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第十二章《 嵐の終息 》

 テセウスが指輪を受け取った翌朝、湖のほとりの天幕の中で高熱で病に伏していたアウシュダールが目覚ざめた。
――気に入らないな……。
 朝、様子を見に来たテセウスの指に光る金の指輪があるのを目にして、アウシュダールは、自分が高熱にうなされ眠りについている間にテセウスの身になにかが起きたことを知った。
「父上の指輪をアル神が届けて下さったんだよ」
 アウシュダールの視線が《アルディナの指輪》に注がれると、テセウスは静かにほほ笑みながらそう答えた。
 しかし、ノストールにあるはずの王位継承の証し《アルディナの指輪》が、なぜテセウスの指にあるのかまでは詳しく語らなかった。
 さらに、それを不思議と思い追求する臣下もまたまたいなかった。
 ノストールの民は、王家と指輪を守る守護妖獣の存在、そして神の加護をあたりまえのように信じている。
 その強い絆があるかぎり、王の崩御と王位継承者への指輪の継承が、自分たちの知らないところで行われたとしても、驚くことはあっても、疑うことはないのだ。
 だが、アウシュダールはその指輪を目にした時から、見えない何かを見ようとするかのように意識を集中させていた。
――嵐は止んだ……。どこかに……干渉者が……?
 その瞳がすっと細くなり、幼い顔に険しい表情が浮かぶ。
 やがてなにかに思い至ったのか、瞳に怜悧な光がよみがえった。
――ビアンは眠ったまま。すべてはこれからだ……。
 唇がゆっくりと吊り上がり、笑みをかたどっる。
――干渉者などに……邪魔はさせない……。 
 テセウスの許しを得て、身支度を整えてテセウスの天幕を訪れたアウシュダールは、そこで、将軍たちのほかに、リンセンテートスのデューグ公爵らに迎えられた。
 デューグ公爵は、数人の部下をともなって現れたアウシュダールの姿を見るや、座っていた椅子から立ち上がり、うやうやしく頭を垂れた。
 だが、アウシュダールの視線はデューグを通り越して、テセウスに向けられた。
 自然に視線はテセウスの右手の指輪に吸い寄せられる。
(…………)
 しかしテセウスは、自分に向けられた視線を、デューグ公爵が先日とは打って変わった態度とっていることにアウシュダールが驚いているものと受け取ったらしく、苦笑いを浮かべながらアウシュダールに自分の横の席をすすめた。
「殿下! お加減はよろしいのですか?」
 目の前を通り過ぎるアウシュダールに向かいデューグ公が、挨拶をする。が、アウシュダールは指輪から目をはなさないまま、面倒臭そうにうなずいた。
「砂嵐は止んだだろう。ビアンも眠りについたから、城が砂漠に埋まる危険は去った」
 ざわり、とその場にいたシグニ将軍をはじめとする人々の顔色が変わった。
「アウシュダール……?」
 驚いた様子のテセウスの問いかけに、シルク・トトゥ神の転身人と自ら名乗るノストールの第四王子は、そこでようやく《アルディナの指輪》から目をはずすと、優美なほほ笑みを兄に向けた。
「ビアン神は旅人を見守る神。ビアンと意志を触れ合わせるには、旅人となったわたし自身の意識を、肉体から切り離す必要がありました。神々との交流は、常に肉体の干渉しない世界でおこなわれるのですよ。兄上」
 その言葉を聞いたデューグは、「おお」と感嘆の声を漏らすと、興奮さめやらぬといった面持ちで叫んだ。
「殿下! まさしくお言葉どおりでございます。わがリンセンテートスを苦しめていた砂塵の嵐が、昨夜より突然止んだとの報告をついいましがた受けたのです。ビアン神のお怒りがとかれたと! まさか……いや、さ、さすが、アウシュダール殿下。さすがは、シルク・トトゥ神の転身人であらせられます」
 アウシュダールを見つめるデューグの眼は異様に光り輝いていた。
「神の転身人……まさか、本当にいらっしゃるとは……。シルク・トトゥ神、アウシュダール殿下……! わがリンセンテートスの嵐は、殿下のお力で消し去っていただいたのですか?」
「ビアンに、怒りを解いて少し休むように言っただけのこと」
 デューグはアウシュダールの言葉に息を呑み込んだ。
 転身人――という、言葉は三年前の大国に大きな衝撃を与え、色めき立たせた。
 だが、リンセンテートスは〈先読み〉の噂は聞いてもそれがどのような内容と意味であるのかさえ知らなかった。
 ノストールの第四王子がシルク・トトゥ神の転身人と聞いた時も、小国が自らの国を守るための虚栄として風聞を流しているにすぎないと思い込んでいた。
 特にデューグ公爵は、懐疑的な人物の一人であった。
 だが今、神秘的な空気をまとい、ほほ笑みを向けるアウシュダールの前のデューグは、感激に頬を紅潮させている。
「アル神の御子であるシルク・トトゥ神の殿下と……わがリンセンテートスのビアン神が……言葉を交わされたのですね……」
 うわ言のようにそうつぶやいたデューグはアウシュダールと瞳が出会った瞬間、心が捕らえられたような感覚に陥っていった。
 砂漠で出会ったときは、ほんの子供にしか思えなかった王子から、大いなる力がデューグの中に注がれていくのを感じたのだ。
 これまで感じたことのない自分を圧倒する見えない力。
 デューグはその心地よさに酔った。
「お聞かせください……それが、どのようなものなのかを……」
 テセウスは、公爵を魅了してしまったアウシュダールの神の子としての力の大きさを改めて感じながら、砂嵐の終息という吉報を得たことで、当前のようにデューグ公爵に告げた。
「では、私たちは国に帰らせていただきます」
 突然のテセウスの言葉に、デューグはもとより、アウシュダールも少し意外そうな表情をみせた。
「今……なんと?」
 デューグ公爵は、驚きのあまり目を大きく見開いてテセウスに向き直った。
「嵐が止んだのでしたら、役目は終わりました。われわれはこのまま帰路につかせていただきます」
「そ、その……先日までの私の落ち度により、殿下方に誠にご不自由をおかけしましたことは、どれほど詫びてもお詫びしきれるものではございません。し、しかし、わがリンセンテートスを救っていただいたノストールの方々をこのままここでお帰しすることはできません。ラシル王とてお許しにならないでしょう。どうか、わたくしをリンセンテートス城までの案内役として務めさせてさせて頂けないでしょうか。このまま殿下方をお帰ししたとあっては、私も城には戻れません」
 頬を紅潮させ、額に脂汗を浮かべながら、デューグは必死にテセウスに訴えかけた。
「私は、テセウス皇太子殿下、アウシュダール殿下を城にお招きし、ゆっくりと長旅の疲れを癒していただくように……とのラシル王の伝令を受けております。国を思われるテセウス皇太子殿下のお気持ちは重々お察します。が、しかし、アウシュダール殿下はわが国を救われるために、高熱に伏されたばかりのお体。どうか、リンセンテートス城で休んでいただきたく存じます」
 すがりつくような瞳と、徐々に青ざめひきつっていくデューグの様子を見て、テセウスはまぶたを閉じた。
 他国の人々はいまだ、ノストール王カルザキア・デ・ラウが何者かに殺害されたという事実を知らない。
 もちろんテセウスが指輪を受け取り、事実上ノストール王となったことも。
――一刻も早くノストールに帰らなくては。
 テセウスは、昨日まで、自分がなぜ父の死を意識の外においていたのか理解できなかった。そしてその自分自身を許せなかった。
 父王の葬儀のことも気にかかる。
 早馬に対し、国に一報もいれていなかった不手際も悔いても悔いきれない。
 弟王子たちの心配している顔が目に浮かんだ。
 一刻も早く戻らねばならないという焦りと、デューグの言葉どおり病み上がりのアウシュダールを連れてこのままエーツ山脈を越える危険を侵すようなことも避けたかった。
「それに、城にはわが王だけではなく、ナイアデス皇国のフェリエス皇帝もお待ちです」
「な……?!」
 テセウスはデューグが、何を言ったのか一瞬わからなかった。
「確かに……貴国リンセンテートスの砂嵐を止めるために、アウシュダールの転身人としての力を貸してほしいと、フェリエス王からの親書があり、こうして赴きました。が……ナイアデス皇帝は本国にいられるのでは……」
 テセウスの脳裏に、ラシル王の結婚式の日にテセウスとアウシュダールのもとを訪れたフェリエスの姿が蘇る。
 そのフェリエスにアウシュダールは何かを告げた。
――ビアン神の怒りにふれるようなことをすれば、その身に災いが起こる……と。
「まさか……」
 テセウスが思わずアウシュダールを見ると、まるでその気持ちを察したように、アウシュダールは嬉しそうに兄にほほ笑みかけた。
「兄上は覚えていて下さいましたね」
 テセウスは、自分に向けられたそのほほ笑みに、なぜかひどい違和感を覚えた。 
 アル神の息子シルク・トトゥ神の転身人として、時に人知を越えた力を示し、神秘的でさえあるアウシュダールの存在を誇りに思ってきた。
 だが、いま自分の目に映る弟の姿は、なにか微妙に異なって映った。
「ビアンの怒りをかったのは……ほかでもないナイアデスのフェリエス。だから、彼は国に帰れなかった。そして、ついにわたしに頭を垂れた」
 天幕の中にいたテセウス、デューグ、そして側近らの表情は、その言葉の意味を理解すると、一変して凍りついた。
「い、今、なんと……」
 さすがにデューグ公爵が、おびえを隠せない表情でアウシュダールに問いかける。
「ビアンは裏切り者を許さない。たとえ、それが他国の皇帝であってもね」
 感情のない、裁きを下すようなアウシュダールの言葉が静かに響いた。
「フェリエス皇帝はどのような怒りをかわれたのですか……?」
 恐る恐るデューグがたずねるが、それには答えずアウシュダールはにっこりと笑った。
「でも、安心していいよ。ビアンの怒りは静めたから。ナイアデス王も国に帰ることができる」
 大国ナイアデス皇国の皇帝を歯牙にもかけていないような、シルク・トトゥの転身人の言葉に、デューグ公爵は心酔した。
 それはデューグ公爵だけではなかった。
 その場に居合わせた将軍や兵士たちもまた、自国の王子の言葉がすべてを知り、決める、解決する力を持つことを当然のように受け取っていた。
 テセウスもそうだった。
 リンセンテートスへ行くときも、エーツ山脈を越えるときも、父の死を耳にしながら帰国を決断しなかったときも、、アウシュダールの言葉に耳を傾けることが当然であり、それがすべてだった。
 だが、いまは違っていた。
 テセウスは感情に流されることなく、冷静に現状をみつめることが可能だった。
 目の前の人々の酔ったような表情に、違和感を感じずにはいれないのだ。  
(アウシュダールに何かあったのか……それとも、わたし自身に……?)
 見るものすべての変化に戸惑いを隠せないまま、深いため息を吐き出す。
 特に、ナイアデス王がこのリンセンテートスに滞在していて、テセウスたちを待っているという言葉は重くのしかかった。
 ナイアデスは、このラーサイル大陸の東を支配する大国であり、ノストールは大陸のはずれにある小国に過ぎない。
 そのフェリエスがノストールに頭を下げるまでにどれほどの感情を抱いたのか、想像することが恐ろしくもあった。
 その証に、自分がリンセンテートスに留まっていることを示すような言葉は、その書面にまったく触れられていなかった。 
 ノストールに助けを求めたナイアデス帝国の皇帝がリンセンテートス城にいる。
 その事実は、テセウスの帰国への決意をためらわせるのに充分だった。
 唇を閉じたまま考え込むテセウスを見て、アウシュダールは立ち上がると、兄の隣に立ち、天幕の中の人々と向き合う。
「わたしたちは兄上の言葉に従う。リンセンテートス王でも、ナイアデス王でもない。ノストールは、わが母アル神の加護受けしラウ王家の言葉にのみ従う! シルク・トトゥは、ラウ王家を守護するために。ここに存在する!」
 アウシュダールの言葉に、天幕の人々は歓喜にどよめく。
 テセウスは大きく息きを吐き出すと、故国にいるアルクメーネ、クロト、そして母ラマイネ王妃の顔を思い浮かべながら、それをふりきるようにデューグに告げた。 
「わかりました。ラシル王とフェリエス皇帝にお会いします。ですが、それを終わればすぐに帰還させていただきます。よろしいですね」
 その言葉にデューグは満面の笑みをたたえた。
 そして、アウシュダールもまた、その言葉が告げられることを知っていたかのように満足げにうなずいていた。。

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