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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

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 同じ頃、豪雨の中を茫然とした表情で歩き続ける子供の姿があった。
 暗い夜道、体は雨で全身濡れていたが、その瞳はまるで魂の宿らぬ人形のようにうつろだった。
――約束ハ、果タシタ。次ハ、我ガ望ミヲ叶エヨ。
 少年の耳に、何者かの声が呼びかける。
――コノ国ノ王ハ殺シタ。次ハ我ニ…ソノ体ヲ与エヨ……。
 少年はただ声に操られるように、コクリとうなずいて首から下げている布製の細い紐に触れた。
 服の中から手繰り寄せたその紐の先には、おおよそ少年には似つかわしくない高価な指輪がぶら下がっていた。
 金の台座に埋め込まれた黒曜石の指輪が。
(全部……終わったんだ……)
 指輪をそっと握り、石の部分をただ見つめるその瞳に、雨が降っていなければ、流れ出ている大粒の涙を見ることができたかもしれない。
(もう……生きてたってしかたないんだ……)
 少年は、ずっと四番目の王子アウシュダールが国を不在にするのを待ち続けていた。
 二年前にも一度その機会はあった。だが、そのとき少年はまだヴァルツと出会ってはいなかった。
 アウシュダールたちがリンセンテートスでの結婚式から帰って来た頃、エーツ山脈の比較的身を隠しやすい場所で過ごしていた少年の身に何かが呼びかけた。
――オ前ノ願イヲ…果タシテヤロウ……。
――我ヲ……見ツケヨ……。 
 少年は声にからめとられてしまったように、大人の足でさえ登ることのできないといわれるエーツ山脈を登りはじめた。
 断崖を素手で登り、エーツ山脈の険しい山の尾根を何日も何日も気の遠くなるほど歩き続け、越え、そこにたどりついたのはどれほどたったときだったのか、少年は、ぼんやりとしか覚えていない。
 覚えているのは、ノストールの王を殺すという復讐心だけ。
 声に導かれてたどり着いた場所がどこだったのかもおぼろげだった。
 あの日、疲れ切った足をとられて、急斜面を転がり落ち、そのまま深く急な渓谷に転落した少年はなぜかかすり傷ひとつおっていなかった。
 仰向けになった目には、切り取ったように細長い青い空。
 光さえ届かないような渓谷の底で、少年はあるものを見つけた。
――ヨク……来タ……。オ前ノ望ミヲ叶エテヤロウ……我トトモニ行クノダ。我ガ名ハ、ヴァルツ。
 そう思念を発したのは、少年が手にしている指輪だった。
 少年の体は雨で冷えきっていた。
 だが、神経がマヒしてしまっているのか寒くはなかった。
 逆に、現実ではない世界を歩いているような浮遊感が広がる。
「あげるよ……ぼくの体をつかっていいよ……ヴァルツ……」
(もう……生きている目的も……なくなってしまったから……)
 心はとうの昔に空っぽになっていた。
――ソレニシテモ……アノ子ドモ……アノ憎シミト、怒リニ満チタ瞬間ノ……闇ノ心ハ面白イ……
 ヴァルツの囁く言葉に、少年の脳裏に城で出会った緑色の瞳をした子どもの顔がよみがえる。
 服装から見ても、貴族の子息や、騎士となるために貴族の家に行儀習いに出され騎士の身の回りの給仕をする小姓にはみえなかった。
 城にいるにはあまりにも不自然な格好をした少年。
 しかも、ヴァルツがつくったはずの結界を破って目の前に現れたのだ。
 どうして結界が効かなかったのか妙だった。
 あの城には最初、シルク・トトゥ神の転身人といわれるアウシュダール王子が不在の間に城を守るために張り巡らした結界が存在していた。その結界を破って自分たちは城に入り込んだ。
 そして、だれにも出会うことのない為の強力な結界をヴァルツは作り上げたと断言した。
 なのにあの少年は目の前に現れた。
 まるで、結界が破られたこと知っていたように城に入り込み、王の部屋へ向かって来たのだ。
 なぜ、ここに……という驚きは、意志の強そうな翠の瞳がまっすぐに自分を見つめたとき、少年に別の感情を呼び起こした。
 少年は、あの時はじめて、自分がなにを起こしたのかを知ったのだ。
 自分の手で、ノストールの王を殺した事実を。
 後悔はしていなかった。
 ずっと、憎しみ続けて来た殺すべき対象。
 カルザキア王を殺すことだけを生き続ける理由にして来たのだから。
 だが、あの翠色の瞳が、すべてをあきらめ乾き切ったはずの自分の心に、鋭く突き刺さったまま消えない。
 自分の体を望んで来た妖獣はその暗く沈む心に面白そうに囁きかけた。
――アノ……雷獣ノ血ノ臭イヲ追ッテミヨウカ。と。
 あの子供も殺してしまおう……と。
 だが、目的は果たせなかった。
 あの強い光の瞳をもつ少年が、自分の落としていった短剣で闇の妖獣を突き刺したとき。
 それを別の場所から見ていた自分の目から、突然涙が堰を切ったように流れ出たのだ。
 (もう……戻れない……どこにも、ぼくの居場所なんてない……ぼくは生きていたくない……)
 雨に打ちひしがれたたまま、ただ歩き続ける少年の心に、ヴァルツと呼ばれた妖獣が嬉しそうに囁きかける。
――デハ行コウ……エーツ山脈ヲ越エテ……我ヲ追放セシ国へ……報イヲ与エルタメニモ……。ソシテ……オマエヲ闇に導ク為ニ……。
 少年は再びうなずいた。その瞳には空虚さだけが宿る。
 少年の名はサトニ。
 三年前、大虐殺が行われたシャンバリア村で、唯一生き残びた子供の、いまは忘れられし名前だった。

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