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第一章《 誕 生 》


 月の光が煌々と輝いている。
 だが、真夜中の森は、幼い兄弟たちにとって初めての心細さを味あわせていた。
 空の暗さよりも、なお暗い闇でつつまれた森。
 背の高い木々たちが天へ向けて背くらべをする森の中には、月の光もとどかない。
 風にゆらめく葉や木々のざわめき、どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声や羽ばたき、獣の遠吠え。
 小動物が木の枝を駆け抜けていく音。
 静かではあるが、確かに生き物たちが息づいている感覚、自分たちを同じ生き物として警戒し、見つめている意志がそこには存在していた。
 しかし三人は体を寄せ合いながら、少女から目を離さないように夢中になって追っていた。
 そのおかげで、その恐怖に足をすくませることなくつき進むことができた。
 どのくらい歩いたのか、突然、少女の歩みが止まった。
 テセウスたちは慌てて急停止し、大きな木の影にかくれて様子を見守る。
 すると、それまで浮いているように見えた少女の足が静かに地面に着地し、同時に全身をつつんでいた金色の光が徐々にうすれていく。
「足がついたよ」
「シーッ」
 クロトが少女を指さすとアルクメーネが、人差し指を顔の真ん中にもって来て、静かにするように命じた。
 その時。
「え……う、う、うわあぁぁぁぁぁ―ん!」
 三人は、目を丸くした。
「うわぁぁぁぁ―ん」
「テセウス兄上!」
「うん」
 それは確かに、少女の泣いている声だった。
 妖しの者の怪の鳴く声でもなければ、呪文を唱える叫びでもない。
 ただ子供が迷子になったとき、嫌な人間を寄せつけないために、そして庇護者を求めるために発する、心細くて悲しい、助けを求める泣き声だった。
「助けなきゃ」
 誰よりも早く、クロトが木の陰から飛び出した。
「クロト!」
「だって、泣いてる」  
 クロトはそう叫ぶと、力いっぱい少女のもとまで走っていった。
「よし、行こう」
「はい」
 二人の兄たちも、クロトに続く。
 クロトが、少女のそばに近づいたとき、その小さな体は地面にぺたんと座り込んだまま泣きじゃくっていた。
「どうしたの?」
 クロトはできるだけ優しく声をかけたつもりだったが、ビクリと少女の体は震えた。
 そして、恐る恐る顔を上げ、クロトの顔を見つけると涙をいっぱいにためた目をパチパチと瞬かせる。
「僕、クロト。君は……妖精?」
「わ、私?」
 可愛らしい白色のネグリジェ姿の少女は、クロトよりも幼くみえる。
 月の光の中で、白い肌に、肩までのびた黒い髪、そして紫色の大きな瞳の愛らしい顔が浮かび上がった。
「クロト、大丈夫か?」
 末弟に追いついたテセウスが、あれっといった顔で、少女を見つめた。
「君、アンナの一族の子じゃないのかい?」
 少女は、突然現れた三人の少年たちを見てしばらくの間、驚いていたが、テセウスの「アンナの一族」という言葉を耳にすると、もじもじしながらコクリと頭を下げた。
「えっ、じゃあ人間なの? 夜の妖精じゃないの?」
 クロトは驚いたように、二番目の兄を見る。
「残念だけど、そうみたいですね」
 アルクメーネは、がっかりするなというように、弟の肩に手をまわした。
「僕はテセウス。僕たち三人はノストール国ラウ王家の王子で、お城から出て行く君をずっと追いかけて来たんだよ。君の名前は?」
「エディ……」
「エディちゃんって言うんだ」
 クロトが、少女を元気づけようと、にっこり笑う。
 それを見て、エディと名乗った少女も恥ずかしそうにニコリと笑った。
「僕はアルクメーネ。エディちゃんはどうしてここに来たの?」
 アルクメーネがしゃがみこみ、少女に目線をあわせて優しく聞くと、エディはどうしたらよいのかわからないといった表情を浮かべた。
「エディ……。夢を見てたの。ずっと…ずっと夢を見てたの。でも目があいたら、真っ暗な森だった。ここ……どこ……?」
 エディの顔がくしゃりと歪んで再び泣きそうになるのを見て、クロトはあわてて自分のガウンを脱いで少女に体に着せてあげ、一生懸命に「大丈夫だよ」と明るく声をかけてあやす。
 その様子をほほえましく見ながら、テセウスがアルクメーネに声をかける。
「昨夜遅くに、父上からアンナの一族が来るからと聞いていたんだ。明日会わせてくれると聞いてはいたけど、こんなに小さな女の子がいるとは思わなかったよ」
「寝ぼけたのかな?」
 アルクメーネが、エディの肩まで真っすぐのびた黒髪を撫でながら、問うとはなく問いかけると、アンナの少女は激しく頭を横に振った。
「違う。はじめて。こんなことないもの。ちゃんと、母様と一緒に眠ったもの」
「そう…なんだ」
 幼い少女の真剣な表情にアルクメーネが、少し気押されているのを見て、テセウスが笑いながら、少女の前に立ち背中を向けた。
「でも、なにもなくて良かった。さ、おぶってあげるから一緒に帰ろう」
「ありがとう…」
 エディを背に乗せ、テセウスが立ち上がったとき、背中の少女の体がピクリと震えた。
「どうしたんだい?」
 テセウスが顔だけ動かして少女を見ようとすると、小さな声がかすかにつぶやいた。
「なにか…聞こえるの……」
「え?」
「何が、聞こえるの?」
 少女の声を聞き逃すまいと、聞き耳を立てていたクロトがキョロキョロと周囲を見まわす。  
「聞こえる…」
 再びエディがつぶやくと、それまで夜の風にゆられていた森のざわめきも、動物たちの鳴き声も、すべての音が止んだ。 

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