第十章《 神 の 怒 り 》
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一人で行くという、言葉をルナの口から改めて聞いたロッシュとネイは、引き留めはしなかった。
そのかわりに、エーツ山脈への外門までは、絶対に見送ると言い張ったのだ。
ネイとロッシュと再会してから三日後、ルナはシャンバリア村を越え、いまエーツ山脈へと行くための外門近くの林の中に潜んでいた。
そして、 「その時」が来るのを息を殺して待っていた。
ルナのそばではネイが馬をなだめながら、付近の様子を鋭い瞳でうかがっている。
暗かった空が、陽が昇りはじめると徐々に青い光であふれていく。
雲一つない青い空が、今日という日のはじまりをつげる。
「もう少しだ……」
ネイが自らを励ますようにささやいた。
陽が完全に昇りきったそのときが、門を守る兵士たちの交替の時だった。
待ち切れずに、ルナが腰を浮かせた、そのとき。
「いたぞ! 銀色の髪の子供だ!! 陛下を襲った子供がいたぞ!」
耳に飛び込んできた叫び声に、ルナとネイが顔を見合わせる。
「捕らえろ! 絶対に逃がすなー!」
外門を警護する兵士たちの様子がたちまち殺気立った。
次々と怒号が上がり、馬のいななきと、蹄の音が辺りに響き始める。
「ジーン……」
硬い表情のネイが、ルナの肩に手をおきうなずく。
「見つかった……」
「銀色の髪の子どもがいたぞ――! 陛下を襲ったふとどき者だ!」
門を警護する兵士たちは、声の導く方へ走りだした。
ルナとネイの隠れる森とは、反対の方角へ。
「うまい具合に、見つかってくれたね」
ネイが瞳を輝かせて、馬の背にルナを乗せる。
それはロッシュが仕掛けたオトリ作戦だった 。
ロッシュは外門の警護兵たちすべてを、門のそばから引き離すため、ルナと同じ体格の子どもに金を与えて、銀に染めた布を頭にかぶらせ、門の兵士たちからやや離れた場所を見つかるように走らせたのだ。
あとは『銀色の髪の子どもがいる』と叫び、兵士たちの注意を子どもに集めて、追わせればよかった。兵士たちが、持ち場を離れるのを確認してから、ロッシュはルナ役の子どもを逃がせばいい手筈になっていた。
「ロッシュが時間を稼いでくれている間に、行こう」
ネイは、ルナの後ろに飛び乗ると馬の横腹をかかとで強く蹴った。
「門のところまでで、いい。あとは一人で行く」
ルナが念を押すように言う。
「わかってるって」
二人を乗せた馬は、ものすごい勢いで森の中から飛び出した。
一路、無人となった外門めがけて突き進む。
ノストールを出るための門がルナの目に近づいてきた。
リンセンテートスとノストールの間に横たわるエーツ山脈、自然の国境。
その山を越えるための、いまは故郷を出るための扉。
父から預かった即位の証しである『アルディナの指輪』を兄に渡すために、ルナはこの扉をくぐり抜けなければいけなかった。
「ジーン、門をあけるよ」
ネイが馬から飛び降り、門の大きなカンヌキを外していく。
「ジーン!」
ネイが呼びかける。
だがルナは後ろ髪をひかれるように、ここからでは見ることさえ出来ないアルティナ城を見ようとするようにその視線をさまよわせる。
――母上……。
ルナの耳には、ネイの声も、門の異変に気づいて引き返して来ようとする兵士たちの叫び声も、なにも聞こえていなかった。
――母上。ルナはテセウス兄上と一緒に、必ず母上のところに帰って来ます。帰ったら、もう母上のそばから離れません……。
城での、つかの間の母との再会。
父との死別。
ルナは、身につけている肩から下げた袋の紐を堅く握りしめた。
――きっとテセウス兄上だって、ルナのことを覚えていてくださる。忘れるなんてわけない。
キュッと口を結ぶと、ルナは前方を向いた。
門が開かれていた。
馬一頭が通れるほどのわずかな隙間がルナに何かを語りかけるように、その口を開いていた。
――行ってきます。
ルナが力を込めて馬の手綱を引こうとした瞬間、背後から誰かが馬に飛び乗った。
ルナがギョッとして振り返る。
「行くよ!」
ネイだった。
ネイが、ルナの手から手綱を奪い取ると、片方の手で、きつい鞭を馬の尻に打ち込んだ。
「だめだ!」
ルナは、叫んだ。
ネイがこうした行動をとるとは、ルナは考えてもいなかった。
驚きでどうしたらよいのかわからないまま、ルナは同じ言葉を繰り返すしかなかった。
「だめだ! 帰ってよ!」
肩越しにネイを振り返っては、そう叫ぶ。
「ネイ、一緒に来たらだめだ! 戻って!」
振り返り叫んだルナの目に、門破りをした自分たちに気づいて追って来る兵士たちの姿が見えた。
「ネイ!」
「あんたさ、いまここであたしが引きかえしたら、どうなると思う? 確実にあんたを脱走させた共犯で捕まっちまうんだよ。それでも、帰れって?」
そう言われて、ルナは言葉を失った。
ネイのいう言葉は正しかった。
国境の門を破る。王を襲った人間を逃がす。
それに協力した人間がどうなるか、ルナはこの瞬間まで考えたことがなかった。
ただ、テセウスに会わなくては、という一心で、門を目指してここまで来たのだ。
「でも……」
「ほら、喋ると舌かむ」
ネイは珍しく感情を見せない声で、だが手綱さばきだけは海賊暮らしの島の中で身につけた荒々しさで、茂みの中に入り込み、小川や崖を次々と飛び越え、追っ手をぐんぐんと引き離していく。
その間、ルナは馬の首に必死にしがみつきながら、ネイの言葉を繰り返し繰り返し考えていた。
そして、自分のためにオトリになってくれた子どもとロッシュたちが、兵士たちに追われて行く姿を思い出す。
――捕まっていたらどうしよう。ルナのせいで死んじゃったら……殺されてたら……。
心の不安をルナは声にした。
「ロッシュたちは、捕まったら殺されるの?」
ネイに何度もそう問いかけた。
だが、彼女はルナの問いに答えることもなく、ただひたすら前方だけを見つめて馬を走らせ続ける。
雪を頂くエーツ山脈のふもとの斜面はゆるやかで、外門付近はまだしばらくは馬で走り続けられそうだった。
青々とした木々も多く茂り、その険しさは感じることさえできない。
どれほどの時間が過ぎたのか、馬の走りが快走からゆったりとして歩調にかわったのは、陽がすっかり上りきり、空が眩しいほど明るくなったころだった。
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