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第五章 《 転 身 人 》


                (イラスト・ゆきの)

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 ルナは、ラマイネ王妃とともに、王妃のベッドの中で眠っていた。
 村人が惨殺された村から、ただ一人だけ生き残り城に預けられている少年と会って以来、夢でうなされる日々が続き、母の腕の中でなくては眠ることができなくなっていたからだ。
 しかも、日頃城中を活発に動き回るルナが、一日の大半をラマイネ王妃の部屋で過ごすほどふさぎ込むようになっていた。
 母と長い時間過ごすことで、ルナは最近になってやっと安心して眠りにつくようになっていた。

 だが、その日は朝からなにかが違っていた。
 ルナが目覚めてしばらくたつというのに、ラマイネ王妃がいつまでも眠りから覚める気配がないのだ。
 たとえ真夜中にルナが目を覚ましても、その気配で王妃もまたすぐに眠りから覚め、ルナを気づかってくれた。
 その王妃が、よほど深い眠りについているのか、ルナの不安げに呼ぶ声にも、朝の日射しが部屋のすみずみを満たす時刻になっても、まったく目覚める気配がないのだ。
 さらに、ルナを不安にさせていることがあった。
 王妃の寝室の隣の部屋には常に侍女たちが待機している。
 ふだんであれば、ラマイネ王妃の着替えや支度をおこなうために、定刻になると侍女たちがノックの音と共に姿を現すのだ。
 しかし、どれほど待っても誰かが現れる気配はおろか、物音一つ聞こえてはこない。
 異様なほどの静けさが部屋を包みこんでいた。
「母上……」
 ルナは、我慢しきれずに悲鳴のような大声を上げて、ラマイネ王妃の体を揺さぶった。
「母上、起きて……、母上…?」
 ラマイネ王妃の穏やかな寝顔と静かな寝息に異常は認められない。
 だが、ルナの顔はしだいにこわばっていく。
「セレナを呼んで来るね」
 ルナは、ベッドの上から飛び降りると、ドアに向かって飛び出した。侍女頭であるセレナならば、この奇妙な事態をなんとかしてくれるような気がしたのだ、
 勢い込んで扉の金の取っ手をつかもうとした時、急にドアが開いた。
「セレナ?」
 ルナは助けを求めるように、ドアを開けた人物を見上げた。
 だが、そこにいたのはセレナでも、王妃付きの侍女たちでもなかった。
 青色の薄い布とフードで、頭から足元まで全身を覆い隠した女性が、ベールの下からほほ笑みながらルナを見下ろしていたのだ。
「誰?」
 ルナの顔に警戒の色が浮かんだ。
 王妃の私室は城の中でも奥に位置し、許された者しか立ち入ることはできないように、その通路には見張りの兵士も配置されている。
 王妃に謁見を求めるならば、侍女が取り次ぎ王妃の許可を仰ぐのがしきたりだ。
 見知らぬ人物が王妃の寝所に無断で入って来ることはあってはならない。
 しかも、王妃はまだ目覚めていない。
「ルナ殿下ですね」
 女は落ち着いた声でそう言いながら部屋の中に歩を進めると、後ろ手でドアを閉めた。
 ルナは、その動きを注意深く見つめる。
「わたしはメイベル・ソル・アンナというものです」
「アンナ……?」
 ルナの心から一瞬、警戒心がとけそうになる。
 それは、アンナの一族に対する絶対的な信頼ゆえであった。
 確かに、装束はアンナの一族のものであり、口元を隠しているベールとフードのわずかにあいた目元の部分からのぞくメイベルの瞳は、アンナの一族に多く見られる紫色の瞳をしていた。
「母上に……御用……?」
 だが……ルナは、メイベルを見た記憶がない。
 それ以前に、アンナの一族であっても、王妃の寝所に無断で訪れることは許されていない。
 その疑念が、とっさにラマイネ王妃の様子が変であると告げることを、ためらわせる。
 「いいえ、ルナ殿下に御用があってまいりましたの」
 メイベルは妖しくほほ笑むと、天蓋付きのベッドの中でで眠り続ける王妃を横目でかいま見た。
「そのために王妃様には、お休みになっていただきました。何の危害も与えませんので、ご心配なく」
「……用って?」
 危害――という言葉が、ルナの心に再び警戒心を呼び起こさせた。
(本当に……アンナの一族……?) 
 疑問はふくらみ続ける。
「わたしの用は、ルナ殿下に、今日限りこのラウ王家の王子をやめていただくことですわ」
 女の口から飛び出したのは、ルナの想像もしていない言葉だった。
 メイベルが何を言っているのか、わからないまま、ルナはその紫色の瞳をただ見つめていた。
「もともと、あなたは王妃の子供ではないのでしょう。拾われ子のくせに、大きな顔して、王子の待遇に甘んじているのは、どうなのかしら」
 メイベルの口から辛辣な言葉が、次々と飛び出して来る。
「まだ小さなあなたにこんな話をするのは酷だと思うわ。坊やは何も知らないようだし……。でもね、あなたは、カルザキア王とラマイネ王妃の本当の子供じゃないのよ」
 ルナは、突然の来訪者の無礼な言葉が終わらないうちに叫んでいた。
 城の中で、両親や兄たち以外に、王子であるルナにこのような態度をとって許される人間は存在していないはずだった。
「出ていけ! 母上の部屋から出ていけ!」
 ルナは、メイベルをにらみつけた。
「ルナは父上と母上の子供だ。嘘つき! 嘘つきはいけないんだ! 悪い人だ! 出て行け!」
 毅然と言い放ちながらも、見知らぬ人間から突然、突きつけられた言葉に、ルナの心は激しく震えていた。
「そう? なら、教えてちょうだい。あなたは女の子なのに……本当なら王女様なのに、王子として育てられたのはどうしてなの? わたしは知っているのよ……」
 女の言葉はまるでお伽噺を読むようにやさしく、だが冷淡さを秘めて続く。
「あなたが、父と呼ぶカルザキア王は、五年前にある予言の成就を恐れて四番目の王子を殺してしまったの。そして、それを隠すためにまだ生まれてまもない子供をどこかから拾ってきて、育てたのよ」
 ルナは、メイベルの声を聞くまいと目を閉じ、耳をふさぐ。
「だからルナ、あなたはここにいてはいけない人間なの」
 メイベルは、左手を城の外に向けて指さした。
「ラウ王家以外の人間は、ここから出ていってもらうわ」
 このとき、王妃の部屋の外では、兄のテセウスがドアを激しくたたきつけていた。
 だが、メイベルの張った結界が、すべての空間からこの部屋だけを別の空間へ切り離していたため、部屋の異変は守護妖精たちさえ知ることができなかったのだ。
 ルナは、目の前に立つメイベルのもとから後ずさると、いきおい身をひるがえして、ベッドに駆け寄り飛び乗ると、眠り続けるラマイネ王妃の体に覆いかぶさって叫んだ。
「そんなの嘘だ。ルナは母上と父上の子供だ。母上は、ルナの母上だ! ルナは悪いことしてない。出て行け! おまえなんて、出て行け!」
 ルナの緑色の瞳にじわりと涙がにじむ。
 今のルナに、メイベルの言葉が真実か否かは問題ではなかった。そこにあるのは、ただ、どうして自分がこんなことを言われなければならないのかという、言いようのない怒りと、見知らぬ他人と対峙している恐怖感だけだった。
 自分を見下すように見つめる女の視線にさらされながら、ルナの小さな心は、不安で今にも押しつぶされてしまいそうだった。
「坊や……お嬢ちゃんと呼んだほうがいいのかしら……? そりゃあ、すぐに信じられないでしょう。でもどんなに信じたくなくても、真実はひとつなのよ」
 その言葉と同時に、ルナのからだが背中から、突然後ろに引き上げられた。
「?!」
 みえない巨大な力が、徐々に、そして確実に、ベッドの上のルナを持ち上げるように、ラマイネ王妃の体から引きはがしはじめたのだ。
「いやだぁ! 助けて! リューザ、助けて! リューザ!」
 だがどうしたのか、その声に応えるべき守護妖獣はあらわれない。
「さぁ! 出て来なさいルナ王子の守護妖獣!」
 メイベルは声高に叫んだ。
 ルナの体に危害を加えるものがあれば、守護妖獣は現れる。
 メイベルはそれも熟知しているようだった。
 だが、ルナがどれほど、助けを求めようとも、守護妖獣リューザは姿を見せない。
「ちっ」
 メイベルが短く舌打ちをする。
 守護妖獣を呼んでも助けに現れないという初めての出来事に、ルナは戸惑いと衝撃に襲われながら、それでも必死にラマイネ王妃にしがみつこうと抵抗する。
 けれど、自分の気持ちとは反対に、体からは徐々に力が失われていく。
 あらがうルナの体は、ラマイネ王妃から引き離されると、ベッドから転がり落ち、メイベルの足元へと向って毛の長い絨毯の上をズルズルと引きずられていく。
「助けて! 助けて、リューザ! 母上! 兄上! 父上―っ!」
 ルナの叫び声は泣き叫ぶ悲鳴になった。
 だが、ルナを助けてくれる存在は現れない。
「なかなか頭のいい守護妖獣のようね。わたしがなにを考えているのか、まるで見抜いているようね」
 自嘲ぎみにメイベルはつぶやいた。
 しかし泣き叫ぶルナの耳に、メイベルの言葉は耳にとどかない。
「それじゃ」
 メイベルはいやがるルナを抱き上げると、ほほ笑んだ。
「いやでも、出て来たくなるようにしてあげるわ」

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