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第七章〈 王 女 の 行 方〉

 リンセンテートスとの婚約式が終わり、ふた月後にシーラ王女とラシル王の結婚式を迎えるばかりとなったハリア国では、慌ただしく準備が進められていた。  
 シーラは、あふれるほどの豪華な生地や宝石に囲まれながら婚礼衣装はもちろんのこと、夜会や舞踏会、日常で身につける衣装、装身具を新たに仕立てるための採寸や生地合わせのために、一日中立ったままでいなくてはならない日があると思えば、画家たちによる肖像画の作成のために椅子に腰掛けたままの日があるなど、目まぐるしい日々に追われていた。
 くわえてリンセンテートスの作法の習得など様々な準備も万事怠ることのないよう進めなければならず、就寝時以外は一人の時間をもつことさえできない状態だった。
「立場は側妃とはいえ、このハリア国王女の婚儀ですからね。見劣りすることのないよう、そしてわが国の威厳を十二分に思い知らせるためにも、万全の用意をしています。正妃としての婚儀よりも地味であることはいたしかたないものの、心配することなど何もないのですよ」
 婚礼衣装の仮縫いの着付けが終わった合間を縫って、シーラはメイヴ妃からお茶の時間に招かれていた。
 押し寄せる多くの人々の言葉にただ黙って従い、人形のように立ち振る舞う毎日であったシーラは精神的な疲れもあり、メイヴ妃の招待に応じれば、ミレーゼに会えるのではないかとどこかで期待しながら、王宮内に新たにもうけられたメイヴ妃の私室に訪れたのだ。
 けれど、そこにミレーゼの姿はなかった。
 「お心遣い感謝いたします」
 いまや暫定王とはいえ、ミレーゼ女王の後見人として確固たる地位を築きつつある父の第一側妃に、シーラ王女は疲労の色を隠しながらほほ笑んだ。
 淡く柔らかな色調の青く美しい髪がサラリと揺れ、長いまつげの奥の琥珀色の瞳が穏やかな笑みを浮かべてメイヴ妃を見つめる。
(エスニア……?!)
 メイヴは一瞬、目の前に座っているのが亡き正妃のエスニア妃であるような錯覚にとらわれた。
 もちろんそう思ったのは、今日が初めてだったわけではない。シーラ王女が幼い頃より、面差しは良く似ていると思っていた。
 だが、今こうして向き合ってみると、驚くほど似ていることに気づかされるのだった。
 特にミディール妃の一件が起きるまでは、他の側室の王子や王女と好んで親しく話しをしたいと考えたことすらなく、儀礼的なあいさつや会話をかわす程度でシーラともお茶の時間を過ごすことはないに等しかった。
(エスニアが陛下のもとに嫁いで来たのも、シーラと同じ年頃……本当に生き写しだこと……)
 メイヴはシーラの中に、王に寵愛され人々から愛された美しい歌姫、今は亡き正妃の面影を重ねながらそう心の中でつぶやいていた。
「それで……お話があるとうかがったのですが」
 ティーカップに二杯目のラセナ茶が注ぎ終わるのを待って、シーラは控えめに切り出した。
 シーラは、メイヴ妃が自分のことをどのような目で見ているのか、まるで想像がつかなかった。
 リンセンテートスへの輿入れがミディール妃の策謀であり、ヘルモーズ王の意向ではないと知っていながらも、この婚儀を中断させることもなく進めている。
 けれど、婚儀にあたっては、正妃として嫁いでもおかしくないほどの規模で準備を整えてくれている。その心中が察しかねた。
 そして、ふたたびシーラを戸惑わせる言葉が、メイヴ妃の口からもたらされた。
「実はシーラ様がリンセンテートスへ嫁がれるにあたり、少しの間でも寂しさをまぎらわせていただければと思い、お話し相手を招いたのですよ」
 メイヴが側近に命じると、女官に付き添われた少女が部屋に通された。
 その少女は、淡い若草色のドレスに身を包み、メイヴとシーラの前に姿を現すと、優雅にハリア式の挨拶をする。
 シーラよりも年下の、貴族の子女のようだった。
 陶器のような白い肌と、薔薇の花びらのような淡紅色の唇、長い栗色の髪、そしてミレーゼと似た明るい碧色の瞳。
(どの貴族のお嬢さんなのかしら……)
 少女の身のこなしや漂う気品から貴族の出であるだろうことは違いないとわかるのだが、シーラはどの貴族の娘なのか思い出せない。だが、一度出会ったならば忘れることがないほど印象的な少女だと感じていた。
(ミレーゼと同じ年頃かしら……)
 メイヴはまるで戸惑うそのシーラの心を読んだかのように、ニコリとほほ笑みを向けた。
「シーラ様はミレーゼ陛下と仲がおよろしいでしょう。ですから、リンセンテートスでの暮らしに馴れるまでの間、年下のお話し相手がいらしたほうがよろしいかと考えて、最良と思われる人物を捜しましたのよ。この娘の名はアインといって、ローゼの領地で行儀習いをしていたセルシアン家の一族の者です。シーラ様とは初対面ですわね。アイン、こちらの方がシーラ王女です」
「アイン……」
 ミレーゼと、その母ミディール妃の好きだった薄紫色の美しい花の名前――アイン。
 シーラが、アインの名をつぶやくと、少女はほほ笑みながらシーラにゆっくりと頭をたれた。
「よろしくお願いします」
 そう言って再び向けられたアインの碧い瞳と視線が出会った瞬間、シーラの心の中に何かいいようのない予感めいたものが満ちあふれた。
(この子……)
 それがどのようなものなのか、シーラ自身はっきりとしなかったが、この少女との出会いが自分の運命を変えるように感じたのだ。 しかし、シーラはその予感を受け入れようとはしなかった。
 自分の運命はすでに定まっているのだ。ふた月後には、父ほど年の離れたリンセンテートス王のもとに側妃として嫁ぎ、子を生む。それ以外のなにかかが起きることはありえないのだと。
『ハリアを守るために行きたい所があるから』
 その言葉だけを残して王宮から消えてしまったエリル。
 メイヴ妃の監視のもとで母を失い、自由さえも失いながら望まぬ王座に収まっているミレーゼ。
 病気療養で王宮の奥に拘束されているヘルモーズ王。
 そして、亡くなった母と二人の兄王子たち。
 すべての優しかった人々が、自分から引きはがされていく。そして、今度は自分が母国ハリアから去らねばならないのだ。
(望んでは……いけない……)
 幼い頃から胸に刻んで来た言葉が浮かんだとき、ふいに、シーラの心の奥底に押し殺していた感情があふれ出そうになった。
(望まない……。望んでは……いけないのだから……)
 シーラは大きく深呼吸をすると、これまでもそうして来たように、その想いを心の奥に封じ込めるためにほほ笑みをつくった。
 それはハリア国の王女として生まれた者の運命。王家の王女として誕生した瞬間から、道は定められているのだ。
 国のために従う。それ以外の道など、シーラは考えたことすらない。
 だから一瞬、自分を取り巻いた不思議な予感すら、シーラには無意味なものでしかなかったのだ。
 シーラは、小さくうなずく。
「よろしくね。セルシアンのアイン」
 アインは笑顔を浮かべた。それは、高貴な花が咲いたようなほほ笑みだった。
 同時に、シーラは心の中に、その笑みとは別の見えない空気が溶け込んできて、癒されるような感覚をおぼえた。
(ほんの、短い時間でも……)  
 シーラは自らに言い聞かせた。
 たとえ、アインがメイヴ妃とどのようなつながりをもっていたとしても、たとえ監視役として自分のそばにいることになっても、シーラはアインならば不思議と許せるような気がした。
 やがて来る別れを覚悟しても、この少女の笑顔が今は必要だと心に訴えるものがあった。
 それはシーラに許された、数少ない小さな幸せにつながるかもしれない。
 シーラはアインのその花のような笑顔を見ながら、いつしかそう考えるようになっていた。

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