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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

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 下弦の月が夜空に浮かぶ空の下、ノストール王国アルティナ城の庭園から、周囲を警戒しながら城内に忍び込む小さな影があった。
 影は、城内の通路のところどころに灯されている小さなロウソクの灯火を頼りに歩き続け、やがてある場所にたどりついた。
 それは、王の寝室へと続く階段。
 影は、一歩、二歩と階段を上がって行く。
 迷うことのない足どりで。

『王よ――』
 浅い眠りについていたノストール国王カルザキア・デ・ラウは、自らの守護妖獣・雷獣イルダーグの警戒を呼びかける声に、ベッドの中で目をさました。
『城に忍び込む者あり。御身の姿を求め近づいている……』
「何者だ?」
 カルザキア王は、すぐに起き上がりガウンを羽織ると、ベッドの横に備えつけてある長剣を鞘ごと手にした。
『………』
「どうした?」
 まるで、戸惑っているようなイルダーグの気配に王は静かに問いかけた。
『奇妙な力……空間のゆがみ……わが視覚が役に立ちません。この力は……まさか……』
 王は守護妖獣の今までに出会ったこともない反応の仕方に、かつてないほどの緊迫した状況を察知し、厳しい表情をたたえた。
 王の身を守るべき者――その守護妖獣が警戒を発するとなれば、それは主であり、王である自分の身に危険が迫っているということを意味した。
「何者だ?」
『……子ども……の影……』
 イルダーグは見えないものを見ようとしているのか、意識を集中させながらその様子を王に語り続けた。
『どうか、ご警戒を……。警護の兵たちは……その者の……見えない力で操られているように、持ち場を離れております……』
 イルダーグの言葉どおり、各通路や階段を警護する兵士たちは無意識のうちに持ち場を離れ、侵入者から遠ざかり、やがて意識を失いその場に眠りこんでしまっていた。
『それに……妖獣の臭い……』
「子ども……妖獣……」
 カルザキア王は、イルダーグの言葉を吟味するようにゆっくりとつぶやき、手にした剣を握りしめた。
「まさか……。イルダーグ……おまえはその者のことを知っているのか?」
『わかりません……』
 王の問いかけに自信なさげにそう言ったまま、守護妖獣は沈黙した。
 重苦しい空気が部屋の中を満たす。
「アウシュダールが、引き返して来たのか?」
『いいえ』
 ベッドの下から、その姿を現したのは金の毛をもつ小さな猫だった。
 その猫はカルザキア王と寝室の扉の間にその身を置くと、やがて王の三倍はあるほどの巨大な猛獣の姿に身を変えていった。
 扉から入ってくるだろう侵入者から王を守ろうとするかのように、黄金の守護妖獣は、銀色に輝く瞳で扉を見据える。
「王妃と……クロトは無事か?」
 主の言葉に、イルダーグは残念そうに首を横に振った。
『……深い闇が覆い……様子がまったくわかりません。……けれど、この力は王のみを目指している様子』
 イルダーグは、城の中にいるはずのクロトの守護妖獣ダイキが、いまもって王の部屋に姿を現さないことに迷いを感じていた。
 守護妖獣は、互いに主である主人を守るために存在しており、通常は守護妖獣同士が自らの意志で言葉を交わしたりすることは、ないとされている。
 カルザキア王の守護妖獣イルダーグが、クロトの守護妖獣ダイキに呼びかけたとしても、互いの波長が微妙に異なることから思念での会話ができないのだ。
 しかし、王の身に危険が迫ったときは、他の守護妖獣は継承の指輪を守るために王の下に集結する。
 守護妖獣たちは常に、王の安全に常に注意を向けていた。
 だが、他の守護妖獣はだれもあらわれない。
 ならば、この力は王に危害を与えるものではないのか……?
 イルダーグは迷った。
(まさか……)
 一方、王は頭をよぎる考えを打ち消すことができないでいた。
『王よ……ご警戒を。この力には、ただならぬもの……わが力と互角のものを感じます。王の姿を消すための結界を張ります』
 イルダーグの警告に、王はゆっくりと口を開き、命令を告げた。
「その者がこの部屋に入るのを妨げてはならん。何者かをこの目で確かめるまで、手を出してはならん」
『……王よ。それは」
「手出しはならん!」
 守護妖獣の抗議を含めた、低いうなり声が響き渡ったが、カルザキア王は譲らない。
「この目で、確かめるまで待つのだ」
 緊迫した空気の中、カルザキア王はぐっと目を見開き、扉を見つめた。
 かたわらのイルダーグは目を閉じ、侵入者の奇妙な力から王を守ろうと、全神経を集中させていた。
 やがて――。
 扉がゆっくりと開き、子どものシルエットが浮かび上がった。
 同時に、闇に溶け込んだままの圧倒的な力が、その子どもを守るように部屋に入り込むのがイルダーグには見えた。
 しかし、悪意が存在するのか否か、読み取ることができない。
 わかるのは、その力の波動は間違いなく、守護妖獣のものであり、自分と同種の者ではないということだけであった。
 カルザキア王はベッドのそばで揺れるロウソクの小さな炎だけを頼りに、薄暗い部屋の中で子どもの姿を確かめようと、自らその子どもに歩み寄ろうとする。
『王よ! 近づいてはなりません!』
 イルダーグは、カルザキア王を制止しようとした。
(手を出すな!)
 王の心の中で下された命令は絶対であり、相手に悪意が感じられない以上、イルダーグは力を放つことができない。
 そのとき、子どもの影がカルザキア王に向かって走りだした。
 イルダーグは動けなかった。
 そして、カルザキア王も。

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