第七章〈 王 女 の 行 方〉
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テセウスとアウシュダール、そしてハリア国のミレーゼ一行が、リンセンテートスを出国した翌日の昼過ぎになって、都は前触れもなく突然襲った砂嵐に包まれ、町は砂漠色一色に染まり上がった。
これまでも、強風が砂漠の砂を運んでくることはしばしばあった。
だが、緑茂る首都セイルにまで砂嵐が足を延ばすことは、考えられないことだったのだ。
風はうなり声を上げながら吹きすさび、砂塵は風に舞い、建物や外を歩く人間、動物たちに容赦なく降り注ぎ襲いかかった。
かつてない出来事に、人々は恐れおののいた。
目を開けて歩くことさえできない砂の嵐は、人々から陽の光を奪い、昼間であっても町は薄暗く、街路は川のように黄色い砂が流れていく。
その街中の建物のひとつ、セイルーズ大聖堂では、年老いた司祭が日課としての祈りを行うべく、聖堂正面のビアン神に祈りを捧げていた。
いつもと同じ単調な祈り、いつもと同じ日々、いつもと同じ礼拝の面々。
彼は町が砂嵐に包まれることがあろうとも、自分の日常だけはどのようなことがあっても変わることなく、続いていくであろうことを信じていた。
だが――。
祈りの半ばで、壁面の中央からその顔のみを突き出すように見下ろしているビアン神像を見上げた時、司祭の目が大きく見開かれたまま動きをとめた。
ビアン神がうなずいたのだ。
「!!」
司祭は奇跡の瞬間を目の当たりにして、ただ驚きと感動の中に身を置いていた。
だが次の瞬間、その目に映ったのは、真下にいる自分めがけて崩れ落ちてくるビアン神の顔のない巨大な彫像だった。
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「陛下、この砂嵐では出立は無理です」
リンセンテートス城の一室で、オルローはフェリエスを説得し続けていた。
砂嵐が起きてから既に十日が過ぎた。
けれど、天候が回復する兆しはまったく見られないのだ。
「この砂嵐で、もう十日以上も足止めをされているんだぞ。いつまでも手をこまねいているわけにはいかないだろう。いつ止むともわからないのに」
ナイアデスの皇帝は表面では冷静に答えているが、実は不機嫌が頂点に達しているのを、幼いころからともに成長を重ねて来たオルローは知っていた。
出国はもちろん、城の外へさえも一歩も出ることができないのだ。外出すれば最後、全身は砂に打ちつけられ、強風にあおられ、息さえできなくなる。
(強行突破を試みるならば、シーラ王女をあの場所まで連れて行くのは無理か?)
建物の壁を砂が激しく打ちつける音を聞きながら、フェリエスは帰国と同時にシーラをリンセンテートスのある場所へ移そうとしていた計画を、断念せざるを得ない状況になったことを感じていた。
――予言をあげるよ。
耳元に、突然アウシュダールの声が響いた。
フェリエスは驚いて椅子から立ち上がると、部屋の中を見渡した。
だが、部屋には自分とオルローがいるだけで、ほかにはだれもいない。
――あなたが神にそむく行為をひとつでも行ったなら、国には簡単に戻れなくなる。ぼくの助けなくしてはね。
それは、昨日の夜告げられた言葉ではなかったか。
「陛下?」
突然立ち上がったまま、動かなくなった主人にオルローは内心驚きながら声をかけた。
「……するものか……」
「は?」
「わたしが神に背くことなどするものか……。オルロー! 国に帰るぞ」
「しかし、陛下!!」
「砂漠に詳しい者を捜し出し、案内役をさせろ。その前にシーラ王女のホールデイン宮へ立ち寄る」
「ですが……!」
しかし、フェリエスのこれまでとはどこか違った様子を見てとったオルローは、主を制止する言葉を告げることができないまま、唇をかみしめていた。
※ |
フェリエス一行がホールデイン宮へついたのは、リンセンテートス城から出て半刻をすぎたころだった。
通常であれば、目と鼻の先であるホールデイン宮まで、これほどの労苦を要する必要はないのだ。
だが、城を出るときの予測は見事に裏切られた。
砂嵐に怖じけづいた馬は廏舎から一歩も出ようとせず、フェリエスたちはあきらめて徒歩で出向くことにしたのだ。
しかし、荒れ狂う砂嵐は尋常ではなく、目には砂が入り目を痛めて咳き込んだまま立ち尽くす兵が次々とでた。
それでも、何度となく民家へ避難を繰り返しては、やっとの思いで到着したのだ。
全身砂まみれのフェリエスたちが、玄関内のロビーに倒れ込むようにホールデイン宮へたどり着いたのは半刻も過ぎたころだった。
フェリエス到着の知らせを受けて、シーラは一緒にいたアインとともに、一行を迎えるべく部屋を出た。
だが、二階からホールに降りる大階段を降りようとしたシーラの足は、頭から足先まで黄色い砂一色となり、侍女や兵士たちの手をかりて、全身の砂をたたきおとしているフェリエスの姿を目にした瞬間、すくんでしまい動けなくなっていた。
「シーラ様?」
アインが不思議そうに、シーラの横顔を見つめた。
「どうかされたのですか?」
シーラはただ、黙ったまま首を横に振った。
自分でも理由がわからないのだ。
「シーラ様……」
アインは困ったように、シーラとフェリエスの姿を交互に見つめていた。
そのアイン視線が、階段の上の二人を見つけて顔を向けたフェリエスの黄金色の瞳と交差した。
「?!」
フェリエスの表情が凍りついた。
「ミュラ……!」
「え?」
その言葉にオルローがフェリエスの視線の先へ目を向ける。
そこには、階段のてすりにつかまったまま立ち尽くしているシーラとそして……。
「ミュラ殿?」
オルローは自分の目をうたぐった。
五年前にオリシエ王と、フェリエスを守るために亡くなったフェリエスの守護妖精ミュラと生き写しの少女の姿がそこにあったのだ。
フェリエスとともにいた他の兵士たちもざわめいた。
側近や親衛隊でミュラを知らない者は一人としていなかったからだ。
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