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第七章〈 王 女 の 行 方〉

 日が沈みはじめた夕刻、セイルーズ大聖堂の鐘の音が鳴り響き、すでに堂内に参集していた賓客たちは、定刻よりかなり遅れている式の開始にざわめいていた。
 だが、パイプオルガンが演奏を開始し、大聖堂の正面の扉が開かれると堂内は一瞬にして静まり返った。
 先頭には白の軍服に身を包んだ王のラシル・レーゼア、その後ろにメイヴとミレーゼがシーラを間にはさむようにして祭壇までのじゅうたんの上を歩いていく。
 白い薔薇の花束を手に司祭の前まで来ると、シーラはラシル王に続いて祈祷台に歩を進め、そこにひざまづいて頭をたれた。
 大聖堂の正面には、リンセンテートスの守護神ビアンの彫刻像が壁から顔だけが突き出した形で、堂内の人々を見下ろしている。目も鼻も口もはっきりとは描かれていない〈顔のない像〉が。
 リンセンテートスは国の三分の二がミゼア砂漠であり、ノストールと国境を分けるエーツ山脈、セルグ国と国境を分けるミゼア山と接することから、多くの旅人たちがリンセンテートスへ立ち寄り、旅の無事を〈旅人の守り神〉であるビアン神に祈るようになった。
 そうしたことから、ビアン神はいつしかリンセンテートスの守護神として崇められるようになっていった。
『われは、旅人に身を変え、旅人となり、旅人の中にある』
 そう言ったビアン神の言葉にしたがい、人々は徐々にビアン神の顔を詳細に描くことをやめ、いつしか描くこと自体が禁忌とされるようになっていったのだった。    
 そのビアン神の像に見守られるように、指輪の交換と書簡へのサインが順序よくとりおこなわれていった。
 けれど、シーラは頭の中がぼうっとしていて、自分がいま何をしているのかさえ自覚できていなかった。
 あれほど心を悩ませていた人々のさまざまな視線に対してでさえ、無関心になっていた。
 シーラの美しさにため息をつく者、側妃としての末路をひそかにあざ笑う者、無関心をよそおい拍手だけをおくる者。
 すべての視線も言葉も夢の中でのざわめきのようだった。
 テセウスに連れられ、大聖堂のそばにある式典までの休息室となるはずだった居館へたどり着いたときも、泥だらけのシーラの姿に驚いたメイヴとミレーゼがリンセンテートスに激しく抗議をしているのを見ても、なぜそれほど怒っているのか理解できないでいた。
 シーラは、それを暴徒たちに襲われて自分が激しく動揺しているせいだと思っていた。
(何も感じないのなら、そのほうがいいのかもしれない……) 
 ラシル王の腕に手を添わせ、大聖堂をあとにしながら、どこか遠くでシーラの心がつぶやく。
(このまま何も感じないままなら……)
 だから、シーラは気がつかなかった。
 何かが欠け、何かが違っていたことに。
 ハリア国でミレーゼやエリルとともに過ごして来た慎重なシーラであれば、決して見逃すことのなかったはずの重大な出来事を見落としていたことに、この時のシーラは気づくことさえなかった――。

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