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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

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 鳥のさえずる声と、まぶしい朝の日ざし、そして火のはぜる音がルナの目を覚まさせた。
「イルダーグ……」
 ルナは目覚めた場所が森の中ではないことに気づいてハッとして、体を起こすとあわてて周囲を見回す。
 目の前には意識を失う前とまったく違う光景があった。
 ルナは小屋の中にいた。
 目の前には出来合いの小さな囲炉裏があり、残り火が燃えていた。
 この火のそばで、一晩中眠っていたらといことだけがわかる。
「目がさめたか?」
 ぶっきらぼうな声が背中から投げかけられ、ルナは警戒する間もなく声の方を振り返った。
 そこには壁に寄りかかりったまま腕を組んで立っている年上の姿が少年があった。
「あいにくここには着替えも、体を暖める布きれひとつない。でも雨の中、地面でずぶぬれのまま眠っちまって死んじまうよりはましだろう」
 ふてぶてしい表情をした少年は、ルナの顔をのぞき込むと少し満足そうにクルリと背を向けた。
 長い琥珀色の髪を束ねた後ろ姿は、扉を開けると小屋の外に出て行ってしまう。
「食いもんぐらいわけてやるよ。まってな」
 そう言葉を残して。
 少しすると少年は、木の実や肉のくんせいにしたものを両手一杯にもち抱えて戻って来た。
「おれはラクスだ。この森で一人で暮らしてる」
 ルナの前に食料を広げると、遠慮せずに食べるようにすすめる。
 だが、ルナは父やイルダーグのことが頭から離れず、食べる気持ちになれなかった。
 そんな沈み込むルナをじっと見ていたラクスは、静かにルナにある言葉を投げかけた。
「おまえ……追われてるだろう」
 反射的にルナは向かいあったラクスから、飛びのいていた。
「ぼくじゃない」
「わかってるよ」
「え……?」
 意外な答えをするラクスは、さらに驚くべき言葉を放った。
「おまえ……ルナ王子か……?」
「どうして……?」
 ルナは頭が混乱しはじめるのが止められなかった。 
「おれは両親がいなくてさ。物心ついたときには城下で物取りをして暮らしていたんだ」
 動揺するルナを知ってか知らずか、ラクスは大きく赤いブッフェの実をガブリと噛むと、むしゃむしゃと食べはじめた。
「ところがだ、アウシュダール王子がシルク・トトゥ神の転身人として名乗りを上げたときから、おれらみたいな盗っ人のガキは城下にはおけないと追い出されちまった」
 今度はもう片方の手に、干した肉をもってその口で肉を食いちぎると、残った切れ端をルナに投げつける。
 それを受け取ったルナは、いきなり身のうえ話をはじめたラクスに、少々毒気を抜かれてしまい、しかたなくその場に座り込んだ。
「ちょうど、お前ぐらいの時だよ」
 切れ長の黒い瞳が、ニヤリと笑う。
「けど……そのころから、国は身元の明らかでないものは村にさえおいてくれなくなった。おかげで、おれたち孤児は飢えて死ぬか、人様から食い物や金をを奪ってでも生き延びるかのどちらかだ。おれはもちろん盗っ人になってやったけどな」
 ラクスはガブリとブッフェの実をほお張る。
「どんなに警備の目が厳しくたって城下は商人がたくさん集まるんだ。来るなといわれても、行くにきまってるだろう」
 口の中を食べ物でいっぱいにしながら、ラクスは話続け、ルナはぽかんとした表情で、その話を聞いていた。
「そのときに頭の少し変なばあさんに出会ったんだ」
 ラクスが、ふと言葉をとぎらせた。
「ばあさん、自分は城勤めをしていた高い身分だ。あの城にいるのは、本当の王子じゃないって、通る人を見つけては誰かれかまわずにつかまえては話し、泣きはじめるんだ。最初はおれたちも、変なばあさんが現れたもんだと相手にしなかった。でも……」
 その目がどこか遠くを見つめた。
「おれが盗みを見つかって、こてんぱんにやられてぼろ雑巾のように町外れに捨てられているのを拾ってくれたんだ。自分の家につれて帰って、養ってくれた。まぁ、おれも今よりずっと小さかったから、少しばかり嬉しかったかな……」
 ルナは、どう答えていいかわからずに、もらった干し肉を口にくわえる。
「でも一緒に暮らしてわかったのは、ばーさんは頭がおかしいわけでもない。ああしろこうしろ、あいさつはどうだ、作法はどうだと口はガミガミうるさくてかなわなかったけど、狂ってなんかいなかった。でも、毎日、毎日、日が暮れるまで城や城下へ出向いては、『王子を探してくれ』と泣きながら訴えていたよ」
 ルナは、よく似た女性を思い出して懐かしい思いにとらわれかかったが、その瞳がしだいに真剣味をおびたものに変わっていく。
「ある日さ、いつものように出て行ったきり、帰って来なかった」
 ポツンとラクスがつぶやいた。
「セレナ……っていう名前のばーさんだった」
 ルナの顔が凍りつく。
「セレは……死んだの?」
 ルナの問いに、ラクスの顔が曇る。
「帰って来なかった……あの日は、町でアウシュダール王子の誕生祝いが盛大に行われてたけど、ばあさんは、消えた王子の誕生日だっから、せめて二人で祝おうって、今日はおいしいものを作ってあげるからって、そう言って家を出て行ったんだ。でも……帰ってこなかった……」
 ラクスはそう言うと、天井を見上げた。
「言っとくけど、おれは泣いてなんかいないからな」
 鼻声まじりの声とは裏腹に、片手でこぼれそうになる涙をあわててぬぐう。 
「昨日の夜、兵士がこの小屋までやってきて銀色の髪の子どもを見たら、城に突き出せって、賞金がでるって話を聞いたとき、おれはばーさんの話を思い出した。ばあさんの話はでたらめじゃなかった。銀色の髪と緑色の瞳をしたルナという王子の話は本当だったんだって、わかって嬉しかった。」
 その目から涙が一筋零れ落ちる。
「ばーさんが何度も話して聞かせてくれた王子なら、父親を殺すはずがないんだ。だから、おれは夜の間、ずっとお前を捜し回っていた。ばあさんが見守ってくれているなら、望んでいるなら、もしかして見つけられるかもしれないと思って」
 ラクスは赤くなった目で、ルナをにらんだ。
「いいか。おれは、ばーさんとの約束があったから、お前を見てみたかったんだ。会ってみたかったんだ。べつに助けるつもりなんか、これっぽっちもないからな」
「…………」
 ルナは無言のままだった。
 自分を忘れないでいてくれた人が、妖獣が次々と消えていってしまう事実に、ルナは自分の存在自体を否定されているように感じはじめていた。 
「もしどこかで、銀色の髪と翠の瞳をもつルナという子どもに出会ったら、『ディアードを探して力をかりるように伝えてほしい』と、俺にいつも言ってた」 
――ディアードを探して、国に戻るようにと伝えてほしい。
 父の死ぬ間際の言葉が耳朶に蘇る。
(ディアード……)
 ラクスが語ったセレナの話に衝撃を受け沈みかけていたルナの心に、いま再び耳にしたディアードの名が、何かを湧き上がらせようとしていた。
「だからよ」
 ラクスは泣き顔をみられたことに照れるように、立ち上がるとまたも、食べかけのブッフェの実をルナに放った。
「おれはばーさんとの約束を守ったからな。お前も守れ。それだけだ」
 食事のあと、ルナは自分が倒れていた場所に連れて行って欲しいと頼み、二人は森の中へ戻った。
 ルナの気がかりはイルダーグのことだった。
 だが、そこに大人の三倍はあるはずの巨大な妖獣の屍はどこにも見あたらない。
「おれがお前をみつけたとき、そんなものはいなかったぞ」
 ラクスが下唇を突き出して、疑うようなルナの翠色の瞳をにらみかえす。
「ばーさんに誓って、獣なんていなかった」
 ルナは視線を草の根元から平らに倒れている状態の草むらに移し、じっと見つめた。
 その目が大きな草の葉のかげに隠されるように転がっているあるものを見つけた。
「これは……」
 拾い上げたそれは、ルナの手のひらよりも大きな猛獣の牙だった。
「でけぇ……」
 ラクスも目を丸くする。
「イルダーグの牙……」
 自分の牙をもって行けとイルダーグは死に際に言い残したのだ。
 ルナは、イルダーグの牙と、父から預かった指輪を身につけていた小さな布袋の中にそっとしまいこんだ。
「いろいろ、ありがとう」
 ルナはラクスに向かって頭を下げた。
「礼はいいから、約束は守れよ」
 最初に見たときの、ふてぶてしい表情がルナを見下ろしていた。
「おれが出来るのはここまでだ。まだ休んでいくならそれでもいいぞ」
 ルナは真一文字に口を結んで、首を横に振った。
「ここで、いい」
 ルナは森の外れでラクスと別れた。
 次に会うことがあるのかさえ、想像もつかなかった。
 けれど、ルナは一人であの山を越えねばならなかった。
 高くそびえるエーツ山脈を。
 アウシュダールの目をやり過ごしてでも、テセウスに会わなくてはならなかった。
 母と亡き父、世話係だった侍女長のセレナのためにも。
 そしてもう一度、自分の居場所を作るために。
 いまは前に進むしかない、それしかないのだと、心に言い聞かせていた。 

 第九章《禁忌の指輪》(終)

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