一室から見降ろす瞳があった。
「陛下……」 
 オルローは窓際から離れると、ベッドに横たわるフェリエスに呼びかけた。
「これで、ようやく国に帰ることができます」
「そうだな……」  
 オルローの弾んだ声とは反対に、フェリエスの声には力がなかった。
「砂嵐が止んだからには、このオルローが必ずや陛下を無事ナイアデスへお連れし致します」
 一礼すると、オルローはフェリエスの寝所となっている部屋を出て、謁見の間に向かった。
 ラシル王からの直々の呼び出しは、砂嵐がやんだことに関わる要件であることはわかっていた。
 オルローは、砂まみれになっている通路を数人の部下と歩きながら、疲弊しきった神経を集中させることに努めた。
 黄砂に侵略された城――。
 この砂を踏み締めるたびに、オルローの意識は、決まってあの悪夢の日に帰ってしまう。
 ミゼア砂漠での何者かによる襲撃、フェリエスの花嫁としてラシル王から譲り受けたシーラ王女を奪われたこと、そしてそのまま悪魔のような砂嵐に襲われ、リンセンテートスに引き返さざるをえなくなったこと。
 まさに異常な天候と言うしかなかった。
 そして、なによりもオルローを不安にさせたのは、主君皇帝フェリエスがこの半年の間、原因不明の病にかかり、床に就いたままであることだった。
 城内の空気はもちろんのこと、どれほど室内や家具を衛生的に保とうと努めても入り込んでくる無数の細かな砂粒。砂の混ざったパンやスープは、不衛生であるとともに精神的な苦痛を与え、体力の回復の妨げになった。
 術士もラシル王の配慮で何度か療法にあたったが、ナイアデスにいるような力のある魔道士はリンセンテートスにいるはずもなく十分というる療法は受けられなかった。アンナの一族は砂嵐のため呼び寄せることもできず、結局、原因もわからないまま、今日を迎えたのだ。
(天候が回復したからには、陛下のためにも一刻も早くこの国を出なくては……)
 オルローの頭の中は、より早く、かつ安全に、フェリエスの身を本国ナイアデスに帰すためになにをすべきかということで、頭の中はいっぱいだった。
(まさか……二年余りもこの国から出られなくなるなど、誰が予測できたものか……)
 この国の人々が口にするようにビアンという神が起こした災い、という言葉がよぎることもあった。
 だが、オルローはそれを強く否定したかった。

『予言をあげるよ。あなたが神にそむく行為をひとつでも行ったならば、国には簡単に戻れなくなる。ぼくの助けなくしてはね』
 シルク・トトゥ神の転身人といわれる幼い王子の口から告げられた言葉――。

 就寝時、砂嵐が城壁を激しく打ち付ける音を毎夜耳にするたびに、二年前に出会ったノストールの第四王子アウシュダールの言葉がよみがえった。
 オルローはその言葉をどうしても覆したかった。
(陛下は、神に背かれてはいない。これは、ただの自然の仕業だ)
 そのために、何度となくリンセンテートスを出ようと試みた。
 だが、まさに悪魔とも言うべき黄砂の嵐に阻まれて、脱出することがかなわぬまま、ついにフェリエスは倒れ、アウシュダールに親書を送ることを決断することになった。
――この砂嵐がビアンの怒りなのか。アウシュダールが本当に転身人なのか。見極める方策だと考えればいいではないか。
 フェリエスは案ずるオルローに憔悴の笑顔を見せた。
――もし、本物の転身人ならば、私は神に頭を下げただけだ。小国の王子に頭を下げたわけではない。
 黄金色の瞳が強い光を失っていないのを感じられて、オルローは逆に励まされた。
 そして、アウシュダール率いるノストール軍がエーツ山脈を越え、ミゼア砂漠に足を踏み入れたという情報がつい数日前にもたらされ、今朝砂嵐は止んだ。
 輝く青空に、アウシュダールの顔がじっと自分たちを見ているような錯覚がオルローを襲う。
(神に背く行為……)
 全身がざわりと総毛立つ感覚に包まれ、言いようのない不安に思わず立ち尽くす。
(陛下が、神に背いた……というのか?)
 蒼ざめた表情のまま、微動だにしないオルローに背後の部下が声をかける。
「将軍、体調がよろしくないのですか?」
「いや」
 はっとして、オルローはすぐに歩き始めた。
「帰国の準備について考えていた」
 そう、自分は他国の神についてではなく、フェリエスとナイアデス皇国のことを第一に考えるのが優先だ、とオルローは自分自身に言い聞かせる。
 いまは、ナイアデス皇国の状態も、フェリエス不在が実際にどのような影響を与えているのかも定かではない。
 ただ、フェリエスの実母であるロマーヌ皇太后が政務に長けており、国を守る力をもつ大きな存在であることだけが、心強かった。
 今日の今日まで、リンセンテートス城での暮らしは、悪夢の日々といってよかった。
 食事も水も、砂の混ざらないものはなにひとつない。
 王の食卓にも、部屋にも、あらゆる場所に黄砂は侵入した。
 肌に、髪に、服に付着し、目に砂が入れば激痛が襲った。
 城の中にいながらまるで砂漠の民のように一枚の大きな布を体に巻き付けて、砂から身を守る姿がどこにいても当たり前のようになっていた。
 今日はその姿が消え、身軽な服装の兵士たちが、晴れ晴れとした笑顔で城の汚れを落とすために懸命に働いていた。
 彼らの口から「シルク・トトゥ神の転身人のおかげだ」とその名を称える言葉が交わされている。
 それを横目にオルローはため息を吐く。
 喜ぶべき青空は、アウシュダールの転身人の力を証明し、フェリエスの過ちを示す結果となる。
 二年分の疲労が、一気にオルローの全身に重くのしかかってきたようだった。思考力が働かなくなりそうだった。
(あの馬鹿でもいれば少しは役に立つんだが……)
 オルローの脳裏に、幼なじみのイズナの顔が浮かぶ。
 行動力と直感、機動力、そして人を動かす能力の秀逸性は、人並みならないところがあるイズナの姿を。
 平民兵の中から、力のある者を見つけ出し、自分の部隊に引き抜く早さは軍でも周知の事実であり、真似しようともできるものではなかった。 
 また戦さの時は、突発的な事故や奇襲に見舞われ味方が窮地に追い込まれたときも、一見無謀と思える行動で、フェリエスをはじめとする多くの味方の命を救ってきた。
 イズナがいてこそ、オルローも戦略がたてやすく、いざというときの手を何通りも打つことができたのだ。
 懐かしい顔を思い出しかけたとき、オルローはラシル王の待つ謁見の間の扉の前にたどり着いた。
「どうぞ、陛下がお待ちかねです」
 この二年ですっかり顔なじみになった王の側近が、兵に命じて扉を開かせた。
 オルローはうなずくと歩き出す。
 正面中央の奥、王座に座っているラシル王の前まで歩みを進めると、挨拶を交わした。
「オルロー将軍、フェリエス皇帝の体調はいかがかな」
 ラシル王が最初に口にしたのは、フェリエスの病状のことだった。
「今日はひさびさに体調もよろしいようです。やはり、待ちに待った砂嵐が止み、青空の下、穏やかで暖かな日差しに包まれたためでしょうか。この天の祝福を、大変喜ばれていられます」
 儀礼的に応えながら、オルローは自然と自分の口調がラシル王を責めていることを感じていた。
 王自身も、それを甘んじて受け止めているのを承知の上でのやりとりだった。
 その顔は細かい皺が増え、髪も白くなり、実際の年齢よりもはるかに老いてしまったようにも見える。
 オルローはフェリエスに代わりラシル王と対面するたびに、文字通り砂を噛むような思いをして来たのだ。
「将軍もすでにご存じの通り、わが国を襲い続けた砂嵐が止んだ。これもフェリエス皇帝陛下がノストールのアウシュダール王子に親書を送ってくださったおかげ、とお伝えを。本当に申し訳ない事態になってしまったことを、改めてお詫びしたい。それしても、もうすぐこの城に神の転身人をお迎えするのだが、どうおもてなしをすればよいやら、みな大騒ぎでな」
 ラシル王は、疲労の色も濃いなかに、安堵と上機嫌な表情を浮かべて笑ったが、オルローの突き刺すような視線を正面から受けて、咳払いをして改まった表情をつくった。
「大国の皇帝を、つまらぬ惨事に巻き込んでしまったこと。詫びても詫び切れるものではない」
 ラシル王の口から謝罪の言葉がではじめると、オルローはしまったと内心舌打ちをした。
 この二年というもの、ラシル王はひたすらフェリエスとナイアデス側の人間に詫び続けてきた。
 フェリエスが元気なときには、その詫びの言葉をやんわりと制しては早々に切り上げていたが、フェリエスが病に伏してからは廷臣であるオルローが同じような態度で接するわけにもいかず、結局延々と続くラシル王の謝罪の言葉に耳を傾けなくてはならなかった。
 オルローは自分の失敗を悔やんだ時、扉が開き、クラン皇太子と皇太子妃セラが現れた。
 セラはフェリエスの実姉であり、五年前にクラン皇太子のもとに輿入れし、二人の王子をもうけている。
 フェリエスが倒れてからは毎日のように部屋を訪れては、弟の体が少しでもよくなるようにと、さまざまに気を配ってくれていた。
「オルロー将軍」
 皇太子夫妻は、ラシル王に話を中断させた詫びを述べた後、久々にみせる明るい表情でオルローのそばに歩み寄った。
「あなたも見たでしょう。砂嵐が止み、太陽と青空が私たちを見つめています。今日はすばらしい日です。そして、わたしの故郷がナイアデスであることを誇りに思える日になりました」
 ロマーヌ皇太后よりも亡きオリシエ王に似た面立ちのセラ皇太子妃は、女性らしいというよりは、やや気の強そうな性格を漂わせていた。
 ラシル王に嫁ぐことになっていたハリア国のシーラ王女を、フェリエスの王妃にと言い出したのは、このセラ皇太子妃だと最近になってフェリエスから聞いた。
『シーラ王女は物分かりのいいおとなしい性格といわれているから、人質としては申し分ないはず。ハリア国の王女がナイアデスの王妃になれば、妹のミレーゼ女王は今後簡単には、ナイアデスの同盟国のリンセンテートスに牙を剥くような真似はしないはず』
 リンセンテートスを守るため、セラは弟を平気で巻き込んだともいえる。 
「朗報なのよ」
 まるで自分の手柄を誇るようにセラは、オルローにほほ笑みかけ、出口に立つ兵に呼びかけた。
「お入りなさい!」
 セラが片手を軽く挙げると、オルローが入って来た扉からまた別の人物が入ってくる気配がした。
 振り返ったその目にナイアデス皇国の軍服が目に飛び込んで来る。
 無口な夫のかわりに、セラが驚くオルローに肩をすくめてみせる。
「信じられて? ビアン神のお怒りがとかれ、砂嵐が止む日がナイアデス皇国で〈先読み〉されていたというのよ。今日のこの日を目指してナイアデスから、フェリエス陛下のためにたった今到着したばかりなのですよ」
 セラに改めて紹介されるまでもなかった。
「おまえ……」
 驚くオルローの視線を受けて、オルローと並びナイアデスの双璧と称えられるもう一人の人物が現れた。
「元気そうだな」
 イズナは真顔でうなずき、再会の言葉を発した。

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