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第四章《 侵 略 》

1

 ノストールの城下の兵舎に自分と同い年の少年たちの姿が日を追うごとに増えていくのを見るうちに、ルナは自分も城下に行きたいと父や兄たちに何度かお願いをしたのだが、あっさりだめだと言い渡されて、海の見えるテラスで空を見上げてすねていた。
『ルナ様、いかがなされました?』
 だれもいないはずのテラスで、どこからともなく声が呼びかける。
「ねぇ、リューザ」
 ルナは姿の見えない声に語りかけた。
「お城から出たらいけないって、父上も兄上もいうの。それって、戦さがはじまるから?」
『はい。戦さになるとは、まだ決まっていませんが、そうなるかもしれません』
 女性のような優しい声が応える。
「どうして、ルナと同じ五歳だと、町に集まるの? おとうも、おかあも一緒じゃないって言ってたよ」
 ルナは、マーキッシュの村へ遊びに行って、村の子供達が両親のことを、そう呼ぶのを知っていた。
『アンナたちがそうするようにと告げました』
 ルナはじっと海を見つめていた。
「戦さは、みんなバラバラになるってテセウス兄上が言いました。まだ違うのに、どうして、おとうやおかあとバラバラなの? どうして、そんなこと言うの? ルナ、わかんない……」
 ルナの翠色の目から涙があふれ、いまにもこぼれ落ちそうだった。
『それは……』
 影の声は答えようとして、急に声をひそめた。
『ルナ様、グシュター公爵がまいります。お気をつけください』
 リューザがそう告げて気配を消すと、ほぼ同時に、部屋のドアをノックする音が聞こえて来た。
「だれ?」
「セレナです。失礼致します」
 そう告げると、ルナの世話係の侍女頭であるセレナがドアを開けて入ってきた。
「ルナ様。グシュター公爵がルナ殿下にごあいさつをと、うかがわれております。客間にお通しいたしましたが、いかがなさいますか?」
 ルナは、がっしりとした体格で長身の白いあごひげをたくわえた強面の老人の顔を思い浮かべた。
 カルザキア王よりも高齢の老人は、亡くなった先王ま時から王家につかえていた。
 今もカルザキア王の信厚い臣下であり、ラウ王家の王子たちを臣下の立場から敬いつつも、自分の孫以上の存在として幼いころからかわいがってくれていた。
 だが、ルナはグシュター公爵の視線が、常につま先から頭のてっぺんまで自分を値踏みするように見つめているのを感じて、その視線を漠然といやな目だと感じていた。
「あの人きらい」
 ルナは逃げるように寝室に走り、ベッドに飛び込んだ。
「変な目でルナのこと見るから。きらい」
 セレナは、困ったようにため息をつきながらその姿を視線で追う。
 ルナが少女であると知っている城の中の数少ない人物の一人であるセレナは城の侍女の長として、王家にかかわる身の回りの世話に従事してきた。
 それだけに、他人のルナに対する視線には人一倍敏感であったし、ルナの言葉どおりグシュター公爵がルナに対し懐疑的であることにも気づいてはいた。
 ノストール王国の人々の髪の色が、金髪や茶色、黒や緑といった色がほとんどで、ルナのように銀色の髪をもつもの一人としてはいない。
 ――一度、大病で死にかけた子なので、そのときに髪の色が変わってしまったのだ。これこそ、わが守護神アル神の御加護の証だ。
 カルザキア王はそう、臣下たちに告げていた。
 セレナはもともと、王妃付きの第一侍女長としてラマイネ王妃の身の回りの世話をしていた。
 第四王子を取り上げるときも、つきっきりだったのだ。
 だから、生まれたのが男児であることも、その目で見ていた。
 けれど、その嬰児は、誕生と同時にひと目を避けて、すぐに別の部屋に移され、病気であることを告げられた。
 誕生の祝賀もないままに、翌日には病死したと聞かされたのだ。
 その時のラマイネ王妃の嘆きはひとかたならないものだった。
 一刻も早く胸に抱くことを待ち望んでいた王妃は、その手で触れることもないまま、夫であるカルザキア王からわが子の死を告げられた。直後、哀しみのあまり声を失ってしまったのだ。
 その事実は、セレナにとっても大きなショックとなった。
 しかも、王族の死は、まず占術士であるアンナの一族に知らせられて後に、公に知らされることとなっているため、それまでの間、第四王子の死は伏された。
 そのアンナの一族が城に訪れた夜、三人の王子たちが赤ん坊を連れて来たのだ。
「アル神が、弟を返してくれたんだよ」
 黒い瞳を大きく輝かせながら、セレナにそっと教えてくれたクロトの満面の笑顔が蘇る。
 気が触れるのではないかと思われていた王妃の様態も、ルナを手渡されてからはみるみるうちに良い方向へと変わっていった。
 ルナの性が女であることを知っている者。
 それはすなわち、ラウ王家の秘密を共有している者のことであった。
 そのことを知っているのは、カルザキア王とラマイネ王妃、三人の王子たちと、大臣のイオカステ、シグニ将軍、アンナの一族の数人、そして、セレナだけだった。
 第四王子をとりあげたケーナ術士は、老衰で三年前に亡くなっている。 
 王子の誕生、病死、アンナの一族による蘇生。アル神の加護による、奇跡を印した銀色の髪。
 王家の秘密の一部は、知らない間に漏れ伝わり、自由な風のように人々の好みのままに形を変え、脚色を加えて流れていった。
 ルナの銀髪を、ノストールを加護する月の神・アル神の輝きと重ねあわせて国の誰もが敬愛と誇りを持って語りあった。 
 だが、グシュター公爵だけは、王家のほかの誰にも見せない視線をルナには向けていた。王や、王子たちの知らないところで。
「兄上たちは、いらっしゃらないの?」
 ルナはうつ伏せになったベッドの上で、顔だけそっと出してセレナを見る。
「ええ、お出掛けしております。クロト様はお勉強のお時間ですし」
 ルナはそれを聞くと、よけいに顔を曇らせた。
「ルナ、病気」
 唐突なルナの言葉に、セレナは思わず吹き出しそうになった。
 最近まではそんなウソを言ったことがないルナに、仮病を教えた人間がいるらしいとわかったのだ。
 その当人は、すっかり仮病がバレて、いつもの倍の勉強量をもらって、今頃うんうん苦しんでいる真っ最中のはずだ。 
「ルナ様」
 セレナが呆れたように、ベッドへ近づこうとしたとき、ノックの音と同時にドアが開いた。
「グシュター卿。勝手に部屋まで来て、ドアを開けるとは失礼ですよ」
 セレナが驚いて、眉間にしわを寄せる。
「いや、ご病気とは知らず、ご無礼しました。なかなかお取り次ぎしていただけないようなので、こちらから出向いた方がよろしいかと思いましてな」
 一見、温和な表情で一礼する。
 ルナは、ベッドの上で眠ったふりをしていた。
 これも、勉強中の誰かさんの入れ知恵かと思うと、セレナは天を仰ぎたい心境にかられた。
「いくら陛下と親しい中とはいえ、ずうずしさにもほどがありますわね、公爵さま」 
「なに……?」
 侍女頭からのぶしつけな物言いに、グシュター公爵の温和な表情に一瞬かげりがさす。
「ずうずしいと……? それは、このわしに言ったのかね?」
「そのとおりです。陛下の許可ない者は、陛下や殿下方のお部屋に直接通すことはできないのがしきたり。いくらあなたが、亡き先王陛下の側近だった時代に出入り自由の身だったとはとはいえ、それは昔の話。いまは半分ご隠居の身ではありませんか。謹んでくださいませ」
 自分が若者だったときから、この城で侍女としてつとめているセレナの毅然とした言葉に、グシュターは穏やかな表情を保とうとするが、ついに失敗し、にがにがしい顔をあらわした。
「貴様……身分をわきまえてものを言っておるのか?」
「殿下をお守のするのが私のつとめですから」
「この……」
 グシュターの腕が、セレナにつかみかかろうとしたその時、グシュターの肩を掴んで、強引に廊下に引き出したものがいた。
「何をするか! わしは、グシュター公爵だぞ」
「存じてます。ですが、わたしはノストール王国ラウ王家の第二王子です」
「アルクメーネ殿下!」
 セレナが驚いて小さな声で叫んだ。
 そこには、アルクメーネとテセウスが無表情に、グシュターを見つめている姿があった。
「兄上?」
 寝ているふりをしていたルナが、がばっとベッドから跳び起きる。
「テセウス皇太子殿下……アルクメーネ殿下……」
 グシュター公爵が、作り笑顔でこの場をとりつくろうとするが、アルクメーネの視線はこれまでになく厳しいものだった。
「ここは王家の私室であるルナの部屋です。その部屋に無断で入り込み、侍女頭のセレナに手をあげようとするとは、どういうことですか? ご説明願います」
「いや……、その、こ、困ったことにな。ルナ殿下のお見舞いにうかがったのに、この侍女が無礼な口の利き方をするのでな……ハッハッハッ。まあ、今日のところは寛大に許してやろうと思っておったところでな……。では」
 グシュターは、なにごともなかったように、王子たちの脇をすり抜けたあと、振り返って深々と一礼した。
「テセウス皇太子殿下、アルクメーネ殿下もごきげんうるわしゅうございます。また、あらためてごあいさつに……」
「グシュター公爵」
 去ろうとするグシュターをテセウスが穏やかな声で呼び止めた。
 グシュター公爵の体が、ビクリと震える。
「まさか、あなたがここにいらっしゃるとは驚きました。わたしも、のちほど降りていきますので、それまで中庭でおくつろぎください。ああ……昼食をいっしょにいかがですか……?」
「あ……はっ。よ、喜んで……」
 落ち着いた様子をとってはいるものの、顔をこわばらせながら、再度一礼をしてグシュターは去って行った。
 その後ろ姿が通路から消えるのを見とどけると、テセウスたちはルナの部屋に入りそっとドアを閉めた。
「大丈夫かい? セレナ」
 アルクメーネが心配そうに、セレナの肩を抱く。
「ご心配いりませんわ。お心遣いありがとうございます」
 侍女頭は、朗らかな顔で片目をとじる。
「それよりも……」
 セレナはため息をつきながら、部屋の真ん中に立っているルナを振り返った。
「仮病と、眠たふりなんて反則技は、このセレナ、お教えしておりませんよ」
「え?!」
 テセウスとアルクメーネの目が丸くなる。
「おチビ?」
「あの……ルナね……」
 ルナの顔がみるみるうちに涙目になる。
「ウソ泣きもお教えしておりません」
 セレナのすべてを見通したような駄目押しに、ルナは泣き顔をやめると、三人の脇を駆け抜け、部屋の外に逃げ出そうとする。が、ドアの方向に駆け出したところを、テセウスの腕に遮られ、抱き上げられてしまった。
「悪い子はお仕置きだぞ」
「ルナ、悪くないもん」
 テセウスの肩にかつがれて、ジタバタしているルナのほっぺたを、アルクメーネが人差し指でつつく。
「では、理由を聞きましょうか?」
「ルナ、グシュターきらいだもん」
 その言葉に、テセウスとアルクメーネは再び顔を見あわせる。
 テセウスはルナを肩からおろしてひざ床に付けて、その緑色の瞳に自らの目の高さを合わせ、じっと見つめた。
「いつも、ルナのことにらむもん。ルナ、悪いことしてないもん」
「今までは、何度そう言われても信じられなかったんだけどな……」
 テセウスが、セレナを見上げてため息をつく。  
「ですが、さっきの場面を見てしまったからには、ほおっておくわけにはいきませんね」
 アルクメーネは、ルナとセレナを見ながら、グシュター公爵がおりていっただろう中庭の方角を親指で指さした。
「実は、私と兄上を昼食に招きたいとグシュター公爵からの使いがあって、公爵邸に行くところだったのですよ。ところが途中、父上からの使いがあったので城へ戻って来たら、当のグシュター公は城にいてこの騒ぎ……」
 アルクメーネがルナの銀色の髪をそっと手でなでながらその顔をのぞき込む。
「まぁ、今日は緊急避難として無罪放免にしてあげます。おチビ」  
「ありがとうございます!」
「でも……」
 テセウスは親指をあごに当てると、ニヤリと笑った。
「入れ知恵の犯人には、少しばかりお仕置きが必要だな」
 ぶ厚い本と家庭教師に囲まれた勉強部屋で、クロトが大きなクシャミに見舞われていた。
 

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