HOMEに戻る

第六章《失われし誓約》

 縦に細長い<合議の間>に、再び重臣たちが集った時、宮殿の鐘が高く鳴り響いた。
 今日の合議でシーラ王女のリンセンテートスへの輿入れが正式なものとなり、書簡が送られることになる。
 ダルクス大臣は髪の毛がまだ今ほど白くなっていなかった若きころ、敬愛の念をもって接してきたエスニア妃の面影をシーラ王女に重ねて、大きなため息を幾度も吐き出していた。
「近頃の陛下のおふるまいは、ミディール妃の影響おおいにありと見ざるをえないな」
 ダルクス大臣の横の席で、旧友でもある国務長官のバジルが独り言のようにささやいた。
「だが、ダーナンの動きを考えれば、リンセンテートスとの関係は無視できんか……」
 冷静に割り切るその言葉に、ダルクスは思わずバジルをにらみつけ、苦虫を噛み潰したような表情でヘルモーズ王が現れるだろう幕越の玉座へ視線を戻した。
「ならばラシル王ではなく、せめてリンセンテートスの王子たちのうちいずれかの妃にというのが本当ではないか。若い身空で陛下に嫁いだミディール妃の恨み返しを見せつけられているようで胸がむかむかしてくるわ」
 ダルクスは再び大きなため息をついたが、その時、王が現れたことを知らせる合議の間の鐘が打ち鳴らされた。
 同時に、天幕の向こう側にいくつもの小さな灯火がつけられる。
 そこにはすでに玉座についている王の姿が影絵のごとく映し出されていた。
 ダルクスはあわててきまじめな表情をつくる。
「これより、合議をはじめる」
 ヘルモーズ王のくぐもった特長のある声が低く室内に響き渡った。
 左右の席についていた重臣たちが立ち上がり、王に敬礼の姿勢をとったその時。
「お待ちください」
 突然、女性の高い声が静まった室内に響いた。
 ダルクスをはじめとする重臣たちは驚いてその声の主を探そうと、あちらこちらに視線を泳がした。合議の間の入り口には、見張りの兵も配備されており、関係のないものが立ち入ることは、よほどの緊急時でない限り起こりえないのだ。
「この合議は認められません」
 だが、そんな多くの予想に反して、合議の間の扉は勢いよく開かれ、数人の兵士に周囲を警護させて現れた人物がいた。
「メイヴ妃……」
 ダルクスの隣で、バジル長官が息を呑んだ。
 合議の間へ物々しく現れたのは、王の第一側妃であるメイヴ妃だった。
 メイヴ妃は、驚きあわてる左右の大臣たちに目もくれずに真っすぐに玉座に座る王へ向かって進んでいった。
「メイヴ様、お待ちください」
 王の側近や室内の兵士たちが、状況を把握できないながらも、とにかくメイヴを止めようと駆け寄るが、メイヴの従者や一緒に入って来た守護の兵士たちにすべて制せられ、制止することさえできない。
 ダルクスや他の大臣たちも、メイヴ妃の突然の行動にただ茫然としていた。
「何のようだ!? 止まれ! メイヴ、止まれ!!」
 ただヘルモーズ王の声だけがメイヴ妃に命じる。
 しかし、彼女は無表情のまま天幕越しの王の影へ向かって歩み続ける。
「兵はどうした? メイヴを止めろ! ここはわしの許可なく入って来ることは許しておらんぞ 何をしている!?」
 威厳のある声ではあったが、その声にわずかに狼狽の色を感じとり、ダルクスはただならぬ事態がこれから起こるだろうことに気がついた。そして、自分に指示を求めて集まる重臣たちの視線を受けて、黙ってことの成り行きを見守るよう目で制した。
「陛下!」
 メイヴ妃は天幕の前で立ち止まると、落ち着いた声で正面の玉座に座ったままの王に呼びかけた。
「わたくしは陛下とのお約束どおり、今日ここへ参りました。そして、お約束したことをさせていただきます」
「な……なんのことだ…」
 メイヴ妃の『王との約束』という言葉に、ざわめいていた室内が徐々に静けさを取り戻し、やがて水を打ったように静まり返った。  その場にいたすべての臣下たちは、王と側妃の間にこれから起こるやりとりを聞き漏らすまいと、メイヴ妃と幕越しの王の影を息をこらして見つめていた。
「陛下ご自身に頼まれたことをするだけです。おまえたち」
 メイヴ妃がそばの兵士たちに合図を送った。すると、数人の兵士たちが一斉に天幕に駆け寄り、天幕を引きずり下ろした。
 だれもが「あっ」と叫んだが、もっと驚いたのはそのあとだった。
 ダルクスには何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
 なぜなら、玉座に座っていたのはヘルモーズ王ではなく、別の人間、ノアだったからだ。
 天幕越しでは、ヘルモーズ王と同じ体型をしたノアと区別がつかなかったのだ。ダルクスたちに訪れた衝撃は並大抵のものではなかった。
「皆様方」
 メイヴ妃は、ダルクスたちの方を振り返ると威厳を込めて声高に叫んだ。
「ご覧のとおり、今日の合議、いいえ……これまでの合議や政務を行っていたのは、この者です。ヘルモーズ王の従者としてそばにいた魔道士でございます。王の声色を写しとり、その術をもって王のようにふるまいわたくし達を欺いてきたのです。そして……」
 メイヴ妃は多きく息を吸い込むと、一呼吸おいて言葉を続けた。
「このようなことを行って来た影の首謀者は、ミディール妃なのです」
 メイヴ妃のその言葉に合わせたかのように、合議の間の隣室から兵士に連れられた青ざめた顔のミディール妃が現れた。
 唇はわななき、今にも倒れそうなほどその顔からは血の気が失せている。
「一体……これはどういうことですか? 陛下はどこに……?」
 ダルクスは一歩前に出ると、まず最初にメイヴ妃に王の安否を問いかけた。  
 メイヴ妃はその質問に満足げにうなずくと、毅然とした面持ちで、説明をはじめた。
「陛下はご無事です。隣室の長椅子に眠らされたままではおりますが……」
 おお、という安堵のざわめきが広がった。
「ですが……大変に重い心のご病気にかかっていらっしゃいます」
 静寂が再び訪れた。
「最近、陛下は何度もわたくしのもとへいらっしゃられて、ご自身の身に起こるさまざま異常を訴えられておりました。そして、何者かが陛下に代わってハリアを間違った方向に導こうとしているということも。わたくしは陛下の言葉を受け、陛下のご病気のこと、陛下の周辺や身辺の者のことなど調べて参りました。その結果、ミディール妃が陛下の病を利用して、合議ではこの魔道士に陛下の声を写しとらせる術をつかい、陛下の声でハリアを自分の思いどおりにしようとしたのです」
「な……なにを証拠に……」
 ミディール妃は、メイヴ妃の背中に向かい悲鳴にも似たかん高い声で叫んだ。
「証拠? なにを今さら……」
 メイヴは横目でミディールを見ると、冷ややかな声でそれにこたえる。
「ファージル王子、そしてエスニア妃とカーディス王子を事故と見せかけて殺したのも、あなたの仕業だというのはわかっているのですよ。自分の子を王位につかせたいというそれだけで。しかもあなたは、ガーゼフとの間に身ごもったグリトニル王子を陛下の御子だと偽り、その子を即位させるために実の子のエリル殿下まで殺そうとした……酷い女……」
 いまや、合議の間は衝撃の渦に呑み込まれ、人々は事態を呑み込み切れないまま、茫然と立ちすくんでいた。
「陛下のご病気も……その魔道士の術」
「嘘よ、違うわ! わたくしはなにもしていないわ! エリルもグリトニルも陛下とわたくしの子よ。わたくとが自分の子を殺そうとするはずがないわ! 違うわ!! あの女が言っていることはすべて嘘よ! わたくしを信じて!! わたくしはなにもしていないわ! だれか、助けて!!」
 だが、いくらミディール妃が叫んでも、青ざめた表情のまま、震えながら力なく玉座に座っているノアの姿がある限り、その言葉はむなしく響き消えていくだけだった。

 この日を境に、ハリア国の内政は激変に次ぐ激変を遂げた。
 王と国を裏切ったミディール妃は、病死と内外には伝えられたが、毒による自決を求められた。
 王を偽り術にかけた魔道士ノアは一生出られることのない地下牢獄へ送られた。
 しかし、ミディール妃と策謀したガーゼフは合議の前日から姿を消したままであり、その行方はようとして知れなかった。
 そして、ヘルモーズ王は別の術士による治療を受けはじめたが、症状は一向に回復せず、逆にますます悪化の一途をたどり続け、病身の身として扱われるようになった。
 そのため、エリル王子が十五歳を待たずに即位を求められるはずだった。
 ところが、そのエリル王子が日突然、宮殿内から姿を消してしまったのだ。
 最初はいつもの失踪騒ぎではと楽観視していた廷臣たちも、一日経過しても所在が一向につかめないことから、ミディール妃の後を追って自殺したのではないかと憶測をするようになった。
 探索は中断されることなく続けられたが、ついには半年をすぎても見つけだすことができなかった。
 シーラ王女はリンセンテートスとの政治的背景もあり、結局婚儀はそのまま進められることが決まった。
 そしてミレーゼ王女はエリル王子の消息がわかるまで、ハリア国の暫定王としてその座におさまることとなった。
 出生を疑惑視されている八歳のグリトニル王子ともどもメイヴ妃後見の監視下におかれて。

 第六章《失われし誓約》(終)

戻る 次へ


★目次  ★登場人物&神々
ストーリー・ワールド目次