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第十一章《 邂  逅 》

 果てしなく続く砂漠の夜空に、輝く月が浮かんでいた。
 銀盤の光が照らさなければ、煌めく星々と地上の区別さえつかなくなりそうな闇の中、地上に小さな灯火がひとつ落ちていた。
 その火をいくつもの人影が取り囲み、夜の神のほほ笑みをえようとするかのように、笑いさざめき、陽気な踊りを披露する。
 褐色の肌と黒い髪をもつ砂漠の民ヤクンカの夜の宴だった。
 大家族と家畜を連れ、オアシスと湖を追いながら砂漠に生きる人々。
 彼らは、この日三年ぶりに雨に出会った。
 ほんの一瞬の通り雨であったが、それは大いなる幸運を意味した。
 雨は彼ら砂漠に生きる者にとって、首長の幸運、一族の幸運、そして食べ物に恵まれる幸運を予告する兆しだからだ。
「彼らは、私たちのことを〈ランレイ――幸運を運ぶ旅人――〉と呼んでいるのですよ」
 薪の炎に顔を照らされながら、エリルがルナにほほ笑みながら説明をする。
 ようやくエーツ山脈を越えて、リンセンテートスへと出たルナたちは、兵士たちの目をかいくぐりながら国境を越えた。
 そこには見たこともない一面の砂の大地が広がっていた。
 時に黄色く、また白く、黄金色へと砂は太陽の光を受けてその色を変化させ、風の動きにあわせて緩やかに、激しく踊るように、優雅に風紋を作っていく風景。
 初めで出会う穏やかで一面に広がる果てしのない砂漠の美しさに、ルナはしばらくぽかんと口を開けたまま見つめていた。
 しかし、やがて風の向きが変わると同時に、ルナたちは手荒い砂漠の洗礼を受けた。
 強風に舞い上がっ高と思うと、まるで吹雪のように襲いかかって来たのだ。
 砂は、目や口や鼻、髪の毛や服の中に飛び込み、全身を砂色に染め上げた。
 目に入った砂の突き刺さるような痛みに、手でこすろうとするるルナたちをエリルの鋭い声が止めた。
「こすってはいけません。涙を流すのです。こすり続ければ失明しますよ」と。
 死の谷から奇跡的に脱出することができたルナたちは、ミゼア砂漠を越えるというエリルと、道を共にすることになった。
 「わたしは砂漠を越えた経験もあるので、お邪魔にならないと思いますよ。それにアンナの占者は存在自体が、魔よけですからね」
 そう言ってにこりとほほ笑まれると、ルナもネイも拒むわけにはいかなかった 。
 自分たちを死の谷から助け出してくれた恩人であったし、特にルナはアンナの一族に対して、特別な存在であるだけになおさらだった。
 たとえエリルが、ルナの良く知っているアンナの一族たちとまったく異なる容姿をしていたとしても。
 そして、砂漠の旅の第一歩目から、言葉どおりエリルは貴重な存在となった。
 灼熱の砂漠を越えるすべを何一つ知らないルナたちは、結局エリルに案内されながら砂漠を進むしかなかったからだ。
 リンセンテートスの国境沿いの村で商人や兵士たちから占術を行う代価として、トゥラという大きな砂漠犬と、フードのついた薄い布地の長衣を調達してきた。
「遠慮は無用です。あなたたちといることが幸運を呼ぶと、占術で出ているのですから」
 エリルは、ルナが困ったように硬い表情を見せるたびに、そうほほ笑んで煙に巻いてしまった。
 だが、当のエリルは〈先読み〉の占術などできるはずもなかった。
 村で行ったのは、〈顔見〉や〈言葉読み〉という占術とはいえない。それは、人を読む力をつけるために学ぶものであり、初歩中の初歩であり、こつを掴むとエリルでもある程度は言い当てることが可能なものだった。
 〈先読み〉はアンナたちにとっても習得するまでに長い時間が必要され、またすべてのアンナが習得できるというものではなかった。また、〈先読み〉にも種類があり、天の声を聞く〈先読み〉は長や上級アンナに限られてきた。
 むろん、エリルの手が届くようなものではなかった。
(あの闇の中にいた者は、また必ずこの子を襲ってくる)
 ただ、エリルはルナを見ながらそう確信することができた。
(あのヴァルツという影が遠ざかるときのあの感覚は、これまでにはなかった。言葉が、思わずあの影に投げつけた口にしたこともない不思議な言葉が、奴にぶつかり、響きながらぼくの中に返ってきた……。あの感覚……。『エボルの指輪』はあの影に関係があるはずだ。ならば、この少年から離れるわけにはいかない……)
 そう決意をしたエリルの秘めた思いなど、ルナが気づくはずもなかった。
 リンセンテートスの都を目指して旅を続ける途中、ルナたちは砂漠の民ヤクンカと出会った。
 突然の雨に降られて、逃げるように近くに見えたテントの村へ駆け込んだのだ。
 恵みの雨を連れて来た者〈ランレイ――幸運を運ぶ旅人――〉として、ルナたちは想像もしていなかった歓待を受けた。
 彼らは雨水で得た貴重な食料や水を惜しむことなく、ルナたちに差し出した。
 ヤクンカ族の言葉がわからないルナは、感謝を意味するカタコトの言葉をエリルから教えてもらい、それを繰り返すだけだった。
 その夜は砂漠の神ハブンカと雨の神ミーナンディ、そして旅人の守り神ビアン神に感謝を捧げる踊りが焚き火を囲んで盛大に行なわれた。
「ジーンは、ネイのように踊らないの?」
 ヤクンカ族の人々にまざって陽気に踊るネイを見ながらそうエリルはほほ笑みかけるが、ルナが笑顔を返すことはなかった。
 ただ、かたわらの少年に、絶えずあたたかな眼差しだけを注いでいる。
 エリルはルナの横に座っている無表情な少年の顔を見ながら、自分が見た光景をいまだに信じられないでいた。
 あれを奇跡と呼ばないで、どう説明したらよいのだろうかと思う。
 顔を照らす炎の先端を追っていくと、月が煌々と輝いていた。
(あの夜も、目映いほどの月の光が注がれていた……)
 エリルは、ルナたちと出会った日のあの暗闇の中での出会いを改めて振り返り思い出していた。

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