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第三章《 侵略への序章 》

 夜の城を抜け出し、森を駆け抜け、ドルワーフ湖に一人馬を走らせたテセウスは、湖の前にたたずむ人影を見つけ、自分が先客でないことを知った。
 夜の空と湖には、煌々と輝く月と、星々が満ちあふれ、一枚の絵のようにみえる。
「今日は、ちゃんと足がついているみたいだね」
 馬から降りて、その人影に近づくとテセウスはクスリと笑いかけた。
「テセウス殿下」
 はじめ、驚いたように振り返ったその影は、月に照らし出されたテセウスの顔をみて恐縮したようになる。
「三年ぶりだね。エディ」
「はい、さきほどは失礼致しました」
 テセウスより七歳下の弟、クロトと同い年の少女は、先程の広間では一番後ろでずっと顔をあげることはなかった。
 その腰までのびた黒髪と、夜に見る紫の瞳のせいか、クロトよりも少し大人びて見える。
「こんな夜中に、女の子一人で来るのはぶっそうだな。それとも、また寝ぼけたのかい?」
 五年前、この少女が宙を浮いていたように見えたのは、夢だったのか、幻だったのか、テセウスには自信がない。
「いいえ、その……」
 少し驚いたように、恥ずかしそうに胸元に手をあてて首を横に振る少女を、テセウスはなつかしそうに見つめて笑う。
 エディス・ラ・ユル・アンナ。
 それが少女の正式な呼び名だった。
 どこの王家にも属さず、古から諸国を巡り放浪の旅を続ける占術士アンナの一族の末娘。
 ただ、どのような縁なのかテセウスは知らないが、彼らはラウ王家の使いがあったときに限り、どのような場所にいてもかならずその呼び出しに応じてやって来た。
「戦さがはじまると、アンナはノストールにとどまれません。この美しい湖の姿も、しばらく見に来られなくなくなると思いましたので、アル神にご挨拶にうかがいました」
 やわらかく心地のよい少女の声が、夜の空気に解けていく。
 そして、その口調はやはり、大人びて聞こえる。
「君も……シルク・トトゥ神は、破壊神だと信じているのかい?」
 気づいたときテセウスは、この数時間ずっとひとり抱えていた言葉を吐き出していた。
 本来ならば、十歳の少女に問いかける言葉ではなかったが、アンナの一族にはその気遣いは無用なのだと思わせるものがあった。
「ノストールの森と湖の精霊たちはそう言っていると……族長たちは言っています。でも、わたしにはまだ、わかりません」
 少し寂しそうに少女は月を見上げた。
「すまない……。変なことを聞いた」
「いいえ、いいえ……。お答えできずにいるのはわたしですから。わたしも早く〈先読み〉が出来るようになって、お役に立ちたいと思っています」
 テセウスの言葉に、エディスは困ったように瞳を地面に落とす。
「うん、早くその日がくるのを待っているよ。僕はサーザキアの言葉を聞いても、まだ信じられない。いや、多分信じたくないんだ。アル神はノストールの守護神だ。なのになぜその息子であるシルク・トトゥ神が、破壊神なのか。ノストールを滅ぼすというのか。その理由を知りたい」
「もし、私にその理由がわかる日が来ましたら、まっさきにテセウス殿下にお知らせ致します」
「うん、待ってるよ」
 テセウスとエディスが、白銀の月と湖を見つめていると。
「あー、やっぱりここにいたぁ」
 テセウスにとって聞きなれた大きな声が無遠慮に湖に響きわたった。  
「クロト……?」
 振り返ると、一頭の馬に騎乗した三人の姿があった。
「五年前のあの時も、今日のように満月の夜でしたね」
 アルクメーネが笑いながら声をかけ、馬上からおり、クロトとルナを地面におろした。
「アルクメーネ、それに……」
 テセウスが驚いている間にも、弟たちが笑顔をたたえながら二人のもとに歩み寄ってくる。 
「ずるいなー、テセウス兄上ってば、俺たちに内緒で湖にくるなんて。しかもエディとふたりっきりでさ」
 すねたような口調でクロトがボヤく。
「残念ながら、エディが一番乗りだったよ。それより、お前たちこそ、どうした?」
 テセウスは笑いながら、すねる弟の頭をひとさし指でツンとつつく。
「このおチビたち、兄上の姿が見えないといって、城中さがしまわっていたのですよ」
「それはテセウス兄上だけが、父上と一緒にアンナたちと会っておいでだったから。なにを話したのか教えてもらおうと思ったんです。なのに、夕食にもいないし、部屋にもいない。おまけにエディの姿も見えなかったからさ。アルクメーネ兄上にも探すのを手伝ってもらったんだ。そうしたら、もしかしたらって、ここに連れて来てくれたんだ」
 クロトが唇をとがらせ、両手を腰にあてて、長兄に抗議のポーズをとる。
 そんなクロトとは逆に、銀色の髪の小さな影が心配そうに、その足にしがみつき、テセウスの顔を仰ぎ見る。
「アル神と、お話ししにこられたのですか?」
「うん……。これから戦がはじまるとゆっくり、ここにも来られないからね」
 テセウスは、腰を落としてルナの緑色の瞳をのぞき込んだ。
「いいかい、ルナ。これからどんなことがおきても、ルナはラウ王家の子だから、泣いたりおびえたりしてはいけない。ルナが泣けばノストールの民みんなが泣くんだ。わかるかい」
 テセウスは、ルナの両脇に手を滑らせると、その体を月に向かって高くかかえ上げ、肩車をした。
 銀盤の月の輝きに照らされて、ルナの銀色の髪が夜の空にみごとに浮かび上がる。
「はい。父上も言ってられました。ラウ家の王子が泣いたら、みんなの勇気が、しくじけてしまわれるからって」
「くじけてしまうから、だろう」
 クロトが、テセウスの肩の上のルナをうらやましそうに見上げながらも、舌を出して見せる。
「勇気がしくじけてしまわれるって、父上がおっしゃられたんだもん」
「くじける、だ!」
「違うもん!」
 ルナがほっぺたをふくらまして、クロトを睨みつけるのを見て、アルクメーネやエディスが笑う。
「エディ。あなたの名付け子のルナは、言いだしたら負けを認めない頑固者になってしまったのですよ。ほら、クロトもあきらめなさい」
「だって、間違いは間違いと認めなさいっていうのはアルクメーネ兄上の口癖じゃないか。なんだよ。ルナには優しいくせに」
 そう兄に抗議するものの、ルナに対しては本気で怒れないのはクロト自身も同じだった。
 銀髪に緑色の瞳を持つまだまだ幼い表情のルナは、見かけこそ少年であり、ラウ王家の王子として育てられたが、三人にとってはかけがえのない妹であった。
 だが、それはそれとして、クロトだけは、「ルナは本当は男の子なんだ。アル神が男の子の体が死んじゃったから、残った女の子の体にしてくれただけで、本当は弟王子なんだ」 と、いまだに主張し続けている。
「アル神とお話しはできたのですか?」
 テセウスの顔を見ようと、ルナが肩の上から兄の顔を必死にのぞきこむ。
「うん。またみんなでここに来なさいって」
「本当に?」
 驚いたように、目を丸くしてルナとクロトが同時に叫んだ。
「本当です」
 アルクメーネたちが現れてから、オドオドしていた少女が、ためらいながらもテセウスのかわりに返事をした。
「その……月の光が、語りかけるのです」
 その言葉に、兄弟たちはしばらくじっと月を見上げた。
「あのさ、俺にもわかる気がするよ」
 しばらくすると、クロトが腕を思い切り腕をのばして、月を指さした。
「声とか、そんなんじゃないけど、こんなに優しい光りは母上の瞳以外じゃみたことないから」
「五年前、みんなでここに来たときと同じぐらい、優しい気持ちで満たしてくれるアル神の輝きですからね。私にも感じられますよ」
 アルクメーネもうなずく。
「ルナもわかります。みんなで来るとアル神が、喜ばれられます。母上もアル神が大好きです」
 ルナもテセウスの肩の上から、月に手を振る。
「そう……だね」
 テセウスは、このところやっと時折笑顔を見せるようになった母、ラマイネ王妃の顔を月にダブらせた。
 テセウスたちの母であるラマイネ王妃は五年前のあの出来事を境に、人前に出ることを極度に嫌うようになった。
 わが子を失い、ひどく心を傷めてしまった王妃は第四子を手放したショックから、夫であるカルザキア王をさけ続けた。
 五年もの月日が流れた今も、心因性ショックの為に言葉を話すことができない。
 それでも、テセウスたちの慰めになったのは、ラマイネ王妃が、テセウスたちが湖で見つけ抱いて連れて来たルナを、わが子以上に慈しみ育ててくれていることだった。
 乳母をつけることを拒否し、ラマイネ王妃はクロトの時以上にルナに愛情をそそぎこんだ。
 まるで、そうすることで自分の生きる意味を見いだそうとしているかのように、当時、まだ幼いテセウスにさえも感じられた。
「でも……母上、戦さが始まるの?って聞いたら、泣いていらっしゃいました。どうしてかな? 兄上、戦さって剣術の見せあいっこですよ。マーキッシュの村で、みんなでやってるんですよ」 
 テセウスの顔をのぞき込んでいたルナの体が、さらに前かがみになり、落ちそうになる。
「こら、おチビ危ないだろう」
「でも、母上が泣くなら、ルナもうやらない」
 ルナの緑色の大きな瞳が、みるみるうちに涙であふれていく。
「おチビ……」
 アルクメーネもクロトも困ったようにルナ見つめた。
 テセウスは、ルナの小さな体を抱きおろすと、その涙を両手で拭う。
「戦さは剣術の大会ではないんだ、戦さは人と人とをバラバラにしてしまうんだ。家族や、兄弟や、友達みんなと別々になってしまったり、会えなくなってしまう。だから母上は悲しまれたんだ」
「バラバラ?」
 ルナはその言葉を聞くと黙り込み、次にテセウス、アルクメーネ、クロト、エディスの顔をじっと見つめた。
「ルナも、兄上たちとバラバラになるの?」
「そんなことあるもんか!」
 それまで黙っていたクロトが大声を出した。
「戦さがあっても、ラウ王家は負けない。誰もバラバラになんてならないんだ。だって、ノストールにはアル神がいるんだから!」
 そのクロトの言葉が、テセウスの胸に痛みを走らせた。
――シルク・トトゥ神は……破壊神でございます。
「兄上? どうしたんですか?」
 その兄の様子に気づいて、アルクメーネが弟たちにわからないようにそっと肩に手をおく。
「いや……」
 アンナの一族であるエディスはともかく、テセウスにはまだ、アルクメーネに打ち明ける決心がこのときはついていなかった。
(これ以上の不安を与えて゛どうする…)
 戦さがどのようなものなのか、テセウスたち兄弟はもちろん、父のカルザキア王ですら歴史書や、兵法書、物語り等の中でしか知らない。祖父の時代にハリア国との戦さがあったのが、最後だった。
 現実では、そのとき何が起きるのか、どうなってしまうのか正直実感がなかった。
 ただわかっているのは、最悪の事態、負けた王家は一族壊滅状態に追いやられると学んだことだ。
「ルナの体重がまた重くなったから、頭がクラクラしたのさ」
「ルナ、重くないよ」
 アルクメーネに対する言い訳だったのだが、ルナがほっぺたを膨らませた。
 さっきまでの泣き顔が消え、クロトを真似て両手に腰を当てるポーズで、抗議をする。
「悪かった。ルナは重くないよ。それより、早く母上に、おやすみの挨拶を言いにいこう。ルナが挨拶に来ないので、きっと母上が心配して待っていられるよ」
「はい。ご挨拶にうかがいます」
 ルナが涙をふきながら笑顔を浮かべる。
「さぁ、エディも帰ろう。私の馬に乗せてあげるよ」
 笑顔をつくってルナやクロトの背を押し、エディスの小さな手を取ると、テセウスは歩き始めた。
(兄上、まだ私は年下のエディスのように相談相手になれないほど頼りないのでしょうかね……。ま、やりがいはでてくるけど)
 ラウ王家の第二王位継承者は、兄の背中を見つめながら、夜空の月を振り返り静かに祈りの言葉をささやいた。
「アル神、ノストールの守護神よ。わがラウ王家とノストールの民に御加護を。すべての民のもとに、平らかなる心を。守るべき者のためにあなたの力をおかし下さい」

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