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第六章《失われし誓約》

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 東のナイアデス皇国、西のダーナン帝国、そして中央のハリア国。それが、このラーサイル大陸をほぼ三分する大国の名であった。
 これに小国、中国を加えると約十五の国がひしめき合いながらも、約三百年もの間、小規模な紛争をのぞけば、ほぼ安定した関係を続けていた。
 だが、数年前よりその状況に確実な変化が起きていた。
 わずか十歳でダーナン帝国の新王として即位したロディ・ザイネスが、近隣諸国の侵略を開始したためだ。
 最初に犠牲になった国は、第二王子エルローネの王位継承を強く望み、シーグルトを謀殺しようと協力したハスラン国。次いで第一王位継承者と考えられていたシーグルト王太子側についたゼルバ公国だった。
 二人の王子は、王位継承への強い執念から、互いを牽制し合い、ついには王である父のボルヘス帝王の命を狙った。
 王妃ナーディアは、その息子たちから王や第三王子ロディ、フューリー王女の生命を守るため、シーグルトとエルローネを道連れに死を選び、ボルヘス王は命は取り留めたものの、ただ生きているというだけの体になりはて、妹は行方不明となった。
 ロディは兄たちに加担し、内乱の原因ともなった両国に対し、容赦をしなかったのだ。
 そして、両国平定後は海洋国家イーリア国へ侵略、ハリア国を大きくしのぐ強国となっていった。
 わずか五年という短い時間の流れの中で起きた嵐のような出来事だった。
 だが、いまだフューリー王女の行方はようとして知れず、ダーナンはその侵略という名の歩みを止めようとはしない。

 ハリア国とダーナンとの間には、カヒロ山脈の長く険しい尾根が横たわり、南端に深い森と起伏のゆるい山々に囲まれたイルリアン湖がある。
 その湖の南西にハスラン国があった。
 ハリア国は、その隣国ハスラン国の豊饒な土壌に目をとめ、少しでもその領土を掠め取りたいと、たびたびちょっかいを出していた。
 しかし、その度にハスラン国の隣国であり親戚筋でもある大国ダーナンが外圧をかけてくるため、攻めては、退くこと数知れず、ハリアは常に苦々しい思いをしてきたのだ。
 それが、ダーナンの内輪もめという絶好の機会を得て、意気揚々ハスランへ一気に攻め入ろうと舌なめずりしていたところ、当のダーナンが突然ハスランに侵略するという事態を目の当たりにすると同時に、今度はいつダーナンが自国を責めてくるかもしれないという危機迫られる立場になったのだ。
 当時ハリアは、北西のナクロ国を八年前に侵略したその足で、リンセンテートス国へも触手を伸ばし、交戦と休戦を繰り返している最中だった。しかし、事態の変化に、あわててリンセンテートスから兵を引き、ハスラン側前線の防備を強化することとなった。
 ハリアの首都モルカの王宮では、ヘルモーズ王の掛け声のもと、政治的・軍事的にも急速な方向転換に追われていた。いや、少なくとも臣下たちはそうであると信じていた。

「リンセンテートスへは和解の証しとして、シーラを嫁がせようと思っておる。向こうもこの話には興味を示して来ておる」
 薄い幕の向こうから、玉座に座るヘルモーズ王の年老いてかすれた声が響いた。
 王宮にある「合議の間」の王と臣下の間には、常に玉虫色の幕が垂れ、直に王の姿を見ることができないようになっていた。
 この布は王の側からは拝礼する臣下の姿が良く見えるのに対し、臣下の側からは王の影が見えるだけという、特異な織り方が施されていた。
 幕越しでない王の姿を直接見ることができるのは、王の間に入ることが許されるごく限られた人間だけであった。  
 乳白色の大理石で築かれた細長い合議の間には、二十人ほどの国を預かる重臣たちが集められていた。赤い絨毯が敷き詰められた床の上には、背が高く、座が低めにできたクッションの充分にきいた豪奢な布張りの椅子が重臣の数だけ、壁に沿うように左右一列、双方が向かい合う形で並べられている。
 意見を述べるものだけが、立ち上がり、王に対峙するのだ。
「陛下。シーラ姫を……リンセンテートスの王の側妃として……ですか?」
 大臣のダルクスは、立ち上がると思わず聞き返した。
「そうだ」
 重臣たちのあいだにどよめきがおこる。
 参列した重臣たちが驚きの色を隠さなかったのは、無理からぬことであった。
 リンセンテートスのラシル王には正妃や子息たちがおり、すでに齢五十を過ぎている。ラシル王がヘルモーズ王より年下であるとはいっても、十七歳のシーラ姫とは離れすぎている。しかも、側妃としての輿入れでは、あまりに不憫な婚約と、だれもが感じたのだ。
 ヘルモーズ王自身にも三人の側妃の間に九人の子供があった。
 第一側妃メイヴには二人の娘がいたが、二人とも他国へ嫁ぎ二十年近くたつ。
 第二側妃エスニアには、十年前に嫁いだターラ王女、ファージル王子、カーディス王子、そして、十七の誕生日を迎えたばかりのシーラ姫がいたが、エスニア妃と二人の王子は今は亡き人であった。
 そして第三側妃のミディール妃には、十四歳のミレーゼ姫と、十二歳のエリル王子、八歳のグリトニル王子の三人の子がいた。
 いまヘルモーズ王が、告げた姫の名は亡きエスニア妃の子、シーラ姫のことであった。
 エスニア側妃は、華のように美しい容姿と、鈴のような美しい声でハリアの歌物語を詠むことから、若いころは歌姫として国の人々からも愛された。その故エスニア妃うりふたつの面差しをしたシーラ姫を、王は溺愛していた。
 その王が愛する姫を、二十歳以上も年の離れた王のもとに側妃として嫁がせようと言うのだ。しかも人質同然の結婚を。
 重臣たちの間からは、にわかには信じがたい王の言葉に戸惑い、疑問の声が漏れる。
 そこまでする必要があるのか、と。
 「無論……わしも、考え抜いたすえの決断だ…」
 臣下たちの、あまりの動揺ぶりにヘルモーズ王は、それを静めるように沈痛な声を響かせた。
「だが、ダーナンがハスランを落とした今は、急ぎリンセンテートスと和解し友好関係を結ばなくてはならん。かといって、この数年リンセンテートスへ攻めいったのはわしらの方じゃ。ラシル王は爪ほどの領土を譲渡したとて、和解には応じぬだろう。仮に和解したとしても、いつ反故するかわかったものではない。確固とした友好関係を結び、なおかつリンセンテートス内の中央の情報をわしらが常に手中に収めるには、シーラを嫁がせるのが最良の策なのだ。ミディールがわしのもとに来たのも、わしが五十二歳、あれが十七の時。シーラも承知しておる。愛する娘を嫁がせるわしの……胸のうちも察してくれ……」 
 王の沈んだ声に、それ以上意を唱える者は現れなかった。
 全員が立ち上がると、王に向きあった。
 そして腰を落とすと左足を床につけ、右腕を胸の前にかかげ、それにかぶさるように深く頭を沈めた。
 それが、王への忠誠をしめす礼節だった。
 ダルクス大臣をはじめとした居並ぶ重臣たちは、影絵姿の主人から、自分たちの表情が見えぬように、低く、低く頭をたれた。
 その中には華のように美しく国民から愛されるシーラ姫を思い浮かべ、またその行く末のあまりの不憫さを思い、涙を浮かべる者たちが少なからずいたのだ。

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