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第七章〈 王 女 の 行 方〉

 リンセンテートスでの結婚式の当日。
 シーラは結婚式までの数日を過ごしたレインマーレ宮を出て、六頭立ての馬車に乗り、結婚式を挙げるセイルーズ大聖堂へ向かっていた。
 シーラを乗せた黄金色に縁取られた白い豪華な馬車と、侍女たちなどの乗った馬車六台の前後には、式典用の軍服を着たリンセンテートスの警備兵たちの騎馬隊がつき従っている。
 花嫁の馬車には、今後シーラ付きとなるリンセンテートスの執事とアインが同乗していた。
 しかし、華やかな純白の婚礼衣装に身を包んだシーラはだれと言葉を交わすことなく、ただ馬車の揺れに身を任せたまま窓の外に視線を向けていた。
 王家同士の結婚式――とはいっても、しょせんは側妃の輿入れである。
 しかも、この数年間リンセンテートスをおびやかし続け、一時は占領すらしたハリア国の王女である。憎まれはしても、歓迎はされるはずもないことは覚悟を決めていた。
 それどころか今後しばらくは当然のように、側妃として年の離れた王に嫁いだ敵国の王女に対する悪意のこもった話が、口さがない人々の口に上るだろう。そうした非難の目や声にも、シーラは絶えていかなくてはいけないのだ。
 ハリアの王宮で、ミディール妃の陰口や噂話を耳にするたびに、ミレーゼやエリルが心を痛めていたことをシーラは知っている。
 今度は自分がその矢面に立つのだ。耐えていけるかと問われてもその自信が、いまはまだない。
 しかも、この短い数日間の滞在期間において、考えてもいなかったことがシーラの心にに大きな落胆と悲しみを与えた。
 リンセンテートスでは、母国で当然のように受けていた暮らしも、保護も、すでに手の届かないところへ行ってしまったということを、思い知らされたのだ。
 リンセンテートスがシーラ滞在のために選んだ、自慢の白亜のレインマーレ宮すら、大国ハリアの王女の身にとってみれば、中級貴族の邸宅並みとしか感じられず、庭園の広さ、室内の様相、調度品などどれをとっても今まで自分を取り巻いていた環境と格差がありすぎた。
 決して豊かではないが、小さくもない国。 それは知っていた。
 だが、それを現実に目の当たりにし、ここが生涯の自分の住まいとなるのだと肌で感じたとき、シーラは初めて不安の中で混乱し内心大きく取り乱した。
 側妃としての立場、これから自分がこの環境に身をおかなくてはならないという事実に、惨めさとやるせなさ、寂しさがとめどもなく押し寄せ、涙で枕を濡らす夜を過ごした。
 国の以降に沿って生きるのが自分の運命なのだと常に言い聞かせてきたシーラが、いますぐここから逃げ出したいという衝動にさえ駆られたのだった。
 いま自分を乗せている豪華な馬車は、婚礼品としてハリア国からの贈り物であるため、シーラにとっては居心地の良いものでありわずかな慰めにはなったが、徐々に快調に走る駿馬の蹄の音すら重苦しい鼓動の音に聞こえてくる。
 身の置き場のない不安だけがシーラの胸を埋めつくしていた。
「シーラ様」
 どれほどぼんやりしていたのか、シーラは正面に座っているアインが何度も自分の名を呼んでいることに、ようやく気がついた。
「執事殿がさきほどから、お呼びしておりますのよ。この森をぬけると、もうすぐリンセンテートス城と大聖堂が見えてくるそうですわ」
 シーラを乗せた馬車は森の中の小道を軽快に駆け抜けていた。冬の季節が近づいているため、森は赤や黄色、緑などとさまざまな色で彩られ、暖かな木漏れ日が木々の間から降りそそいでいる。
「すばらしいお天気ですわね」
 ほほ笑みながらシーラを見つめたアインの顔から、ふと笑顔が消えた。
「シーラ……様……?」
 シーラはおびえきった表情で、その視線はアインに外を見るように促した。
「?」
 シーラの視線を追って窓の外を見たアインと執事、二人の表情が凍りついた。
 二人がそれを目にするのとほぼ同時に、馬たちの激しいいななきが森の中に響き渡った。
 馬車の動きが止まる。
 いつの間に現れたのか、森の中に潜んでいたのだろう四、五十人の男たちが、丸太や剣、弓を手に、シーラたち一行の周辺を取り囲むように近づいて来ていたのだ。
 彼らから発せられる殺意は、まごうことなく花嫁の乗る豪華な馬車に向けられている。
「何者だ?」
「道をあけろ。どけ、さがれ! さがれ!」
「暴徒どもだ! 気をつけろ!」
「シーラ王女の馬車をお守りしろ! 指一本触れさせるな!」
 静かな森は一転して、騎馬隊の兵士たちの怒号と馬車の回りを駆け巡るひづめの音、暴徒たちの大声、侍女たちの悲鳴が飛びかい、騒然となった。
「おれの息子はハリアとの戦さで殺されたんだ! 仇をとってやる!」
「あそこに乗っているのは、ハリア王の娘だ!」
「ぶっ殺せ!!」
「馬車から引きずり下ろして、八つ裂きにしてやる!」
「おまえらのせいで、おれ達は町を失い家族を殺されたんだぞ! 殺してやる!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ――!」
 怒りを含んだ男たちの声が、シーラの乗る白い馬車めがけて襲いかかる。
「なんてことだ……」
 いかめしそうな顔をした執事だったが、このときばかりは突然の襲撃に青ざめ、額からは汗が吹き出し、次の言葉を失っていた。
「シーラ様……」
 アインが青ざめた顔でシーラを見つめたとき、大きな石が馬車の壁にぶつかり、激しい音をたてた。
 三人はビクリと震えると、反射的に自分の体を手で押さえた。
「やっちまえ!」
 先頭に立っていた男の声を合図に、男たちは一斉に馬車に向かって走りだした。 
「暴徒どもから馬車を守るんだ! 何があってもお守りしろ!」
 兵士たちが、剣を抜いて男たちに立ち向かっていく。
「アイン、わたしの隣に」
 シーラはアインを横に座らせると、その体を守るように抱きしめた。
「シーラ様……」
「ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまったわ……」
 シーラは、次々と石や弓矢が激しい音をたてて襲いかかる馬車の中で、自らも身を震わせながら、妹のようなアインを気遣っていた。
「ハリアの王女を引きずり下ろせ!」
 兵士と暴徒たちの争う声が、三人の乗る馬車に近づいてくる。
「に、逃げなければ……」
 執事が悲鳴にも似た上ずった声で叫ぶと、馬車の扉に手をかけた。
「だめです。いま馬車から出ては……」
 だが、シーラの制止を振りきり外へ逃げだそうとした執事の喉に、馬車めがけて飛んで来た矢が突き刺さった。体は仰向けにひっくりかえり、シーラたちの足元に倒れ落ちた。
「キャ―ッ!」
 二人が悲鳴を上げたとき、今度は反対の窓のガラスが大きな音を立てて砕け散った。ガラスの破片とともに拳ほどの大きさの石が床に転がる。
「アインはここにいて」
 シーラはアインから体を離すと、開け放たれていた扉の取っ手をつかんだ。
「わたしが馬車の外へ出れば、馬車の中は安全になるはず。いいわね」
(死ぬのかもしれない……)  
 母や兄たちに訪れた突然の死が、自分にも目前に迫っていることを知る。
 シーラは暴徒の襲来を目の当たりにしたときに、そう感じ、覚悟をしなければいけないと全身が訴えた。
 そして次の瞬間心に浮かんだのは、アインだけは逃がしてあげたい、という思いだった。 
(もう……わたしのそばにいる人が死んでいくのは見たくない……)
 だが、馬車の外へ降りたシーラの手を、追いかけて来たアインの手がつかんだ。
「アイン?」
 驚いたシーラがアインを振り返る。
「一緒に行きます。独りぼっちにしないで……!」
 アインは震える声で、涙をこぼしながら叫んでいた。
「女が逃げるぞ!」
 純白の婚礼衣装は一瞬にして、暴徒たちの標的となった。
「行きましょう」
 シーラは小さくうなずくと、アインの手を取り反対の手でドレスのすそを持ち上げて森中を走りだした。
 それを見た警護の兵士たちがシーラたちの後を追い、暴徒たちの行く手を阻もうとする。
 しかし、細い道と木々が邪魔をして思うように反撃ができない。そればかりか、男たちの騒ぎに驚いて暴れだした馬から投げ出される兵も続出した。
 シーラとアインは、獣から追われる小動物のように森の中を逃げた。息をきらせ、倒れそうになりながらも、すぐ後ろまで来ている男たちの手から逃れようと、振り返り振り返り、必死に走った。
 純白のドレスは木の根や枝葉に破れ、裾は泥だらけになっていく。
(逃げ切れない……)
 シーラは死を覚悟した。
 森を抜け草原に出たものの、最終的に追い込まれた場所は崖であった。
 崖下には川が流れており、見上げる目前の対岸は近くにあっても渡る橋はない。
 逃げることは不可能だった。
 二人は来た道を振り返った。
 そこには森を抜けた十四、五人の男たちが、怒気をふくんだ様子で二人に近づいて来る姿があった。
 男たちは、逃げる場所を失ったシーラたちを見て、その足取りをゆっくりとしたものにかえる。
「てこずらせやがって」
 太った男が、手にした斧を両手でかまえ直した。それを見た仲間も自分の手にした武器を持ち直す。
「この数年間、ハリアのせいで、おれ達は家や家族を失った。傷つき血を流しても、手当することもできず死んでいく仲間をたくさん見て来た。そんなときでも、おまえらはなに不自由することなくおれ達の国から奪いとった財産でぜいたくざんまいの暮らしをしていたんだ。その国の王女が今度は、おれ達の国に王の側妃としていすわるだと? 冗談じゃねえ!」
 男はつばを吐き捨てると、片手で半円を描くように大きく斧をふった。ブンと空気のうなる音が響く。
 シーラはその音に震えた。
「八つ裂きにしても飽きたらねえ! やっちまえ!」
 シーラとアインは抱き合ったまま目を閉じた。
 男たちの手にかかる前にこのまま谷底へ身を投げ出そう、そう覚悟を決めたとき、ヒュンという独特な音が空気をさいて二人の横をかすめていった。
 直後。
「ぐわあぁぁぁ!!」
 男の悲鳴が響き渡った。
 ヒュン、ヒュン、ヒュン。
「うわあっ――!」
 続けざまに音が駆け抜けていく。そのたびに、次から次へと男たちの叫び声が上がる。
 なにが起きているのだろうかと目を開いたシーラの目に映ったのは、矢に射ぬかれて地面に倒れている何人もの男たちと、われ先にと森の中へ逃げるように戻っていく後ろ姿だった。
「…………?!」
 シーラは自らの足元で血を流して息絶えている男たちを茫然と見つめたまま、立ち尽くしていた。
 やがて矢が自分たちの背後から放たれたことを思いだし、あわてて後ろを振り返った。
 対岸に、馬にまたがった数人の男たちの姿があった。
 だが、逆行となっていて顔が見えない。
「お怪我は、ございませんか?」
 若者らしき一人が、大声でシーラに呼びかけてきた。
 シーラはうなずいた。
 腕の中で震えていたアインもその声に顔を上げる。
 若者は片手を高くかかげると、二人に後ろへ下がるように合図した。
「いま、そちらに行きます」
 若者の指示にしたがい崖から離れたシーラたちは、次の瞬間、谷間を高々と飛び越えて二人のいる岸にわたってくる馬の姿を見ていた。
(だれ……?)
 敵なのか、味方なのか、それを見極めようとシーラはアインの手を握りしめたまま、彼らの一挙一動をじっと見つめていた。
 全部で五頭の馬がシーラたちの前にやってくると、先頭の栗毛の馬に乗っていた若者がふわりと馬から飛び降りた。
 少しはなれて馬を止めた後ろの男たちも、それに習う。そこには子供の姿もあった。
 背が高く、濃い緑色の髪をしたシーラと同じ年頃の青年は、一見して貴族の出身だとわかる服装をしている。
「森の中での騒ぎを耳にして駆けつけたのですが、助けるのが遅れて申し訳ありませんでした」
 若者がすまなさそうに一礼をする。
 だが、シーラとアインの固くつながれたままの手に目を止めたとき、青年は二人がまだ緊張とおびえの中にいることに気がつく。そして、自分のうかつさに内心舌打ちをした。
「名乗るのが遅れました。申し訳ありません」
 若者は深い鳶色の瞳にあたたかい光を宿しながらほほ笑んだ。
「わたしは、今日のあなたとラシル王の婚儀に招待されて来た、ノストール王国ラウ王家のテセウス・デ・ラウです。そして……」
 テセウスが振り返ると、五歳ほどの小さな男の子が歩み寄り、彼の横にならんだ。
「一番下の弟王子アウシュダールです。シーラ王女」
 兄王子に紹介されるたアウシュダールは一礼をし、大人びた笑みを浮かべたままシーラたちを見上げていた。
「ノストールの……」
 シーラは、自分たちの国からはるか南端にあるという小国の名を思い出した。
「ああ、声が出るなら大丈夫ですね」
 テセウスは冗談とも本気ともとれない言葉を言うと、シーラの前に手を差し出した。
「さぁ、式まで時間がありません。居心地はよくありませんがわたしの馬で大聖堂の近くまでお送りしましょう。ラシル王へは、王女の身に起きたこととをに伝えるように供の者をさきほど走らせました。何も心配することはありませんよ」
 そのあたたかい声と瞳に、シーラとアインは互いの目を見つめあった。
「もう……大丈夫ですからね」
 シーラは、おずおずとテセウスの手に自分の手を重ねた。大きくあたたかい手だった。
「わたしたち……」
 シーラのつぶやきに、テセウスがシーラの琥珀色の瞳を静かに見つめた。
「わたしたち……助かったのですね……」

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