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第七章〈 王 女 の 行 方〉

 どんよりとした灰色の雲がダーナンの帝都ディアサのリレイン城上空に、低く垂れ込めていた。
 軍師のカラギ、グラハイド宰相、ジュゼール将軍らは、ロディに呼ばれ王の執務室に集まっていた。だが、三人が揃ったにもかかわらず、肝心のロディは窓際にもたれかかったまま長い間、黙り込んでいた。
「陛下……」
 長い沈黙の時間にカラギが気遣わしげに声をかけると、ロディの碧い瞳が机の上の一通の手紙と小さな肖像画を示した。
「読んでみろ」
 ようやく発せられたロディの言葉に、一礼をして手紙と肖像画に手を伸ばそうとしたカラギがの指先が、肖像画に描かれている人物を目にした瞬間ぴくりと止まった。
「陛下、まさか……」
 カラギははっとした表情で、若き帝王を見つめた。
「その、まさかだ」
 三人は互いの目を見つめてうなずきあうと、恐る恐る手紙と肖像画を手にした。
「一体何者が……」
 手紙に目を通したグラハイドがその視線をロディに向けた。
 ロディのもとにこの手紙が届けられたのは、ノストールでの予想さえしなかった撤退から後、再度ノストール攻略のための新たな戦略の練り直しにとりかかっていた矢先のことだった。
『フューリー王女。ハリア国にて』
 書面にはその一行だけが書かれていた。
 そして、手紙とともに成長したフューリーを描いた小さな肖像画が添えられていたのだ。
 母ゆずりの長く美しい栗色の髪と、ロディと同じ碧色の瞳。ワインレッドのドレスの襟元だけが描かれた横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
「これで、三度目ですな」
 グラハイドがうなる。
 ロディ宛てにフューリー王女の消息を示唆する手紙と肖像画が送りつけられて来たのは、三回目だった。手紙の文面は常におなじ。違うのは、記された国の名だけだった。
 一通目の時、国の名はイーリア国であった。二通目ではキルルーサ国、そして今度はハリア国、というように。
「一体、だれが何の目的でこのようなことを」
 ジュゼールが拳をきつくにぎりしめる。
「イーリアにも、キルルーサにもフューリー様はいらっしゃらなかったではないか。陛下のお心をもてあそぶとは、絶対にゆるせない」
 ジュゼールは奥歯をギリギリと噛み締めながら叫んだ。
「陛下、同じ策にのってはいけません」
「しかし……」
 ジュゼールの声を、グラハイドがさえぎる。
「魔道士たちに手紙の主の居所を探らせたが、〈変化〉の術がかけられていて〈辿り〉に失敗したことは、承知しているだろう。たとえどのような罠が仕掛けられ、存在しているとしても、差出人はフューリー様の所在をつかんでいることに違いない。我々をたぶらかし、謎かけのような小さな手がかりでも、無視するわけにはいかんのだ。それに、ディルムッド殿も一通目の手紙を読まれたとき、これがフューリー様に通じていることは確かだと、そう言っていたではないか」
「わかっていますが……」
 ジュゼールは、ロディの思い詰めた表情をみながら、やるせない気持ちになった。 
――妹を助け出す力をもつことができるのなら、僕は王になります。だけど……そのためにその国と戦うことを父上は、皆は許してくれるだろうか?
 五年前の地下道でロディは、妹フューリーを捜し出す可能性だけを求めて、わずか十歳の少年の肩には重すぎる王位の座に就いた。
 イーリア国を侵略する際も、事前に密偵に調査をさせ「フューリー王女、確認」の知らせを受けた上でイーリアに王女の身柄明け渡しを求めた。だがイーリア側はまったく身に覚えのないことであると、使者に口頭で答えただけで、ダーナンに対し正式な返事をしてくることはなかった。
 結果、ロディは武力でフューリーを取り戻す道を選択し、戦さは起きた。
 二通目に記された国キルルーサは、イーリア侵略の事態を目の当たりにし、若い帝王をあなどることの恐ろしさを我が身のものとして受け止めた。そして王女の行方に対してキルルーサは関わっていないことを訴えた上で、それでも疑いをもたれるのであれば、ダーナンの属領国と下ることもいとわないと自らその軍門に下ることで、戦さを避けた。
 いまやロディは、覇道を歩む帝王として、国々から恐れられはじめている。
 ロディの本意ではなかっただろう――とジュゼールは戦さになるたびにその心中を察し心が痛んだ。だが、ロディに帝位を求めたのも自分たちであった。
 戦さを司る神シルク・トトゥ神の転身人を得たいと望むのも、ひとえに妹と国を想うゆえであるとジュゼールはわかっていたが、他国はそうとは思わないだろうということも、また知っていた。
 ノストール出陣では、ダーナン艦隊に襲いかかった巨大な竜巻群が、魔道士ディルムッドをはじめ多くの兵士たちを海の底に沈めた。幸いロディたちの船の周辺には竜巻の接近がなく、ことなきを得たが、後尾艦五隻は壊滅し、残りの半数は大なり小なり被害を受けた。
 ジュゼールはため息が出そうになるのをこらえた。それでも、うつむいた視線は自然と机の上のフューリーの肖像画に注がれる。
 ダーナンの王女の行方を暗示する手掛かりに。
 重苦しい雰囲気が部屋に満ちようとしたとき、カラギがロディの前に歩みでた。
「陛下」
 その声は、さきほどまでのロディを気遣っていた時の口調とは明らかに違っていた。
「手紙の主はフューリー様を利用して、わがダーナンの国力の消耗を狙っていると考えられます。最初の手紙が届いた時のわが国の状況を思い出してください」
 カラギの漆黒の瞳が、若く美しい主を真っすぐに見つめる。
「一通目の手紙は、内乱後すぐにゼルバ、ハスランを攻め落とした後でした。陛下にとっても、わたしにとっても初陣であり、多くの犠牲者を出ました。内政の乱れも大きく影響し、国財も低下していた時期です。 『フューリー王女。イーリアにて』と、記された手紙を読んだとき、ゼルバとハスランが姫様を人質として抗戦しなかったことに疑問を抱いていた我々の疑問は氷解しました。イーリアの国か、何者かが、フューリー王女の安否に関わる情報と自分の存在を誇示してきたのですから」
 ロディはうなずいた。
 自分をあざ笑うように送りつけられた手紙。フューリーを救い出すための戦さ。だが、イーリアに勝利はしたものの、結局フューリーを見つけだすことはできなかった。
 カラギは続けた。
「イーリアとの戦さの後、わが国は多くの地を得、兵士たちも領地や報酬に潤いました。けれど、ゼルバ、ハスラン、イーリアの統治統制に多くの人員がさかれ、陛下は常に戦場に身を置いていられたために、土地の分配や報酬、新たな役人などの任命など、さまざまな分野の整理が十分にできず、混乱も多々ありました。二通目が届いたのは、そのような時期でした」
 ロディはカラギの言葉にじっと耳を傾けていた。
「当分、戦さはしたくないな」
 ジュゼールは、ロディがそう言って苦笑いをしたことを覚えている。
「キルルーサとの戦さは回避できましたが、フューリー様の安否は結局、確認できませんでした。そして、多くの犠牲を出しノストールから退いたこの時期に、三通目の手紙」
 カラギの言葉にジュゼールも、ようやく彼が何を言おうとしているのかがわかりはじめた。
「手紙の主は、ダーナンがフューリー様のためならば何をも恐れずに動くことを知っているとしか考えられません。わが軍が次々と近隣諸国を襲い、疲弊し国力が弱まったところを襲撃し、利を得ようとたくらんでいる……と」
「つまり……今度はハリアと戦わせようと?」
 ロディの言葉に、ジュゼールをはじめ、その場の誰もが息を呑んだ。
「御意にございます」
 カラギはうなずき、低く良く通る声でささやいた。
「陛下、この件に関しましては、わたしに策がございます」
 カラギの言葉に、初めてロディの表情が動いた。
 ロディの美しい横顔は、褐色の肌をもつ彫りの深い横顔と対峙していたが、黄金の髪がサラリと揺れた次の瞬間には、窓辺にもたれかかっていた青年の体は、執務机の椅子におさまっていた。
「聞こう」
 ロディは、自信に満ちたカラギの黒い瞳に、主としての表情で向きあった。
 十五歳の若く美しい帝王の一言に、三人の幕僚たちは、再び休むことのない歩みに身を投じる覚悟を決めたロディの気持ちを、わが身のごとく強く感じたのだった。

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